裏の顔を持つ〈採掘師〉は聖母のオファーに息を飲む
「……ここは、先ほども調べたのでは?」
翠玉宮、東の庭園のはずれ。
木立ちの中を歩きながら、剣の柄に手を置いた薔薇の騎士オクタヴィアンが冷ややかに言った。
L字型の金属棒を手に持った〈採掘師〉は、振り返りもせず言い返す。
「仕事の邪魔だ。ちいとにゃあ、黙っとれ」
ラモンは〈尋水術〉で、王宮の地下にある水脈の位置を慎重に調べるのだという。
「それとな……べったりあとをついてこんでも、逃げも隠れもせんぞ」
「どうだか。武闘会の折は、穴を掘って逃走したそうではないか」
「おー、そう言や、おみゃーはあのあと、植物娘に競り負けたげな、騎・士・さ・ま」
「ぐっ……」
「おっとあかん、聖母さまが睨んどる。集中集中──」
そんな様子を見守りながら、わたしは庭園の東屋で溜め息を吐いた。
向かいに座った金髪の令嬢は、さっきから手に取ったティーカップを口に運ぶでもなく、不安そうにうつむいている。
「あの……ごめんね、ミリツァ。急に呼び出したりして」
「いいえ。これも、シルヴィアさまのためですもの」
ブランコヴィチ公爵家の令嬢ミリツァは、どこかぎこちなく微笑んだ。
──そりゃそうか……。
王太子のパーヴェルに隠れて、得体の知れない暗殺者を王宮に招き入れるなんて、普通ならありえない。
いくら王妃さまの許しがあったとしても、あの冷徹王子が激怒するのは目に見えている。
わたしは小さく息を吐いた。
飛び立った小鳥を追って何気なく視線を上げると、昼下がりの日射しが目に痛い。
澱んだ霧に沈んでいた早朝の倉庫街と、この庭園が同じ街にあるとは思えないほどに。
〈採掘師〉のラモンを捕縛したあと──
わたしたちはカリダド商会の拠点だった廃工場に戻っていた。
半獣の機械兵器ハーヴグーヴァが隠されていた裏手の倉庫は、巨獣が動き出したときに大破して、原形をとどめていない。
アレクセイは、あたりを見回して言った。
「こちらの調査は国軍に任せて、損傷の少ない加工場のほうを調べるか」
「なぜですか?」
「いや、この瓦礫の中から手がかりを探すとなると……」
わたしは、ふむ、とつぶやいて、折れて傾いた柱に手を触れた。
「〈修復〉──!」
「む……その手があったか」
そして──
壊れる前より、ずいぶんこぎれいに直ってしまった倉庫の鉄扉は、重い音を立てて開いた。
薄暗い内部には、積み上げられた大量の木箱に、しっかりと布で覆い隠された機械の群れ……。
「これは……?」
アレクセイが布のひとつを引き剥がすと、光沢のある機体が顔を出す。
ムーゲンは、苦々しい顔でつぶやいた。
「やはり、あったか──」
それは、ミュルクの森でわたしたちを苦しめた、ペダチェンコ男爵の発明品……鋼鉄の獣。
卵からかえる直前の魚の胚を思わせる、ヌルッとした顔つきの機体。それが20体以上も、微動だにせず暗がりに並んでいる様子は、ただただ不気味だった。
木箱から取り出した爆薬の包みを確認しながら、オルタンスがたんたんと言う。
「人並外れた異能を持つカリダド商会の私兵たちが、みずからその機械に乗るつもりだったとは思えません。素人の活動家たちを焚きつけて、王都を襲撃させるつもりだった……あの巨獣は、その機械兵団の中心となる兵器だったはずです。もしかしたら、マーサさんははじめから、あの怪物と〈融合〉させる人間の候補として目をつけられていたのかもしれませんね」
「おぞましい話だ……だが──」
アレクセイは、鋼鉄の獣のコックピットをのぞきこみながら言葉を切った。
「正直、意外だな。異端を嫌う正教会が、こんな悪魔的な錬金術の利用を認めるとは」
「そういえば、ミュルクの森で、ペダチェンコ男爵の記憶に潜ったとき、気になる会話が聞こえたんです」
「会話?」
あのとき、わたしに聞こえたのは──
──では男爵、お約束いただけますね……そのときが来れば、こちらについてくださると。
──ええ。彼らの全面的な庇護が受けられるのなら、王家に忠誠を尽くす必要などありません。ご協力しましょう、あなたたちの王国簒奪にね──。
「会話の相手が、カーゾン伯派や、その依頼を受けたカリダド商会の人間だったとしたら、王家にかわって庇護を与えると約束したのが……」
「正教会、ということか」
そのとき、はわわわっ……と、はしゃぐような声が倉庫の入り口から聞こえてきた。
ハーヴグーヴァの巨体を指差しながらジタバタ暴れるアンナの襟首を、槍をかついだオリンピアがズルズルと引きずってくる。
「にゃあああっ、もっと近くで見たいのですぅぅ」
「アンナ、いい加減にしなさいっ」
「ふんっ、ふんふんっ、オリンピアのいじわるっ。やっぱり、アンナがこっちにくればよかったのですぅ」
オリンピアは、溜め息を吐いて訊いた。
「それで? ちゃんと、国軍には通報できたのね?」
「あったりまえですぅ、倉庫街で喧嘩があって大変なのですと、東門の詰め所で兵士のおじさまたちにお伝えしたきたのですっ」
ベーだっ、とアンナは舌を出す。
これは、わたしたちが事前に計画していたことだった。
カリダド商会の傭兵たちを切り離したあと、アンナは反体制派の拠点を適当に無力化した上で通報し、国軍の注意を倉庫街に引きつける。
パーヴェルなら、この廃工場で戦闘があったという情報もすぐにつかんで、調査の範囲を広げるはずだ。
アレクセイは、硬い声で言った。
「もう、あまり時間がないな……できれば、大司教の監禁場所や〈スクーンの石〉の在りかを示すものが、この隠れ家で見つかればと思っていたのだが」
「うーん、他にも何か──」
わたしがうなるったとき、ふいに現れたカゲが変色したバケツを差し出した。
「これはどうだ、主人殿」
「バケツ?」
「……の、中身だ」
「あ……うん、知ってた」
冷ややかな視線には気づかないフリをして、バケツをのぞきこむ。
黒くひび割れた破片が積もっている。これって──
「バケツに、紙の燃えカス……これはたしかに、あやしいね」
炭化した紙にそっと指先で触れて、〈修復〉をかけてみる。
直すべきものが薄いからか、紙の束はあっという間に復元されて、筒状に丸められた大判の書類の束にスポンと変わった。
「これは……設計図?」
「ああ、建物の図面だな。見たところ……大聖堂のようだ」
「──!」
みんなの視線が、パラパラと図面を確認しているカゲに集まる。
「これを見ろ、主人殿。礼拝堂、地上階の床伏図だが……爆破された祭壇の位置に、印がついている。これを、地下の図面と重ねると──」
「あっ、下に柱が……」
「そうだ。損害が大きくなるよう、構造上、効果的なポイントを割り出して爆薬をしかけたのだろう」
「これって……爆破事件の犯人が、ここにいたっていう証拠になるよねっ?」
「然り。この図面と爆薬があれば、少なくとも、大聖堂の爆破事件を計画したのが、反体制派とつながった武装集団だったことは明らかにできる」
カゲの慎重な口ぶりに、わたしは首をかしげた。
「少なくとも、って?」
「カリダド商会の連中が、素直に組織の名前を吐くとも思えぬ。背後にいる正教会やカーゾン伯派に捜査の手が及ばぬことは、言わずもがなだ。この図面は、あくまで事件の表層的な構図を示す証拠にしかならないだろう」
「え、それじゃあ……」
「いや、そんな顔をするな主人殿。この資料が国軍の手に渡ることには、十分な意味がある。犯行をくわだてたのが革命勢力だと示せれば、悪魔崇拝者による犯行という異端審問官の説は否定されるのだからな」
「それって、つまり──」
「ああ、正教会が小さな侍女殿を拘束する根拠がなくなる、ということだ。王子と魔族のディアナ嬢も、身を隠す必要はなくなるだろう」
カゲが言うと、アレクセイは力強くうなづいた。
ポポを解放できる……!
わたしたちは、丸めた図面を再びバケツに突っ込んで、さりげなく壁ぎわの事務机の下に押し込むと、廃工場を出た。
飛んだ先は、ディアナが潜伏している〈毒芥子の丘〉の屋敷──。
窓もない地下の隠しフロアでは、篝火があやしい影を作る。
手枷につながれた〈採掘師〉のラモンは、鎖をジャラリと鳴らすと胡乱な目でわたしを見た。
「で……聖母さまには、こういうご趣味が?」
「バカなこと言わないで。わたしと取引しましょう」
「あかん、さっきまで気絶しとったで、意識がボヤけとる……いま、オレと取引する、と?」
「そうよ。ほしいのは情報……それと、肉体労働がひとつ」
ラモンは、ふへっ……と気の抜けた笑い声を上げた。
「オレらの相場は高いでな。あんたに払えるとは思えんね」
「ふうん。取引に応じないなら、あなたの記憶をスキルで読むこともできるんだけど──」
強気を装って言うと、〈採掘師〉の目がスッと細くなる。
ラモンは、ゾッとするような冷たい声音で言った。
「やめときゃあ。いらんことまで知ったら、あんた、死ぬしかにゃーわ」
わたしは、ゴクリと生唾を飲み込む。
あらかじめ覚悟していても、背筋が寒くなるなんて……やっぱ、このひと、危険だわ。
わたしは、無理に笑顔を作った。
「……と、あなたが言うだろうと、カゲからアドバイスをもらっているので、やりませーん」
「お、そーかそーか。さすがはご同業」
ラモンは、もとの調子に戻ってニヤリと笑う。
実はここに着いてすぐ、ムーゲンが問答無用でラモンの記憶を読もうと主張した。
それに強く反対したのが、カゲだった。
いわく、プロの暗殺者として生きてきた〈採掘師〉の記憶を、丸ごと読むのはリスクが大きすぎる。
知る必要のない情報に触れてしまったら、いや、実際に何を見たかに関係なく、余計なことまで知られたかもしれないとラモンが判断したが最後、〈採掘師〉は全力でわたしたちの口封じにかかってくるはずだ……そんな死闘は、お互いにとって何のメリットもない──。
「そのかわり……わたしは、これを取引の材料にしようと思ってる」
握っていた拳を開いて、真っ赤な輝石を見せるとラモンの視線はわたしの手のひらに釘付けになった。
「まさか……まさか、あんた、それは──っ!?」
「大火山スルトの火龍の心核……熟練彫金師のおじいさんが、傷ひとつない最高の素材だと認めた逸品よ──」