新しい日常
過ごした夜を数えるのは、やめた。
商隊は、当初のコースをはずれたようだった。
2週間ほどで着くはずだった目的地には、いつになってもたどりつく様子がない。
しっかりと幌でおおわれた馬車の荷台。
わずかなのぞき穴しかない、鉄の箱の中で、わたしは飼われていた。
陽が傾くころ、隊列は移動をやめる。
しばらくすると男たちが、あたりを警戒しながら鉄の箱をテントに運び込む。
そして、わたしは吊るされて、狩人のヴィドーが、羽の収獲をはじめる──。
わたしを買った商人、ボルゲスは、最近では元の依頼人──あのお方のことを口にしない。フェアリーの両翼は、貴族の間で評判となり、かなりの高額で取引されるようになったらしい。カネの成る木を、手放すのがおしくなったのだろう。
ここから逃げようとしたことは、いくどもあった。
でも、いつもヴィドーの投げ縄や仕掛けにかかって、連れ戻される。
あるとき、激昂したボルゲスが、引き戻されたわたしの左手の指を、いきなり斧で叩き潰した。
「……」
<無痛>のスキルで、痛みはない。でも、肉塊となった左手から白い指の骨が突き出しているのを見て、わたしは蒼白となった。
わたしの身体は、いくら乱暴に傷つけても<再生>される。
そのことが、ボルゲスの残忍な部分を増幅させてしまっているようだった。
ヴィドーが、わたしの肩に手を置いた。
「……目を、閉じていろ」
手首に、感じ慣れたやさしく冷たい刃物の感覚が走る。わたしが<再生>しやすいように、ヴィドーが潰れた左手を切り落としたのだ。
その様子を見たボルゲスは、なぜか余計に不機嫌になって、一晩中わたしに罵声を浴びせつづけた──まるで、わたしたちの行為に、嫉妬したかのように。
ボルゲスは、口数の多い男だ。でも、自分の話はほとんどしない。どこから来たのか、何を目指すのか──。
ただ、ひとつだけたしかなのは、カネになる物事にかけては、人並みはずれた嗅覚を持っているということだ。
湖沼地帯──貴族の別荘が立ち並ぶ、風光明媚な土地を訪れた、ある夜。
いつものように、鉄の箱から引き出されたわたしは、目を見開いた。
そこは、ボルゲスの大テントの中ではなく、石造りの建物の中だった。湿気の多い、地下室。ロウソクの灯りに照らされて、場違いな鏡台がきらめいている。
誰とも知らぬ召使い姿の女性が、暗い表情のまま、わたしの顔に丹念にメイクをほどこす。アイシャドウ、マスカラ、チーク、ハイライト──この世界に来て、こんなメイクなどしたことはなかった。
「ああ! いいですね、いつもにまして、実にいいっ!」
背中が必要以上に大きく開いたドレスを着せられたわたしを見て、ボルゲスは鼻の穴を膨らませた。
状況が飲み込めないまま、いつものようにフックに吊り下げられる。
すると、いきなりわたしの顔にライトが向けられた。
眩しさに目を細める。暗闇の向こうに、幾人もの人間がいるのがわかった。仮面舞踏会のように顔を隠した、正装の男女がわたしを囲んでいる。
いつもより、少しだけ髪を整えた狩人のヴィドーがやってくる。
無言のまま、愛用のナイフを抜く。観衆から興奮したような溜め息が漏れる。
刃が、わたしの皮を裂き、肉を削ぐ。
ただ静かに行われる、いつもの営み──それにあわせて、騒々しいボルゲスの声が響きわたった。
「さあさあ、この美しくも新鮮なフェアリーの羽、みなさまの目の前でさばかれた貴重な逸品でございます! 飾るもよし、食通なお方は食するもよし! 手に入れた方のお好きなように、煮ても焼いても結構ですよ。では、まず100万ゴールドから! いかがです、100万100万……ああ! 200! ありがとうございます。200が出ましたが、いかがでしょう。400! すばらしいお買い物ですよ、奥さま。おっと、600ですか! これはおそれいります──」
やがて──競り落とされたわたしの羽が、購入者の従者たちによって、しずしずと運び出された。
ヴィドーが、仕事のあとを確認するように、血の滴るわたしの背を、布で丹念に拭ってくれる。
落ち着いた声の男が、ボルゲスに話しかけるのが聞こえた。
「ボルゲスくん──今夜のショーはここで終演のようだが、わたしには正直、刺激が足りなかったね」
「これは子爵さま──失敬、ここでは名もなきお客人でしたな──粋人のあなたには、わたくしどもの出し物では、物足りませんでしたか」
「いや、彼女は美しい。あの狩人の手仕事も、実に見事だ。それは認めよう。しかし、あの──<無痛>というのだったか。涙ひとつ見せず、苦悶の声ひとつあげぬというのは、どうも、ね」
「いやはや、そればかりはご容赦を……。いかに<再生>する身体とはいえ、大切な商売道具を壊してしまうわけにもいきませんので。ただ──」
「ただ、なんだね?」
「お時間がよろしければ、もうしばらく、今宵の舞台にお付き合いくださいませんか」
「ほう、まだ趣向がある、と?」
「ええ、そろそろ、デザートの時間かと……」
ボルゲスは、わたしの鎖をフックからはずそうと手を伸ばしていたヴィドーに、鋭く言った。
「シッシッ、お前の出番は終わりだ。余計なことをするんじゃないっ」
「……」
ヴィドーが、わたしを目を見つめた。
何の表情もない顔。なのに、今はどこか、悲しそうに見える。
──どうして、そんな顔をするの──
わたしは、ぼんやりと思う。そのとき、
ミシッ
木の枝がかしぐような音がして、わたしはビクリと全身を震わせた。
フーッフーッ……
猿ぐつわの下で、わたしは荒い息を吐く。
来る。いつもの、あれが──
メキメキメキメキメキメキメキ……
「ん゛ん゛ん゛ん゛っ……」
うめき声を上げながら、吊り下げられたわたしは、ビクビクとのたうち回る。
鎖がジャラジャラと耳障りな音をたてる。
<再生>は、痛くは、ない。
でも、血に塗れた新しい細胞の塊が、身体の奥から引きずり出される感覚は、たとえようもなく熱く、苦しい。
息が止まり、涙が吹き出してくる。
猿ぐつわをされたままの口元から、唾液がこぼれ落ちる。
すべては、数秒間の出来事。
わたしの身体は、生えそろった新しい羽を、ブルブルッと震わせて、羽毛を濡らす血を払い飛ばす──。
「……ブラボー!」
子爵と呼ばれた男が、感動した様子で手を叩いた。
わたしを囲む観衆たちも、熱狂したように喝采を送る。
ボルゲスは、興奮さめやらぬ貴族たちに囲まれて、上機嫌で何かしゃべっている。
そして──誰も、もう、わたしを見ていない。
「……」
静かに歩み寄ってきたヴィドーが、ふいに、わたしの頬を指で拭った。
涙で流れたマスカラが、無骨なヴィドーの指を、黒く汚した──
ううー、どんどんかわいそうな話になってしまいます……早く立ち上がるんだリリム!
でも、もうちょっとキャラバンの日々は続きそうです。
苦しいのが苦手な方は、ほんとごめんなさい! 痛快逆襲の日々もきっと来るはず!
迷いながら書き進めていますので、ご意見・ご感想いただけると、とてもよろこびます。
それに評価も! いただいた方、ほんとうにありがとうございますっ!