繊細な青年司祭は、聖母の一味に縮み上がる
「大司教さまの執務室に保管されていた見取り図は、これで全部です。全体像がわかりやすいのは、この地上階の平面図かと思いますが……」
蝋燭の灯りに照らされた、応接室。
テーブルの上に図面を広げたアントンは、緊張した面持ちで説明をはじめた。
「ここが、現在、我々のいる南の塔。〈王妃の間〉をはじめ、来賓用の客室や国軍、警備兵の詰め所があります。礼拝堂のドームを挟んで、反対側が北の塔です。北の塔は1階と2階が東西に長く、この両翼が事務棟として使われています。上層階は、大司教さまをはじめとする高位の方々の執務室です」
「塔といっても部屋数は多そうだな。人間を監禁できる場所のひとつやふたつ、あるのではないか?」
アントンの真横から、ムーゲンがヒョイと身を乗り出して図面をのぞき込む。
わたし以外の女性には耐性がないらしい青年司祭は、妙にドギマギとした様子で答えた。
「そっ、それはないと思います。たしかに部屋は多いのですが、どのフロアにも頻繁にひとが出入りしますし、若手の司祭やシスターたちが毎日、持ち回りで清掃に当たるので……」
「なるほど。では、ひとまず除外、とするか」
アレクセイが言うと、アントンはモゴモゴと口を動かす。
「はい、よろしいかと……」
それより、なぜ殿下がここにいるのか、説明していただきたいのですが……っ!?
眉を吊り上げてわたしを見る青年司祭の顔には、そんなセリフが貼りついているようだった。
「爆破された礼拝堂はないとして……中央図書室の建物はどうだ」
「そうですね……人目につかない場所といえば地下に禁書庫がありますが、地下への階段は閲覧室の中にしかありません。図書室は事件当日も市民に開放されていたはずですから……」
「〈転移〉でも使わない限り、目撃されずに移動するのは難しかったでしょうね。図書室は除外していいわ。あやしい動きがなかったことは、わたくしたちも把握しているから」
第二王子と並んだ令嬢が断言すると、アントンは耐えきれなくなったように訊いた。
「あの……失礼ながら、お嬢さまはどちらの──?」
「ああ、紹介が遅れたな。彼女は、ドゥ・ヴィリシュ公爵家のディアナ嬢だ」
「ドゥ・ヴィリシュ公爵家……? まさか──」
青年司祭が息を飲むと、ディアナはいたずらな顔で小首をかしげた。
「異端の魔族よ。よろしくね」
「まっ、まぞく……」
アントンの動揺には構いもせず、隻眼の獣人ルーウーが腕組みをして言う。
「あとは食堂に、厩舎……これはなんだ? 北のはずれに、大きな屋敷があるようだが」
「し、使徒宮殿ですね。教皇さまのお住まいになっている場所です。枢機卿団の会合なども、そこで行われます」
「お偉方だけが集まる御殿、というわけか。クサいな」
黒衣のベリャーエフは、どうでしょうか……と顎をさすった。
「わたしなら、教皇の住居を監禁場所には選びませんね。万が一、ことが露見したときのリスクが高すぎます。裏では王位の簒奪を狙っていたとしても、正教会は権威を保つ必要がある……組織の頂点に立つ教皇や枢機卿たちが、悪事に加担していたという印象は残したくないでしょう」
「理屈ではそうかもしれんが……他に探すべき場所がないぞ」
ルーウーがいらだったように喉を鳴らすと、アントンは押し殺した声で耳打ちしてくる。
「……聖母リリムッ、こ、この方々はいったい、なんなのですかっ!?」
「なにって……仲間、よ。大司教を救いたいなら、早く慣れて。それと、こんなときだけ聖母とか呼ばない」
ピシャリと突き放すと、青年司祭はシュンとして「はい……」とつぶやく。
そのとき、別の図面を手元に広げていたメイヴが口を開いた。
「地上にそれらしい場所がないとすれば、やはり……地下でしょうか。実は、〈秘儀の間〉に行ったときから感じていたことがあるのですが……」
「なんでしょう、教えてください」
ベリャーエフにうながされて、メイヴは言葉をついだ。
「この大聖堂は、年代の異なるいくつかの構造物が、積み重なるように建てられているのではないでしょうか」
「積み重なる……というと?」
「おそらく、初代の聖堂は、〈神の杖〉が祀られていた、あの部屋だったのです。その上に、塔のような建物が建っていた……」
「塔、ですか」
「ええ。そう考える根拠はあります。創建当時、このあたりにはクレーターが広がって、低湿地になっていたはずですが──」
メイヴがそこまで言うと、ソファに寝転がったムーゲンが声をあげて笑った。
「なっていたはずです、だと? ずいぶんと白々しい物言いだなぁ、妹よ」
「コホン……とにかくです。現在の大聖堂周辺は、むしろ市街地よりも高台になっていますよね。これは街づくりの過程で、シャトーナの人々が大穴を埋め立て、城塞都市に取り込んでいった結果でしょう。やがて、最初の聖堂は大地に沈んだ……〈秘儀の間〉の螺旋階段、あれも本来は地下に降りる階段ではなく、塔を登るためのものだったと考えれば、辻褄は合います」
「それってつまり、〈秘儀の間〉の入り口は……埋もれた塔のてっぺんだった、ってこと?」
わたしが訊くと、メイヴは「そうなりますね」とうなずいた。
「〈柱の聖母〉が残した大柱が大聖堂の礎になったという伝承も、〈神の杖〉そのもののことではなく、その塔を指していたのかもしれません。いずれにしても、埋もれた塔の上に第二の聖堂が建ち、さらにそれを飲み込むように現在の大聖堂が建てられていった……問題は、その第二の聖堂です」
メイヴは手にしていた地下の図面をテーブルの上に広げた。
「見てください。ここと……ここ、それからここも……通路だけがあって、先には何の部屋も描かれていません。こんな造りは不自然です。わたしの推測が正しければ、これは古い時代の回廊の名残り……そして、その奥には──」
「図面にはない、第二の聖堂がある……?」
わたしが言うと、アレクセイが青年司祭の顔を見た。
「そなたは、どう思う。侍女殿の推理は興味深いが、もし未知の遺跡があるとすれば、探索にどれほどの時間がかかるか読みきれない。地下に潜るか、使徒宮殿やその他の建物を探るか……どちらかに注力せざるを得ないだろう。ここは大聖堂をよく知る、そなたの意見に従うのがよいと思う」
全員の視線が、アントンに集中する。
青年司祭は、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「そ、そうですね……それは、なんというか……たしかに昔から、大聖堂の地下にはあやしげな逸話がいくつもありますが……しかし、あくまでも可能性という見地から申し上げれば──」
「あぁなんだ、まだるっこしいっ。地上か、地下か、さっさと決めぬか、このヘタレめがっ」
ムーゲンに一喝されて、アントンはウグッとうめく。
「ち、地下ですっ……地下に行きましょうっ」
「よしっ、決まりだな。では、そちらはお前たちに任せるぞ」
妖精の元女王は、長い脚をプラプラさせながら歌うように言った。
「ちょっとムーゲン、任せるって……また手伝ってくれないつもり?」
「そう目くじらを立てるな、リリム。わたしにも考えがある」
「ふーん。考えって?」
「なーんだ、その疑わしそうな目は。いいか、そもそも我らの探し物は、ふたつだろう」
「大司教と……〈スクーンの石〉?」
「そうだ。だから、わたしは〈石〉のほうを手配してやろうというのだ」
「〈石〉を、手配……?」
わたしが聞き返すと、ムーゲンはソファに両肘をついて顎をのせた。
「考えてもみろ。大司教とやらを見つけ出しても、〈石〉まで同じ場所に隠されているとは限らない。そうなったら、どうするのだ。この石材だらけの大聖堂で、石板1枚探すというのは、人間ひとり見つけるより難しいぞ」
「それは……」
木を隠すなら森の中、石を隠すなら石の中……か。
くやしいけれど、たしかにムーゲンの言う通りだった。
「……わかった、降参。じゃあ、ムーゲンなら、どうするの?」
「簡単なことだ。盗まれた〈石〉など、放っておけばいい」
「へっ……?」
「差し迫った問題は、盗まれた〈石〉の行方ではない。王位の継承だ。では、件の〈石〉が王位継承に欠かせないとされているのは、なぜだった」
「それは……シャトーナの要石から切り出された、王土の象徴だから?」
「正解だ。ならば、儀式に用いられるのが、盗まれた〈スクーンの石〉である必要はない。たかだか石板1枚、また切ってくればよいではないか」
「──っ!」
「いやいや、待ってくれ、ムーゲン殿。それはあくまで、あの石板の伝承であって……要石の場所を知っている者などいないのだぞ」
アレクセイが言うと、ムーゲンは「ハッ」と鼻で笑って、クルリと起き上がった。
「王土を支える要石の位置も知らずに、よくも統治者を名乗れたものよ。だが、まあいい。人間の知恵がアテにならぬことくらい予想がついていたからな。ついては……そこの魔族の娘。しばし、顔をかせ」
ディアナは、面食らったように目を瞬かせた。
「わたくし、ですの?」
「そうだ。お前には巫女の気質があるからな。本来なら、メイヴとリリムもほしいところだが……贅沢は言えんな。あとは魔族のメイドどもで、どうにかなるだろう」
「どういうことです。いったい、お嬢さまに何を──」
眉をしかめたベリャーエフに、ムーゲンはニヤリと笑ってみせた。
「なに、大したことではない。少しばかり、子守に付き合ってもらうだけのことよ──」