レベルキャップ?
「……なるほど。それで、あんたはガイド・フェアリーの国に戻れない、と」
「はい……」
<幻術師の庭>に建つ、旧宮廷薬草園の温室棟。その地下にある部屋のベッドの上に、わたしはいた。
エンシェント・レイシーのおばあさんは、壁や天井を突き破った大樹の根から、ニョキニョキと胴体を伸ばして、器用に動きまわっていた。
「まあ、これでも飲みな。気持ちが落ち着くから」
「ありがとうございます……」
渡されたハーブティーをすする。いい香り。本当に、少しだけ気持ちが軽くなる。
わたしのねじ折られた大腿骨は、回復系の上位スキル<治癒>で、おばあさんが治してくれたそうだ。わたしは<催眠>の効果でずっと眠っていて、目が覚めたときには身体は元通りになっていた。
「あの……聞いてもいいですか」
「なんだい」
「おばあさんは、その……レベル90のモンスターですよね? どうして、ボクを助けてくれるんですか?」
はあ……と、おばあさんは深い溜め息をついた。
「もう、フェアリーの国でも忘れられちまったんだねえ……。『レベル上位の魔物は、レベル下位の冒険者を襲う』もんだって? けっ、バカ言うんじゃない。昔は、物事はそんなに単純じゃなかったよ」
「え……」
「人間にだって、崇高な志を持ったやつも、自分の利益しか考えないゲス野郎もいる。だったら、妖精や精霊、魔物にだって、いろんなやつがいるに決まっているじゃないか。だいたい、自分はどうなんだい?」
「自分……?」
「ガイド・フェアリーは人間じゃない。レベルは普通、80だろ。レベル1の冒険者に会って、なぜ殺さない」
──たしかに。
「大昔は、こうじゃなかったよ。あたしだって、この薬草園で人間たちと魔術の共同研究に明け暮れたもんさ。新しいポーションを開発したり、生命の根源に迫ろうと研究計画を立てたり……。それなのに、この世界はジワジワとおかしくなってきちまった」
「世界、が?」
「1000年くらい前からかね……。世界の様子が、だんだん単純になってきちまった。野山で本能のままに動物として暮らしていた魔獣たちが、やたらと人間を襲うようになって、『モンスター』に分類されるようになった。 人間の側も攻撃的になってね……。モンスターは討伐するもの、殺し合って、レベルやスキルを獲得するもの。そういう決めつけがはびこるようになった。あれは敵、あれは味方ってね──。あんたたちフェアリーだって、昔は自由な生き物だったけどね。いまじゃ、自分たちは『初心者のオトモ』だと思っちまってる」
「それは、だって──」
──だって、ここは、そういうゲームみたいな世界、なんだよね?
「あたしらだって、人間が昔のように敵意なくやってきてくれれば、何も攻撃なんかしないんだ」
「だけど……温室にいた植物たちは、すごく凶暴でしたよ?」
「そりゃあんた、あの子たちは、人間にさんざんな目にあわされてきたからね。焼き討ちにあったり、毒をまかれたこともあった。魔物にだって心はある。トラウマってもんがあるんだよ」
──魔物に、心が?
これまで、モンスターは、ただ人々に危害を加える、悪い存在なのだと素直に思っていた。だから、モンスターを討伐するのは正義だ。それによって冒険者が成長できるのなら、なおさら彼らを助けたいと感じてきた。
だけど、この世界はもっと複雑で、本当はモンスターたちでさえ、それぞれの想いをもって生きている……?
──わたしたちは、そんな大事な知識を、どうして初心者に伝えてこなかったんだろう?
「まあ、とにかく、いまはこんな世の中だからね。あんたのご主人さまが、レベルやスキルを求めるのも無理はないさ。ここ数百年、人間たちが<真実の自由>と呼んでいるのは、つまるところ、古き良き<レベルキャップ>のことだからねえ」
「自由──<レベルキャップ>? なんですか、それ」
「はあ……フェアリーは、そんなことまで忘れちまったのかい。人間は、どんなに経験値を稼いでも、レベル100で成長が止まるとされているのさ。そこまでいけば、自分からちょっかいを出さない限り、魔物に襲われることはないんだと。あとは遊び暮らすもよし、スキルや称号を集めて腕を磨くもよし。自分なりの生き方ができる。そう信じられているんだよ」
──<真実の自由>。それを手に入れるために、カイトは、何度も苦痛に満ちた無惨な死に方をするようなチートルートを選んだのだろうか。だったら、やっぱりわたしは……
「あ、あの……ボクはとにかく、早くカイトを楽にしてあげたいんです。これ以上、カイトが自分を傷つけるのは見たくなくて……スキルが手に入って、経験値も稼げるような場所、おばあさんは知りませんか」
「あんたも、どこまでもお人好しだねえ。レベルを上げたからって、約束通り、そいつがあんたを解放してくれるとは思えないが──」
エンシェント・レイシーのおばあさんは、まあ、やってみるかね、とつぶやいた。
「もう歩けるだろ。ついておいで──」