アンデッド運びは、お嬢さまには不向きな仕事です
「ううっ……」
両腕をめいっぱい伸ばしたミリツァが、うめき声をあげる。
長い柄杓を握ったわたしは、小さく息を吐いた。
「無理しなくていいよ、ミリツァ。やっぱり、王妃さまやシルヴィアさまのそばに──」
「いっ、いいえ、わたくしだけ、そういうわけにはいきませんわっ……さあ、遠慮なくっ」
顔色は真っ青なクセに、ミリツァは強情を張ってみせる。
借りもののメイド服に身を包み、輝く金髪をうしろに束ねた公爵令嬢……そのやる気は疑わないけれど、細い腕はプルプル震えて、差し出した木桶を今にも取り落としてしまいそうだった。
「リリムさんっ、どうか……ひと思いにっ」
「わかったから落ち着いて。じゃあ、いくよ?」
ズニュル……
わたしが柄杓をひっくり返すと、濁った色の赤黒いゼリーが桶に流れ込む。
その塊がモゾモゾと蠢く感覚に、ミリツァは「ひっ……」とかぼそい悲鳴をあげた。
翠玉宮、庭園の片隅。
晴れ渡った空の下、木漏れ日の揺れる茂みの陰で、わたしは目の前のバスタブを見つめて溜め息を吐いた。
すっくと大地に立った、ネコ脚の浴槽。
それだけでも異様な光景なのに、純白のバスタブの中では、生きたゼリーたちが弱々しく身を震わせている。
始祖王の体組織──
かつて大聖堂の地下、〈秘儀の間〉を埋め尽くしていたアンデッド……みずから異形の不死者となった始祖王の肉体を〈神の杖〉で増殖させたもの。
このブヨブヨが生み出された背景には、王家のスキルを後世に伝承しつづけるための、始祖王の壮絶な決断があったはずだ。
それなのに──
「あいつら……地下で会ったときより、今のほうが腹立つわね……」
わたしはひとり、悪態をつく。
襲撃者が撒いた毒に冒されて、始祖王の体組織は大半が死滅してしまった。
魔族たちが〈転送〉してきたこのバスタブに入っているのは、そのわずかな生き残りにすぎない。
でも、今のわたしにとって、問題なのは……そこじゃない。
アンデッドは、それ以上、経年劣化しない。
王権の象徴を伝えるため、1000年前に始祖王メロヴィクスが残したのは、とってもフレッシュなアンデッドだった。
けれども、ならず者たちに〈聖水〉をかけられて〈生命陰陽〉が反転したブヨブヨは、その重要なアンデッドとしての性質を奪われてしまっている。
刻一刻、自然の摂理にそって崩壊していく肉塊たちからは、かなり危険な香りが漂いはじめていた。
ベリャーエフが腐敗の進行を抑える処置を施していなかったら、今頃は想像もしたくないような状態になっていただろう。
──はぁ……シルヴィアさまを呼ぶ前に、ディアナにあたりの臭いを吹き飛ばしてもらわないと……。
わたしは顔をあげて、穴のふちに立つ魔族令嬢に目を向けた。
ディアナは表情を固くして、祈りでも捧げるかのように、じっと暗い穴の奥を見つめている。
その前髪を、吹き上げる風が揺らしていた。
〈採掘師〉のラモンが掘った竪穴は、街中で見かける井戸よりひと回り小さいサイズだった。
周囲の土が崩れないように掘り上げた残土を突き固めてあるので、見た目には井戸というより、火山を模した築山の火口部分といった感じ。
穴の深さは、注文通り20mほどあるので、薄暗い底に何があるのかは目をこらしてもわからない。
これなら、幼いシルヴィア王女も怖い思いをすることなく、アンデッド退治に挑戦できるはずだ。
シルヴィアが垂らす毒薬が行き渡るように、わたしが〈湧水〉で1mほど水を張って準備は完了。
あとは、ブヨブヨの肉塊たちを穴の底に下ろしていくばかり……なのだけれど、その作業は想像以上に、骨が折れた。
問題は、アンデッドたちのステータスだった。
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メロヴィクス・ティシュー Lv.1 HP1/2
メロヴィクス・ティシュー Lv.1 HP2/3
メロヴィクス・ティシュー Lv.1 HP1/2
……
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乱暴に穴に放り込んでしまえるなら、バスタブをひっくり返せば一瞬で終わる作業なのに、この状態ではそうもいかない。
HP1のかよわい生き物を、20mも落下させたら……結果は目に見えているし。
みんなであれこれ考えた挙句、風を操るスキルの得意なディアナが、上昇気流を作ってブヨブヨたちの落ちる速度を調整することになった。
繊細なコントロールが求められるうえに、アンデッドたちの醸すニオイが吹き上げてくるのだから、すました顔をしてはいても、ディアナは相当きついはずだ。
──まったく、あのわがまま妖精っ……ちょっとは協力しなさいよっ。
わたしは、心の中で舌打ちする。
本当なら、アンデッドたちを穴に下ろす補助役は、ムーゲンがやるはずだった。
ムーゲンのスキル〈想いの盾〉は、あらゆる物理的な状態の急変を拒絶する。だから、「加速度の急変」である衝突のショックも無効化できるのだ。
ところが、庭園に出た妖精の元女王さまは、フワリと漂ってきたアンデッドの香りに鼻をひくつかせると、「うむ……やはり、わたしは遠慮しておこう」という謎のコメントを残して宮殿に逃げ込んでしまった。
「はぁ……何が遠慮しておこう、よ」
魔女が大鍋でもかき混ぜるような長い木の柄杓を手に、わたしが何度目かの溜め息を吐いていると、空になった木桶をぶらさげて双子のラウラが戻ってきた。
「どう? ……ディアナは大丈夫そう?」
「ええ、なんとか」「お嬢さまは、お強いので……」
ふたりのラウラは困ったように微笑んで、同時にディアナを振り返った。
「ああもうっ、ムーゲンのやつ……いつか腐ったスライムに突っ込んでやるんだから」
「あらあら」「過激だわ」
ラウラは顔を見合わせて、クスクス笑う。
双子の背後からやってきた黒衣のベリャーエフが、肩をすくめて言った。
「お嬢さまよりも、ブランコヴィチ公爵令嬢のほうが心配ですね」
「ミリツァが? どうしたの?」
「手が震えて、アンデッドを地面にこぼしてしまわれて。あわてて、いくつか踏みつけてしまったようですが……いやはや、心の傷にならないといいが」
「あちゃ……だから、無理しないでって言ったのに……」
「茫然自失のご様子でしたので、東屋で休まれるようお勧めしておきました。まったく、我がアイデアながら、これほどまでにお嬢さま方に不向きな仕事になるとは、思い至りませんでしたよ」
もう少し大きな穴を掘らせれば、浴槽ごと底に〈転送〉できたのでは……? いやいや、それでは毒薬を垂らすのが困難に……などと今更なことをつぶやきながら、ベリャーエフはアンデッドの桶を持って、また築山を登っていくのだった。
そんなこんなで、わたしたちがアンデッドたちを運び終えたのは、午後の日が傾きかけた頃だった。
見苦しいものを片付け、渋るムーゲンを引っ張り出してみんなの汚れを〈洗浄〉させ、ディアナが空気を入れ替えると、ようやく庭園にいつもの清浄な雰囲気が戻ってきた。
「王女さまのお成りです」
宮廷侍女のドロテアが凛とした声で告げると、子供用の乗馬服を着た小さな王女がやってきた。
緊張しているのだろう、唇をキュッと噛んで、身構えるように握りしめた手を脇腹に当てている。
「シルヴィアさま、ペンダントがよくお似合いですよ」
わたしが微笑みかけると、シルヴィアは珍しくツンとして言った。
「もっとこれに合うお洋服があるのだわ。せっかく聖母がくれたものなのに」
「まあ、うれしい。それなら、また別の機会にも身に着けて見せていただけますね?」
──ほんとは、災厄の日までずっと着けててほしいんだけどね……。
シルヴィアのうしろからやってきた王妃さまと目が合うと、事情を知る王妃さまは小さくうなずいた。
銀色の小さなペンダント。
〈彫金師〉のゴリオ老がリメイクしてくれたそのアクセサリーは、もとはといえばシルヴィアがドロップさせたレアアイテムだ。
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〈豊穣神の首飾り〉: 使用レベル Lv.1〜
神々をも魅了する豊穣の女神の加護を受けたアクセサリー。装備者のレベルが50未満の場合、HPが2秒ごとに、最大HPの5%ずつ回復しつづける。装備者のレベルが100未満の場合、発動確率が設定されているスキルの発動率を最大5%上昇させる。また、獲得経験値が50%増加し、スキルの獲得率が5倍になる。
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この場では、何がともあれスキル獲得が大事。
けれども、これから命の危険にさらされるかもしれない王女にとって、瀕死の状態からでも40秒で全快させる豊穣の女神の加護は、強力な味方になるはずだった。
「では、おそれながら……王女殿下、よろしいでしょうか」
ベリャーエフがうやうやしくお辞儀をすると、シルヴィアは「も、もちろんよっ」と小さな足でノシノシ築山を登っていく。
ズボン姿もかわいい……。
わたしが、その幼い背中に見入っていると、ふいに耳元で消え入りそうな声がした。
「あの……リリムさん……」
「うわぁっ、ビックリしたっ。何よ、ミリツァ、どうしたの?」
「シッ……どうか、大きな声は──」
「ごめんごめん……でも、大丈夫? さっきより顔色悪くなってるよ?」
完全に顔面蒼白になったミリツァは、フラリとわたしの肩に手を置いた。
「わたくし……わたくし、どうしたらいいのか……」
「え、何、どうしたの……!?」
「踏んだだけなのです……踏んでしまっただけなのに──」
そのとき、ベリャーエフの明るい声がして、にわかに周囲が騒がしくなった。
「獲得されましたっ……王女殿下が、王家のスキルを──!」
「おめでとうございます、シルヴィアさまっ!」
歓喜の声に包まれながら、ミリツァは救いを求めるような目でわたしを見つめた。
「か、獲得して……しまいました……わたくしも……お、王家のスキルを──」