狩人の刃
ハアッハアッ
頬にかかる、脂くさい息で目が覚めた。
誰──誰かの顔が、目の前にある。近すぎて、誰だかわからない──。
朦朧とした意識の中で、手を動かす。ガチャリ、と重い鎖の音。思うように、身体に力が入らない。
「いやぁ、すばらしい。実にすばらしいですよ」
興奮した男の声がする。この声……あの商人?
わたしの頬を、男の手が撫でる。
「ご覧なさい。このきめの細かさ……エルフも捨てがたいが、フェアリーの肌も、実に美しい──」
──いやっ!
わたしは、重くだるい身体をよじって商人の手から逃れようとする。
でも、両足が足かせで固定されていて、ばたばたとのたうち回るしかない。
寝かされた板の上。まるで、陸にあげられた魚のように──。
「……そのへんにしておけ」
わたしの視界の外から、低くうなるような声がした。
商人はヒヒヒと下卑た笑い声を上げた。
「大丈夫、一線は超えませんよ。あのお方が、この子をどうするにせよ、傷物にしてしまっては値打ちが下がる。いやはや、実に残念だ」
「んんー! んーんー……!」
猿ぐつわをされたわたしは、助けを呼ぼうと声を出すが、まともに言葉にならない。
「無駄無駄、無駄ですよ、お嬢さん。あなたが眠っている間に、わたしたちは市場都市マシャンテを発ったのです。あなたのように高値で売れる商品は、早くさばくに限る。横取りしようとする不逞の輩が襲ってこないとも限りませんからねぇ。だから、周りには森しかない。あなたがいくら叫んでも、だーれも、助けにはこないんです」
「んんんー! んんー……」
「いやはや、かわいいですねえ。しかし、そうやって暴れる姿のほうが、わたしのような歪んだ心の持ち主には、劣情を誘うものだということを、あなたは学んでおいたほうがいい。今後のためにも、ね」
「ん……」
そうそう、シーシシシ、と商人は自分の唇に人差し指を当てて、静かにしろと身振りをした。
まるで、わたしの恐怖心をもてあそぶように。
「ああ! 静かになりましたね。理解が早くて助かります。落ち着いたところで、別のお楽しみといきましょうか──」
商人は巨体を揺らしながら、杖のようなものを取り出した。先端の金具に飾られた青く透き通った宝玉から、血管のようなものが生えて、杖に巻きついている。
わたしがその先端を見つめると、宝玉がグルリとめぐってわたしを見た。
「──!」
「驚きましたか。ヒヒヒ、彼女はね、生きてるんですよ。<鑑定>のスキルを持った水の精霊、ルサールカの眼球です。こんな姿になっても、きっちり仕事はしてくれますよ……さて、見せていただきましょうか……」
商人は目を見開くと、わたしに向けたルサールカの眼球をのぞき込んだ。
「<蘇生>……ガイド・フェアリーの特権ですね。<浄化>、<解毒>、<物理防壁>? なるほど、支援型の従者としては、なかなかいいスキルをお持ちだ。<念話>。ふむ。これは、場合によってはやっかいですね。<噛みつき>。なんと愛らしい……いいですよ、いいですよ、わたしに噛みついても。ヒヒヒ……<意思疎通>? 『言語での交信が不可能な異種族と意思の疎通が可能』。なんと、これはわたし、初めて見ましたね。<無痛>。ほう。<再生>。ほほう。『欠損した自らの身体を、迅速に再生させることができる。ただしHPは回復しない』──なるほど?」
杖から目を離した商人は、ますます興奮した様子で、一方的にわたしに話しかける。
「いい! あなた、最高の商材ですね! 実にいいっ!」
「……何を騒いでいる」
「ああ! ここは狩人たる、あなたの出番ですよヴィドー。彼女を吊るしてくれますか」
視界に、あの大男のハンターが入ってきた。わたしの足かせを外すと、手かせの鎖をつかんで、グイと引っ張る。そのまま、テントの天井から吊り下げたフックに鎖がかけられ、わたしは宙に浮いた足をバタつかせた。
「……それで? 何をする」
ヴィドーと呼ばれたハンターが、商人に聞いた。商人は、血走った目をギラつかせながら、わたしの羽を指差した。
「その羽を、切り落としてください。根本から、丁寧にね!」
「んんんー!」
「……なんだと?」
「ああ、わかりませんか、ヴィドー! 彼女はカネの成る木ですよ。フェアリーの両翼が、一体いくらで売れると思います? 貴族の邸宅の壁に飾るによし、王宮を彩る装飾によし。腕の良い職人なら、さらに高級な家具やドレスに加工してくれるかもしれません。ワハハハハ。文字通り、笑いが止まりませんよ。何しろ、何回切っても、彼女は<再生>するんですからね!」
「……その商魂には、虫唾が走るな。<飛翔>する生き物の翼には神経が多い。切り落としたりしたら、発狂しちまうぞ」
「問題ありません! 彼女のスキルを読み上げたでしょう? おあつらえむきに、<無痛>のスキルもあるんですよ!」
「……HPはどうするんだ。<再生>では回復しないとあった」
「グチグチと口答えを……<治癒>も<回復>も使えるんだ、死にたくなければ、勝手に自分で治すでしょ。さあさあ、リリムさん、あなたは<無痛>と<再生>を<維持>してください。そうすれば、みんながハッピーになれるんです! 今夜のうちに──そう、20組は採れるでしょうかねぇ、ヒヒヒヒ!」
頼みましたよ、ヴィドー!と言い残すと、商人は狂喜の笑い声を上げながら、テントを出ていった。
「んんー! んんんー!」
わたしは、ヴィドーの顔を見つめて、必死に首を振る。
右頬に大きな刀傷のあるヴィドーは、感情の読めない顔でわたしに近づく。
「……スキルは、発動したか」
「んんんー!」
「……二度は聞かん。好きにしろ」
ヴィドーは、滑らかに刃が曲線を描いた短刀を抜いた。狩人が獲物をさばくのに使うナイフ──。
わたしの肩甲骨の形を、いつくしむように指でなぞったヴィドーは、狙い定めたポイントに、静かに刃先を置いた。
涙が溢れるわたしの目を、ヴィドーはじっと見すえた。
「……いくぞ」
「──っ」
<無痛>で、痛みはない。
ただ、冷たい金属が、背中の肉を裂いていくのがわかる。滑らかに、一筆書きのように──。
とても大事なものが──ひととして扱われるはずだった自分とか、人間と友達として暮らしていた記憶とか、そういうものすべてが引き剥がされて、奪われていく感覚──。
ヴィドーの刃物さばきは、静かで、やさしい。それは、職人の技。素材となる生き物に敬意を払い、最大限の価値を保ったまま、美しい材料に仕上げる動作。わたしが、カイトと倒してきたモンスターから、牙やウロコを抜いたのとは、ぜんぜん違う。それでも──わたしは、素材になんか、なりたくなかった。
最初の羽を切り終えたヴィドーが、宝物でも扱うように、その羽を台の上にそっとのせる。
わたしは、ただぼうっとした頭で、虹色に輝くアゲハチョウのような羽を眺めていた──
ちょっと生々しい方向に進んでしまいました……前話、後書きで書きましたが、結構悩んでこの流れにきた感じです(汗)。
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