囚われのメイドに贈る、トドメのキス
陶器の人形のように、真っ白な腕──。
肩の付け根まで蝕まれて、血流が止まったのだろう。マーサの手はどんどん冷たくなる。
〈融合〉の進行率95%──
プチプチプチ……。
小さく、泡立つような音を立てながら、肉塊はマーサの身体を飲み込もうと増殖を続けていた。
時間がない。
でも、焦っちゃダメだ。
正確に。ひとつひとつ。確実に──。
「いち……に……さん……」
つぶやきながら準備を終えたわたしは、フーッと息を吐いた。
「じゃあ……いくよ」
ひんやりしたマーサの手の甲に……わたしは静かなキスをする。
ムーゲンが、ギョッとして声をあげた。
「おいっ、リ、リリム──ッ!?」
ドクンッ……
床下を這う人造生命体の組織が、血管のように大きく脈を打つ。
冷え切ったマーサの手を通して、静電気のようにピリピリとする何かが、わたしの中に流れ込んでくる。
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〈夢魔〉=口づけをして相手の精気を吸い取る。ただし、対象には〈催眠〉または〈睡眠〉が付与されている必要がある。
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生命のエネルギーを吸い取るスキル……。
じんわりと喉の奥が熱くなるところは、まるで激辛のエスニック料理でも飲み込んだあとのようだ。
「ん……よしっ、効いてるっ」
唇を離して身を起こすと、わたしはパチンッと指を鳴らした。
ドグッ……ドドクンッ……ドッ……
化け物の組織が、みるみる不健康な紫色に変わっていく。
ベチャベチャとおぞましい音を立てて暴れ回る様子は、もはや脈打つというより、のたうちまわっていると表現したほうがいいくらいだった。
〈融合〉の進行率96%──
小刻みに揺れる室内で、ムーゲンが硬い声で訊いた。
「おいっ、いったい何を──」
「静かに……みんなで、化け物の命を吸ってるから……」
「なにっ!?」
「とにかく……何かあったら、また守って。信じてるから」
「おまっ……チッ、勝手にしろっ!」
ぷんすかしているムーゲンには、見えていない。
マーサの手に群がる、幽霊のような無数の影……〈ボクだけの友達〉で作った分身たちは、わたしが組み立てた〈手続き記憶〉にしたがって、猛烈な勢いでハーヴグーヴァの生命を吸い出していた。
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ステップ1: ハーヴグーヴァを〈鑑定〉し、HPが0でないことを確かめる。
ステップ2: スキル〈ボクだけの友達〉を発動し、分身を3体発生させる。
ステップ3: 次にリリムが指を鳴らしたら、スキル〈補集合〉をかけた状態でマーサにスキル〈夢魔〉を使う、と決意する。
ステップ4: 分身3体に、スキル〈手続き実行〉を発動させると決意する。
ステップ5: 分身3対に、スキル〈手続き実行〉を発動させる。
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57829……39672……26750……14703……
半獣の機械兵器のHPは、みるみる急降下していく。
〈融合〉の進行率は……98%──
「お願い……間に合ってっ」
メキャッ……メキャメキャッ……
しおれた骨格が巨体を支えきれないのか、怪物の身体の奥底から、何かがへし折れる不快な破壊音が響いた。そのとき──
ギャギォォォォォォォォォォォォォォンンッ……
死の危険を察知したのか、巨大な人造生命体が咆哮した。
「ダメッ……目を覚ましたら、〈夢魔〉がっ──!」
叫び声もむなしく、わたしの分身たちの姿はゆらゆらと霧のように散っていく。
敵が目を覚ましたら、〈夢魔〉は効かない……実行が不可能になれば、〈手続き実行〉はひとりでにキャンセルされる──。
〈融合〉の進行率99%──
ブシュウゥゥゥゥゥゥ……と脇腹から蒸気を噴出させる音。
まるで、この機械兵器が、不覚にも眠ってしまったボディを再起動させているかのように……。
もう少し……もう少しで、倒せたのにっ!
「あ゛ぁぁぁっ……」
わたしの絶叫に呼応するように、ハーヴグーヴァはノイズの混じった不気味な声で、再び咆えた。
ガギョォォ……ォォォッ……ォッ……オゴガッ……
「──?」
その咆哮はどこか苦しげで、むしろうめいているようにさえ聞こえる。
なんで……?
ハッチの外を見上げていると、ムーゲンが鋭い声を発した。
「リリムッ……見ろっ!」
「えっ……?」
ギュブルッ……ブルルッ……
マーサの身体を侵蝕していたピンク色の肉塊が、激しく波打っている。
「これって──」
そう言いかけたとき、崩れ落ちる肉塊からドロドロの液体が噴出して、わたしの顔を直撃した。
「$%$$"#%$#&#$%」
「離れろ、リリムッ」
「でも、マーサさんが……ああっ!」
ピンクの肉塊は、あっという間に乾ききってひび割れ、赤黒い薄片に変わっていく。
その下から、傷ひとつない人間の肌が……まるで、黒バラの花びらで満たされた浴槽に横たわっているかのように浮かび上がってきた。
妖精は、信じられないという顔でつぶやいた。
「まさか、あの状態から……人間の身体が復元されたのか?」
復元……いや、それだけじゃない。
カプセル状の寝台の底では、まだボゴボゴッ……と濁った音がしている。
人間の身体のほうが、巨大な怪物を取り込んでいるのだ。
わたしは思わずよろめいて、壁に手をつく。
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マーサLv.51 HP5438/7850
ハーヴグーヴァLv.100 HP4521/98765
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HPが高かったほうが、融合体の支配権を握る。
人造生命体のHPは、巨獣が目を覚ます直前、マーサのそれを下回っていた──。
「やっ、やった……やった──っ」
次の瞬間、わたしに鑑定えていたステータスはかき消えて、別の表示が浮かび上がってきた。
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〈融合〉: 進行率100%
……
マーサ+Lv.100 HP9959/106615
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「まぁさ……ぷらす……?」
首をかしげたわたしに、ムーゲンが言った。
「とにかく、その者が動かせる状態か確認しよう。こうなった以上、化け物の身体がいつ崩壊するかわからぬからな」
「そうだね……」
カプセル状の寝台の横に立って、わたしはゴクリと唾を飲み込む。
人間の側が勝ったとはいえ、〈融合〉を止められたわけじゃない……ひょっとしたら、この黒ずんだ破片に埋もれたカプセルの底では、まだ機械兵器とマーサがつながっているのかも──。
わたしはおそるおそる、マーサの顔の上半分を、何重にもおおっている赤黒い塊……生乾きのクラゲのような物体を、慎重に引き剥がしていった。
ツンとした気の強そうな鼻……固く閉じられた目元……
そのあたりまで見えてきたとき、ふいにズニュルッ……と頭部に喰らいついていた肉塊の残骸が外れて、メイドにしては豊かすぎるマーサの髪が、カプセルの中に広がった。
「なっ──」
「これが〈融合〉……だというのか?」
絶句するわたしとムーゲンに囲まれて、融合体〈マーサ+〉は、スヤスヤと寝息を立てるのだった──