隠しフロアにて
<幻術師の庭>、隠しフロア、地下第13階層。
扉を開くと、錆びついた蝶つがいがギギギギギと音をたてた。
「さあ、お入り」
エンシェント・レイシーのおばあさんは、ウネウネと大樹の根を動かしながら、部屋に入っていく。
地下とは思えない、広大な空間。地上にあった3階建ての温室のドームより天井が高く感じる。一面の天井画。その向こうから、薄ぼんやりとした青白い光が降り注いで、部屋の中を照らしていた。
わたしが、天井に見とれているのに気がつくと、おばあさんは、ふん、と鼻を鳴らした。
「古代の技術だよ。あんたに必要なのは、あっち──」
おばあさんが指差す方向に目をやる。薄闇に目が慣れてくると、ようやくそれがなんなのかわかってきた。
「……図書館?」
「昔は、『蔵書庫』と呼んでたがね。あんたの<審美眼>で鑑定してごらん」
言われるままに、わたしは<審美眼>を発動させた。その瞬間、視界をステータスが埋め尽くした。
エンチャント・グリモワ Lv.91 HP20800/20800
エンチャント・グリモワ Lv.91 HP20800/20800
エンチャント・グリモワ Lv.91 HP20800/20800
エンチャント・グリモワ Lv.91 HP20800/20800
エンチャント・グリモワ Lv.91 HP20800/20800
エンチャント・グリモワ Lv.91 HP20800/20800
エンチャント・グリモワ Lv.91 HP20800/20800
エンチャント・グリモワ Lv.91 HP20800/20800
……
「な、なな、なんですか、ここっ!」
「王国が革命で滅んだときに、この薬草園が暴徒に襲われた話は聞いてるかい」
「はい、ギルドで聞きました……宮廷魔導士たちが、貴重な薬草を守るために、植物をモンスター化させたんだって」
「ふんっ、結局、人間たちに伝わったのはカネ目のものの話だけかい。まあ、そのおかげでここは無事だったんだがね──」
「どういうことですか?」
「商業ギルドがお城を乗っ取ったと聞いて、王国の崩壊を悟った宮廷魔導士やあたしたちは、何よりも知識を守ることを考えたんだ。ここでは、医学や生命科学の最先端の研究をしていた……欲に目のくらんだ商人どもに渡すわけにはいかない知識が、ごまんとあったのさ。だから、あたしらは、当時開発したばかりの<創造薬>を蔵書庫に散布した」
「<創造薬>……?」
「無生物に魔力を定着させて、魔獣化させる──いわば、生命を作る薬だよ。あのとき、ぜーんぶ、使っちまったが……。そのときに、魔獣化したのが、ここの本たちさ。滅多な人間には手出しができない上に、剣や魔法で倒せば、書物自体が欠損して読むことができなくなる。知識を守るには、ちょうどいいと思ってね」
ま、そのへんはともかくだ、とおばあさんは、わたしの手に香水のビンのようなものを握らせた。
「あたしが1匹、捕まえてくるから、そいつを振りかけな」
「えっ、ちょっ、全部レベル91ですけど──」
戸惑っているわたしには構わず、おばあさんは手近な書架から、背が30センチほどもある大きな本を、そっと取り出した。ブルブルブルッと、本が身を震わせる。
「いくよ──!」
おばあさんが、本をわたしの足元に放り投げる。バタバタバタバタッ。ページがひとりでに開いて、皮表紙のへりからメキメキと牙が生えてきた。
「キュルルルルルルルル!」
エンチャント・グリモワが奇妙な声をあげると、おばあさんがイライラしたように叫んだ。
「さっさとおやりっ!」
「はっ、はいっ!」
わたしは、渡されたビンの栓を抜いて、魔物化した本に向かって振るった。ピシャッと液体がエンチャント・グリモワにかかる。ボワッと紫色の煙が上がって、キョエッキョエッと苦しそうなうめき声を漏らしながら、エンチャント・グリモワがのたうち回る。
プシュウ──
最後は、風船から空気が抜けきったような音がして、エンチャント・グリモワは静かになった。
エンチャント・グリモワ Lv.91 HP0/20800
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リリム
獲得称号: <にわか読書家>
獲得スキル: <治癒>、<暗視>、<暗黙知>
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「すごい、スキルが3つも!」
「グリモワは、もともと知識を溜め込むもんだからね。マジックスキルを増やしたいなら、ちょうどいいのさ」
おばあさんは、すっかりただの本に戻ったエンチャント・グリモワを拾って、パンパンとホコリをはたいた。
「この、魔法の薬みたいなのは、なんですか?」
「<抗魔薬>といってね。魔力の塊を分解する効果がある。自然に生まれた魔物には、力を一時的に減らす程度の効き目しかないんだが、こいつらは人工的に魔力を固めて作った創造魔獣。いちころさ──」
「レベル90超えのモンスターが、一発って……」
「言っとくけど、人間にこんなチート技のことを教えるんじゃないよ。ここに群がってこられたら、たまらないからね」
「はっ、はい、肝に銘じますっ」
「さあ、さっさと片付けて、あんたのご主人さまを満足させてやろうじゃないか……」
そして──1時間後。
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リリム Lv.91 HP19000/19000
獲得称号: <読書家>、<愛読者>、<耽読者>
獲得スキル: <浄化>、<遠隔知>、<光源>、<範囲回復>、<解毒>、<麻痺>、<鼓舞>、<有用判定>、<口寄せ>、<念話>、<意思疎通>、<修復>、<噛みつき>、<高速飛翔>、<維持>、<記憶術>、<方向判定>、<速読>、<形式知>、<調合>、<縫製>、<調理>、<物理防壁>、<無痛>、<再生>
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「……驚いたね」
わたしのスキルを確認して、エンシェント・レイシーのおばあさんが言った。
「見事なまでに、戦闘系のスキルがない」
「そんなぁ!」
「まあ、<浄化>は呪霊やアンデッドには使えるよ。あとは<麻痺>……レベル90超えの相手には、あんまり効かないかもしれないが。それと……<噛みつき>があるが、あんたに噛みつかれてもねぇ」
「うう……やっぱり、フェアリーは戦いにむいてないんだぁ」
「フェアリーが、じゃない。あんたが、だ。こんだけ付き合わせて……なんだい、この実用便利スキルの見本市みたいなのは」
「そんなこと言われたって……」
「ふむ……<維持>。これは悪くないね。『他のスキルのうち継続利用が可能なものの効果を、無意識のうちに維持することができる』。<速読>でも<維持>しといたらどうだい。……ほう、<有用判定>と<調合>。ここがまだ薬草園だったら、あんたも雇ってもらえただろうが……」
ブツブツ言っているおばあさんに、わたしは半分ヤケになって言った。
「とにかくっ、レベルはすごく上がったので、きっとカイトもレベル80にはなったと思います! ありがとうございましたっ!」
「カイト、ね……あんたの頑張りが、そいつの心を動かせばいいんだが──」
おばあさんに別れを告げて、<幻術師の庭>から飛び立ったときには、朝日が市場都市を照らしていた。どうやら、わたしは半日以上も、あの隠しフロアにいたらしい。
困ったことになったら、また来るといい。そんなおばあさんの言葉が、不安と期待の入り混じったわたしの心にしみた──