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嘘から出たまこと

作者: 聖澤瑞香

「あのね、まこと。あなたはついた嘘を現実にする力を持っている……、いわゆる魔法使いなのよ」

 突然のお母さんの告白に、小学四年生の相羽(あいば)まことはどう反応したらいいのかわからずに困惑した。




 そもそも、何故お母さんがそんなことを言い出したのかというと――。

 今まさに、まことはお母さんに怒られているところだった。

 学校を終え家に帰ったまことは、ずっとテレビにかじりついてアニメを見ていた。

 そんなまことを見かね、宿題は終わったのかと聞いてきたお母さんに「終わった」と答えたものの、リビングに置きっぱなしにされたランドセルを開けたことは一度もなく、すぐに嘘だとバレてしまった。

「早く終わらせちゃいなさい」

 お母さんの言葉を受け、しぶしぶランドセルからノートを取り出しそれを開くと――、何故か宿題は終わっていた。

 この日、まことは友だちと遊ぶことなくまっすぐ帰ってきたし、一人っ子だから家の中で誰かが代わりにやってくれたとは考えられない。

 それなのに宿題は完璧に終わっている。

 いったい、これはどういうことなのだろう――?

 不思議そうな顔をしたまことに、お母さんが「どうしたの?」と尋ねた。

「……やってないのに宿題が終わってる」

 驚きのあまり、素直に答えてしまったまことに、「そういうことね」とお母さんはうなずいた。

「まこと。実はあなたに黙っていたことがあるの」

「えっ? 何?」

「実はね……」

 言いづらそうにしているお母さんに、まことはゴクリと唾を飲んで次の言葉をじっと待つ。

「まこと、本当は人間じゃないと思う」

 人間じゃない――?

 冗談とは思えないマジメなトーンでの告白に、まことは一瞬言葉を失ったが、やがて素直な気持ちがポロッと口からすべり出す。

「……どういうこと?」

 そうしてお母さんは先ほどの言葉を口にしたのだ。

「あのね、まこと。あなたはついた嘘を現実にする力を持っている……、いわゆる魔法使いなのよ」




 そして今――。

 目の前にはマジメな顔をしたお母さんがいる。そんなお母さんを前にして、まことは「……意味わかんないんだけど、どういうことなの?」と繰り返す。

「これは家系ね。実は私もそうなの。むしろ、私が魔法使いだから、あなたが生まれたのよ」

 いったい、この人は何を言っているのか――。

 ぽかんとしたまま言葉を失っているまことの様子にも気づかず、お母さんはどんどん話を進めていく。

「私ね、両親のすすめでまことのお父さんじゃない人と結婚させられそうになったことがあったの」

「えっ? そうなの? 初めて聞いた……」

「そうなの! それでつい、そのとき付き合っていたお父さんとの間に子どもができたから無理! って言っちゃったのよ。そうしたらその直後に本当にまことがお腹の中にいるってわかってね? 無事にお父さんと結婚することができたのよ~!」

「いやいや、それは魔法とかって話じゃなくて、そのときすでにお腹の中にいたってだけの話でしょ?」

 あきれた娘の様子にようやく気づいたらしいお母さんは、「うーん、でもそういうことじゃないのよねぇ」と困ったように笑いながら、「まぁ、とにかく!」と説教の姿勢を立て直す。

「嘘は嘘でも、ついていい嘘と悪い嘘があるってことだけは覚えておいて。あなたの場合、悪い嘘はシャレにならない事態を引き起こす可能性があるからね?」

 嘘を現実にする力があるなんて、簡単に信じられる話ではない。

 だけど、それならこの宿題を終わらせたのはいったい誰なのか――。

 答えがびっしりと書かれたノートを目の前に、まことはただただ不思議がることしかできなかった。




「まことちゃん。今日、美代(みよ)ちゃんの家で遊ばない?」

 そんなある日の放課後。

 見たいアニメがあるため早く帰りたいと思っていたところ、クラスメイトの河村花絵(かわむらはなえ)に声をかけられてしまった。

 今日はどうしてもまっすぐに家に帰りたい。

 だからとっさに嘘をつく。

「ごめん! 今日、お母さんに用事を頼まれてるんだ。また今度誘ってくれる? ごめんね!」

「そっか。それなら仕方ないね」

「また今度遊びに来てね」

 嘘だとバレることもなく花絵や美代に見送られ、二人に悪かったかなと思いながらも内心ホッとしながらまことは家へと帰った。

 そうして予定どおり見たかったアニメを楽しんでいると、「ごめん、まこと。ちょっといい?」とお母さんに声をかけられた。

 嫌な予感がして、おそるおそる声がした台所のほうへ行くと、お母さんは夕食の準備で忙しそうに動きながら、「片栗粉切らしちゃったから、ちょっと買ってきてくれない?」と言って、まことに財布を渡した。

 夕ご飯の準備で忙しなく動いているお母さんの頼みを断ることはできない。

「今アニメ見てるのに……」

 ブツブツ文句を言いつつも、また一つ、嘘が現実になってしまったことを思うと、嘘をつくならもっと慎重につくべきかもしれないと考え始めていた。




「相羽、宿題の提出は今日までだぞ? 忘れたのか?」

 先生の声にまことは言葉をつまらせる。

 この日はちゃんと宿題をやっていた。それなのに、そんなときに限ってうっかりノートを家に忘れてきてしまった。

 正直に謝ってしまおうと思ったそのとき――。

 ふと思い立ち、「ロッカーにあります」と言った。

 本当に魔法の力があるというなら、きっと今の言葉の力でノートはロッカーに入っているはず。

 そう思ってまことは立ち上がりロッカーを探った。

 すると家に置いてきたはずの宿題がロッカーの中に入っていた。

 やっぱり魔法はあるんだ――!

 このとき、まことの中で、魔法の力を疑う気持ちがすっかりなくなったような気がした。

 そしてそれと同時に、嘘のつき方によって、この力がまことにとって絶大な味方になるということを知った。

 あってもなくても困らない程度の魔法――。

 だからこそ、気軽に使えると思った。

 世界を変えるような大きな力であれば、使うのを迷うこともあるだろう。だけど、この力で変わる現実はまことにしか影響がないような小さなことだし、まことのためになるような小さな嘘ならついても大きな問題にはならない。

 失敗したと思ったときはすぐに嘘をつく。

 そうして物事をうまく乗り切る方法を身につけていった。




 それから数日が経ったある日のこと。

 まことはどうしてもハンバーグが食べたくて仕方なかった。

 そういえば最近、ハンバーグを食べておらず、前にハンバーグを食べたのはいつだったかと考えると、思い出せないほど前だったことに気がついた。

 なぜそんなにハンバーグを食べていないのか――。

 その答えは簡単だ。

 お母さんがお肉を好きではないからだ。

 他の料理に比べて、肉料理が相羽家の食卓に並ぶことは少ない。

 そんなお母さんに対して、どんな嘘をつけばもっと積極的にハンバーグを作ってもらえるようになるだろうかと考えながら、まことは放課後の教室を後にした。

 お母さんってステーキはあんまり好きじゃないみたいだけど、ハンバーグはそれほど苦手じゃなかったよね? ――などと言ってしまえば、本来苦手なハンバーグも苦手ではなくなるだろうか? 

 そんな風に考えつつ校門を出たとき。

 ふいに「離してください!」という声が聞こえた。

 声のほうに視線を向けると、目の前にある細い道で、小柄な男の子が近くの中学校の制服を着た男子生徒三人に取り囲まれていた。よくよく見るとその子はクラスメイトの内野勇気(うちのゆうき)だった。

「なんだよ。あんまり大きな声出すなって」

「そうそう。ちょっとジュース買ってきてって言ってるだけじゃん」

「そうだよ。俺たちと君との仲だろ? それとも何か文句でもあるっていうのか?」

 そう言ってじりじりと近づいてくる中学生たちに、勇気は「今日は用事があるので無理なんです」と力なく答えていた。

「用事? 別にどこか店に入って一緒にじっくり飲もうなんて言ってるわけじゃねぇんだぞ?」

「そうそう。そこの自販機で買えって言ってるだけなんだから、用事に遅れるほどの時間なんてかからないだろう」

 勇気はひょろっとした色白で、パッと見、女の子みたいに可愛い顔をした気の弱い男子だ。そんな勇気だから、きっと目をつけられてしまったのだろう。

 弱い者いじめ――ましてや三人がかりなんて卑怯だ。まことの中にいるもう一人のまことが助けるべきだと言っている。

 だけど、仮に間に入ったとしても、中学生三人から勇気を救えるわけがないと思う冷静な自分もいた。

 どうすればいいのかとしばらく悩んでみたが、まことが立ち向かったとしても、女の子一人の力で男子中学生三人に勝てるとは思えない。

 今回は見なかったことにしよう。

 そう思ってまことが再び歩き出そうとしたとき――バッチリ、勇気と目があってしまった。

 勇気は助けを求めるかのように、必死な視線をまことへと送っている。

 その視線に気づいた中学生たちも、まことのほうへと視線を向けた。

「どうしたのかな? お嬢ちゃん」

「何か用かな?」

「さっさと行っちまいな」

 いかにもガラの悪そうな人たちだ。

 こんな人たちとは関わらないほうがいい。

 すみませんとかなんとか言って、逃げてしまえばいい。

 そう。逃げてしまえば――。

 そう思ってふと勇気を見つめると、勇気は表情もなく視線を地面に落としてしまった。どうせ助けてはくれないとあきらめてしまったのだろう。

 その瞬間、まことの中の正義感に火がつくのを感じた。

 まことは震えながら小さく息を吸うと心を決め、ズカズカと歩いて勇気と中学生たちの間に割って入った。

「……彼に何か用?」

「なんだよ、お嬢ちゃん」

「俺たち、彼のお友だちなんだけど?」

「これから仲良く遊ぶ約束してるんだ。邪魔しないでくれるかな?」

「……いいえ。私の方が先約です」

「先約だぁ?」

 疑わしげな視線を送る中学生たちにまことは「はい」とうなずいた。

「彼は私の恋人なんで。今日の放課後、デートしようねって約束をしてたんです。なのに先に帰っちゃうんだもん。忘れてたの?」

 そう言って話を振ると、勇気は「あー……、うん。ごめん」と話を合わせた。

「私の……?」 

「恋人ぉ?」

 身長一五○センチ弱。

 女の子のようにつやつやの肌。

 色素の薄い茶色の髪――。

 中学生たちは、勇気の頭のてっぺんから足の先までを見つめ、一斉に吹き出した。

「こんな女みたいな男と付き合ってるって?」

「いや、ないわ~」

「お嬢ちゃんみたいな可愛い子は、こんなひょろひょろしたやつなんかより俺たちみたいな力自慢と付き合うべきだ」

「……えっ?」

「そうそう。君はランドセル背負ってなければ小学生には見えないもんなぁ」

 たしかにまことは身長一五五センチとクラスの女子の中でも大きいほうで、休みの日に出かければ中高生に間違われることもある。

「もうこんなガキは放っておいて、お嬢ちゃん、一緒に遊ぼうぜ?」

「はい?」

 助け方を間違えたのだろうか。

 何故か中学生たちの注意がすっかりまことに向いてしまっていて焦る。

 ――どうやって切り抜けよう?

 必死になって考えていると、それまで黙っていた勇気が「彼女は渡さない!」と声を張り上げた。

「……相羽さんは僕の彼女だ! あなたたちには渡さない!」

「えっ?」

 なんで勇気は急に強気な態度に出たのだろう?

 まことが不思議そうな顔をしていると、中学生たちの表情がみるみるうちに険しいものへと変わっていく。

「……へぇ。ちんちくりんのくせに、可愛い子と付き合ってるじゃねぇか」

「小学生のクセに生意気だぞ!」

「実はこんな顔して、よっぽど腕っぷしが強いとかなんじゃね?」

「おう、試してみようぜ」

 そう言って一斉に中学生たちが勇気へと向かっていった次の瞬間――勇気はあっという間に殴り倒されてしまった。

 これはマズイ。

「おまわりさん! こっちです!」

 まことが声をあげると、「やべぇ!」、「行くぞ!」と言って中学生たちはあわてた様子で逃げ出した。

 なんとか追い払うことができてホッとしたものの、実際、まことの嘘のせいなのか、おまわりさんが校舎前の通りを自転車で素通りしていくのが見えてヒヤヒヤした。

 おまわりさんの姿が見えなくなると、今度こそまことは胸を撫で下ろして勇気のほうへと振り返り、「大丈夫?」と地面に倒れたままの勇気に手を差しのべた。

「あっ、うん。大丈夫」

 そう言って勇気は殴られた頬をさすりながら、もう片方の手でまことの手を借り起き上がる。

「ごめんね? 私のせいで結局内野くん、殴られちゃって……」

「相羽さんのせいじゃないよ。僕が弱いだけだから。……女の子に助けてもらうなんてカッコ悪いなぁ」

 力なく笑う勇気に「そんなことないよ!」とまことは力を込めて言った。

「最後は私を助けようとして立ち向かってくれたじゃない。そういう気持ちがすごく男らしかったよ」

 すると勇気の頬がほんのり赤く染まった。

「……僕も嬉しかった」

「えっ?」

「恋人って言ってくれて、嬉しかった」

「……はい?」

 勇気は不思議そうな顔をするまことを恥ずかしそうに見つめている。

「……僕、相羽さんのことが好きみたい」

「えっ……?」

「僕を相羽さんの本当の恋人にしてください!」

「嘘だ……」

 つぶやいて、まことは我に返る。

 そう。これは嘘なのだ。

『彼は私の恋人なんで』

 たしかにまことはそう言った。

 あの嘘が勇気に、まことのことを好きだなんて言わせたのだ。

「いや、待って。これにはいろいろと複雑な事情が……」

「僕のこと……、嫌い?」

 クラス一の美形が哀しげな表情でまことの顔をのぞき込んでいる。

 あまりにも間近に勇気の顔があったため、まことの心臓はドキドキと鼓動を速めた。

「嫌いじゃない! 嫌いじゃないけど……」

 すると勇気の顔はパッと笑顔の花が咲く。

「良かった。僕、相羽さんが恋人にしたいって思うような男になれるように頑張るよ。じゃあ手始めにデートしよっか」

 唐突な提案に「えっ? デート?」とまことは驚きを隠せない。

「うん。行こう」

 そう言って勇気はまことの手を取り歩き出す。

 勇気はこんなに強引な性格だっただろうかと考え――『今日の放課後、デートしようねって約束をしていたんです』というついさっき自分の口から出た言葉を思い出し、やはりこれも魔法の力だろうという結論に行き着いた。

 結局まことは勇気に連れられ、夕方近くまで公園や近くの駅ビルで一緒にぶらぶらして遊んだ。

 美形に好きと言われ、嫌な気持ちはしないけれど、それがまことの嘘によるものだと思うと、素直には喜べない。

 どうしたものかと考えたけれど、まことにはどうすることもできなかった。




 失敗というのは続くもので、その後もまことのついた嘘のせいで人間関係に影響を及ぼす出来事が起きた――というのも、休みの日に花絵と遊びに行くこととなり、どこへ行くか話し合っていたものの、行きたい場所が割れてしまったのだ。

「洋服を買いに行きたい!」

 そう主張するまことに、「遊園地にしようよ!」と言って花絵も譲らない。

「洋服なんていつでも買えるじゃん! だけど遊園地は今しかない期間限定のアトラクションがあるんだって!」

「でも私、遊園地に着ていけるような服持ってないから、やっぱりまずは洋服を買ってから……」

「遊園地だよ? 別におしゃれしなくたっていいようなところじゃん。動きやすい格好でいいんだから、いつもみたいな格好で来ればいいんじゃない? Tシャツにジーパンみたいな感じでさ」

 お互いに譲らずなかなか決まらないというだけの、些細なケンカなはずだった。

 だけどいつもの格好がTシャツにジーパンと決めつけられたことがなんだかカッコ悪く恥ずかしいことのように感じて――。

 つい勢い余って言ってしまった。

「花絵ちゃんって本当は私のこと嫌いなんでしょ? だからそんな意地悪言うんだ」

「は? 何それ?」

「でも私も花絵ちゃんのことなんて大嫌いだから!」

 すると花絵の表情が一転し強張った。

「……あっそう。私もまことちゃんのこと大っ嫌い! もう知らない!」

 そうしてついさっきまで大好きだった花絵に大嫌いと言ってしまった結果、花絵との仲は一気に険悪になってしまった。

 最初はまこと自身も怒っていたからなんとも思わなかったが、冷静になるととんでもない嘘をついてしまったと後悔した。

 花絵はクラスの中でも特に気が合い、よく遊ぶ友だちだった。

 そんな花絵と仲違いしてしまうと、学校に来る楽しさも減ってしまう。

 だからその後、何度も『大嫌い』という言葉を訂正しようとした。

 だけど近づこうとしても避けられ、徹底的に無視される。

 意識せずについた嘘――。

 魔法の力は絶対なのだと思い知らされた。

 そうして花絵との仲が元に戻らないまま五年生のクラス替えを迎えてしまい、クラスが離れてしまった結果、花絵との関わり合いは完全に途絶えてしまった。

 だからそれからは、どんな友だちにも『大好き』と言うように心がけた。

 本当に好きであれば問題ないし、それほど仲の良くない友だちとでも、『大好き』の言葉で仲良くなれた。

 だけど心の中で、モヤモヤした気持ちだけが膨らみ続ける。

 薄っぺらい友情という仮面の下、心の底からまことのことを好きだと思ってくれている人間はいったいどれだけいるのだろう――?




 それから六年のときが経ち、まことは高校一年生になった。

 新しいクラスメイトとも九か月一緒に過ごし、たいていの人とは『友だち』になれた。

「まことちゃん」

 声をかけてきたのはクラスメイトの広本ひろもと梨華(りか)だった。そしてその隣にいた三池佳恵(みいけよしえ)が「お昼ご飯、一緒に食べない?」と尋ねた。

 梨華と佳恵の二人は普段から仲がよく、まことにたいしても二人一緒に話しかけてくることが多かった。

 そんな二人に「いいよ」と返事をしようとしたとき――「ちょっと待って」と別の友だちが声をあげた。

「まことちゃんは私と食べるのよ!」

 するとどこからともなくまた別のクラスメイトがやってきて、「今日まことちゃんと一緒に食べるのは私よ!」と言った。

「あら。あなた、昨日もまことちゃんと一緒に食べてたじゃない!」

「そういうあなただっておととい一緒に食べてたでしょ?」

「じゃあ、ここ三日、一緒に食べてない私が立候補するわ」

 そう言ってだんだん周りに人が集まり始めていく。

「そもそも、なんで昨日一緒に食べたからって、今日一緒に食べたらいけないわけ? 二日連続でもいいじゃない?」

「あら、昨日はあなたが『二日連続なんてズルいわ』って言って、私をのけ者にしたんじゃない!」

「じゃあ、やっぱり最近一緒に食べてない私が優先されるべきでしょ!」

言い争いがヒートアップし始めたのを見て、まことはあわてて「だったら全員一緒に仲良く食べよう?」とみんなの間に入って言った。

 するとそれまで黙って様子を見守っていた梨華と佳恵も、「たしかにそのほうがいいね」と言ってうなずいた。

「一人がまことちゃんを独り占めするより、みんなで食べたほうがみんなハッピーになれるよね」

「言われてみたら、たしかにそうかもしれないね」

「じゃあみんなで食べよう」

 そう言ってみんなが引き下がってくれてホッとしたのもつかの間、気がつけばまことは三十人近くのクラスメイトに取り囲まれていた。

 まことにはたくさんの友だちがいる。

 携帯電話のアドレス帳も、膨大な量のアドレスが登録されていた。

 だけどまことは知っている。自分が好かれているのは、身長一六九センチと長身であることやショートカットという見た目、また誰とでも気さくに接することができる性格が要因ではないということを――。

 それはひとえに、『大好き』や『仲良し』といった言葉の力によるものなのだ。

 まことの周りの人間は、みんなまことの嘘に縛られている。

 だからまことは誰といてもどこか寂しくて、孤独で――。

 いつも愛情に飢えていた。

「あっ! もうご飯食べてる! せっかくまことに食べてもらおうと思ってお弁当作ってきたのに……」

 そう言って哀しげに笑ったのは、隣のクラスからやってきた勇気だった。

「内野くんだ!」

「内野くん、今日も素敵……」

「相羽さんと内野くん……。二人とも綺麗でお似合いのカップルよね!」

 たしかに勇気の美貌はあれからますます磨きがかかった。身長は一七五センチまで伸び、モデルのように整った顔立ちですっかり女子たちの人気の的だが、気の優しさは小学生のころから変わらない。

 そして、そんな勇気との関係をクラスメイトたちは誤解しているようだが、まことと勇気が付き合ったことは一度もない。

 ただ、小学生のころの出来事を勇気はいまだに引きずっていて、まことのことを好きだと勘違いしているらしく、まことのそばで好きだのなんだのと言ってはアプローチを続けていた。

「まこと。僕が作ったお弁当食べてよ。まことのために卵焼きの味付け、しょっぱいのにしてきたんだよ?」

 そう言って勇気は持ってきたお弁当箱の蓋を開けた。するとその中には卵焼きだけでなく、まことが好きなプチトマトやブロッコリーなど野菜を中心とした食べ物がカラフルにぎっしりとつめられていた。

「おいしそうだし、しょっぱい卵焼きは好きだけど、お母さんが作ってくれたお弁当があるから無理。両方なんて食べ切れないもん」

「じゃあ、僕にお母さんのお弁当を食べさせてよ。将来、まことにおふくろの味を作ってあげたいからさ」

 そう言って優しく微笑む勇気の姿に、「なんて健気なの……?」とクラスの女子たちは涙さえ流す。

 たしかに勇気は健気な性格なのだろう。

 だけど、その愛情はまことの嘘によって生み出された偽物だ。

 まことが冷めた目つきで勇気を見ていると、そうとは気づかない勇気が「そうだ」と声をあげた。

「まこと、今週末って空いてる?」

「空いてる……、けど?」

「良かった。実は、まことが好きそうなアクション映画のチケット、二枚もらったんだ。良かったら一緒に行かない?」

 勇気はそう言ってポケットから映画のチケットを取り出した。

「わぁ! デートだ」

「いいなぁ」

 冷やかすような周囲の空気に、「そんなんじゃないって!」と否定しつつも、内心、悪い気持ちはしなかった。

 なんで、『勇気の彼女なんて冗談じゃない!』と言うことができないのか――。

 いろいろ考えていくうちに、『ある結論』にたどり着きそうで怖い。

『彼は私の恋人なんで』

 まこと自身、あの嘘の魔法にかかってしまっているのだろうか――?

 勇気のことなんて好きじゃない、と言ってしまったら、花絵のように離れて行ってしまうかもしれない。

 勇気が離れていってしまうことに、怯えている自分がいるような気がしてならなかった。

 ――これ以上考えるのはよそう。

 まことは自分の考えに蓋をして、「この映画観たかったんだ」と勇気からチケットを受け取った。

「あっ。それより勇気。和英辞典貸してくれない? 次、英語の授業なんだけど、家に忘れてきちゃってさ」

 すると勇気は「本当、まことは忘れっぽいんだから」と呆れたように肩をすくめつつ、「じゃあ一緒に教室まで取りに来て」と言ってくれた。

「助かるー! ありがと、勇気!」

 そうして和英辞典を借りたまことが教室に戻ってくると、「まことちゃん」と誰かに声をかけられた。振り返ると梨華と佳恵が仁王立ちしてまことのことを見つめている。

 その迫力に押されたまことは「えっ、何?」と一歩だけ後ろに下がり、二人から距離を取りながら尋ねた。

「今日の放課後、お買い物に行こう」

「……えっ?」

「デートの前準備、一緒にしよう」

「はい?」

 そうして放課後、まことは半強制的に梨華と佳恵に連れ出された。

「えっ? 本当になんなの? どういうこと?」

 連れて行かれたのはドラックストアで、梨華と佳恵にされるがまま、テスターを使った化粧が施されていった。

「まことちゃん、化粧っ気ないから」

「デートには少しくらいおしゃれしていくべきよ」

「いや……、ちょっと待って」

「大丈夫。私たちに任せておいて」

 梨華と佳恵は二人で相談を重ねながらメイクを進めていく。

「まことちゃんの場合、ファンデの色は明るすぎないほうがいいね」

「リップはどうする? ピンク?」

「うん。いいと思う」

 そうしてしばらくして、「じゃん!」と鏡の前に連れて行かれた。

「どう?」

「……いや、あのさ」

 乗り気じゃないまことは文句を言おうとため息交じりに顔をあげたが、鏡に映る自分の姿に驚いて、一瞬言葉を失った。

「これ私?」

 薄くファンデーションが塗られ口紅をした自分が、いつもの自分とはまるで違うように感じられた。

「可愛いでしょ~?」

「いつものまことちゃんもいいけど、デートだからね。たまにはこういうのもありじゃない?」

「ファンデは私、近い色持ってるから貸してあげるね」

 梨華はそう言って自身のお化粧ポーチからファンデーションを取り出してみせた。

「口紅はさすがに使いまわすの嫌だろうし、買っちゃおう」

「えっ? 買うの?」

「お金の心配なら大丈夫。割り勘にするから、まことちゃん三分の一だけ払ってね」

「いや、お金の問題というか……。気持ちはありがたいけど、私、お化粧なんてするかどうかわからないし……」

「持ってて損はないでしょ」

「そうそう。いつかまことちゃんもお化粧する日が来るんだから」

 そうしてまことはおせっかいな梨華と佳恵に押しきられ、口紅を購入することとなった。

 口紅の入った袋を手に、「今日はありがとう」とまことが小さくお礼を言うと、「いいの、いいの」と梨華が笑い、「そうそう」と佳恵が続けた。

「私たちがやりたくてやったんだもんね」

「でも、選んでもらっただけでなくて、お金まで使わせちゃったし……」

「友だちなんだから、気にしない、気にしない」

「そういうこと」

 友だち――。

 その言葉をどう受け止めたらいいのかわからなくて、まことは再び「ありがとう」と言って小さく微笑むことしかできなかった。




 そうしてやってきた日曜日。

 せっかく梨華と佳恵がお化粧を教えてくれたのだから――と、メイクをして待ち合わせ場所に出掛けた。

 すると待ち合わせ場所で先に待っていた勇気は驚いたようにまことを見つめた。

「……まこと、どうしたの?」

「……梨華ちゃんと佳恵ちゃんよ。あの二人がお化粧して行けって言うから……」

「あぁ。あの二人か。たしかにいつもちょっとだけお化粧してるもんね」

 そう言って勇気はものめずらしげにまことを見つめてくる。

「……あんまりじろじろ見ないでよ。私も見慣れてなくて本当は恥ずかしいんだから」

 照れて顔をそむけてしまうまことに、勇気は「恥ずかしがることないんじゃない?」と笑った。

「可愛いよ」

 なんでもないことのようにさらりと褒められて、ますます顔が赤くなっていくのを感じる。

「さぁ。映画、行こっか?」

 話題を変えるかのようにうながされ、まことは小さくうなずいた。




 映画は事前に聞いていたとおり、まことが好きなド派手な爆発シーンも多くあるアクション映画だった。

 映画を終え、カフェで紅茶を飲みながら、「やっぱりなんと言っても倉庫が爆発するシーン!」とまことは興奮冷めならぬ様子で映画の感想を語っていた。

「あれだけ大仕掛けな爆発をしてくれると、見ててめちゃくちゃスカッとするよね! 特にCGじゃなくて、本物の爆発だっていうところがミソ! 本物とCGじゃ迫力が全然違うもん」

 勇気はそんなまことの様子をにこにこしながら見つめている。

「まことは本当にああいう映画が好きだね」

「うん、大好き! 勇気は? あんまりおもしろくなかった?」

「そんなことないよ」

 変わらずに勇気は笑っているけれど、普段、勇気が好んでアクション映画を見るようには思えない。

「勇気って普段、どんな映画を見るの?」

「僕?」

 勇気は「そうだな……」と少し考える素振りをしてみせる。

「日常を描いたまったりした映画とかが多いかな?」

 その答えが勇気らしくて、まことは思わず微笑んだ。

「でもそれじゃあやっぱり今回の映画は私の趣味につき合わせちゃったって感じだよね。ごめんね?」

「なんで謝るの? 別にアクション映画が嫌いなわけじゃないからね?」

「本当?」

「うん。それに僕は楽しそうにしてるまことが見られてすごく嬉しかったから。それで十分」

 本気で満足げな顔をしてみせる勇気に、まことは盛大に照れつつも小さく胸が痛むのを感じた。

 楽しそうな自分を見て嬉しいと言われたことは嬉しい。

 だけどそう思ってくれるのは、きっと小学生時代の魔法のせいなんだ――。

 そう思うと苦しかった。

 そうしてカフェを出ると二人はショッピングへと出掛けた。

 この冬に着られるトップスが欲しいと言ったまことに、「まことならきっと洋服見たいって言うと思ったんだ」と、勇気は事前にリサーチしていたという店を案内してくれた。

「これなんかまことに合うんじゃない?」

 ピンクのトップスと色違いの白のトップスを手にして勇気は悩んでいる。

「うーん。まことならやっぱりピンクが可愛いかな? って思うんだけど、シンプルに白も可愛くて捨てがたいなぁ……」

 ピンクのトップスと白のトップスを交互にまことへと合わせ、真剣に考えている勇気を見て思わずまことが笑ってしまうと、「なんで笑ってるの?」と勇気が眉根を寄せた。

「だってあんまりにも真剣なんだもん」

「そりゃそうだよ。気に入ったら買って着るかもしれない服だからね。うん、やっぱり僕はピンクを推そうかな?」

 そう言って勇気はピンクのトップスを再びまことに押し当てた。まことは服を受け取ると自分でも鏡の前でその服を合わせてみる。

「うん、可愛い。これ買ってくる」




 そうして二人が店を出ると、あたりは薄暗くなり始めていた。

 そろそろデートもお開きの時間かな、と寂しく思い始めたとき――。

「まこと、寒くない?」

 少し手をこすり合わせるしぐさをして見せたまことに、勇気は自分のしていたマフラーをかけてくれた。

「……ありがとう」

「どういたしまして」

 もこもこの暖かいマフラーに触れ、とても楽しいデートだったなと満足していると、ふいに声が聞こえた。

「今の見た?」

 通りすがりの女性がまことたちを視線で追いながら、隣にいる男性の肩を興奮したように何度も叩いている。

「なんだよ? 痛いよ」

「すっごい美形の彼氏が、美人の彼女にマフラーかけてあげてた! ドラマみたい! 私にもやってよ!」

「俺たちがやってもコントだろ?」

「……だよねー」

 ドラマみたい――。

 それは単純に褒め言葉として受け取ればいいものなのかもしれない。

 ――わかっている。

 だけどまるで自分たちは偽物なのだと言われているように感じてまことの心を深くえぐった。

 デートに誘われ優しくされ、どれだけ好きだ好きだと言われも、所詮はまことの嘘によって作られた気持ちだ。そんな気持ちには応えるわけにはいかないし、応える権利すらまことにはない。

 だけど理由を言うこともできないから、ダメとか無理とか、そういう言葉で交わすことしかできない。

 つらいな――。

 うつむくまことに「どうしたの?」と言ってさり気なく手をつないできた勇気は、心配そうにまことの顔をのぞき込んでいる。

「……ううん。なんでもない」

 握ってくれた勇気の手も、握られたほうのまことの手も、冬の空気にすっかり冷え切ってしまっていた。




「まこと」

 二月十四日の放課後。

「これ、受け取ってください」

 帰り支度をしていたまことに、勇気が手作りのチョコレートを差し出した。ハートの模様がちりばめられているピンクの包装紙がとても可愛らしい。

 しかしそれを見たまことは、うつむきがちに「ごめん」とつぶやく。

「受け取れない」

 毎年、同じ言葉で勇気の気持ちを拒絶する。

「またダメかぁ」

 残念そうに笑う勇気の顔を見て、まことの胸はツキリと痛んだ。

「でも僕のこと、嫌いではないよね?」

 どうやって返そうかと悩み黙るまことに、「やっぱり僕が男らしくないからダメなのかな?」と勇気が聞く。

「……違うよ」

「映画とかもそうだけど、好きなものが微妙に違うから?」

「それは関係ないでしょ」

「じゃあ他に好きな人でもいるの?」

 明確な答えが欲しいと訴える勇気の顔を見て、もう限界だと感じた。

「……ごめん。嘘なの」

「えっ?」

「私、嘘をつくと、ついた嘘が現実になるっていう魔法が使えるんだ」

「……魔法?」

 きょとんとした顔を向けられ、思わずまことは苦笑する。

「……わかるよ。私も最初は信じられなかったもん。だけど本当なの。小学生のころ絡まれた勇気を助けたとき、私言っちゃったでしょ? 勇気のことを私の恋人だって。それを真実にしようと魔法の力が働いて、勇気は私のことを好きだって思い込んじゃってるんだと思う」

「えっと……。それは本気で言ってるの?」

 戸惑いを隠せない勇気にまことがうなずくと、まことの真剣な表情を見た勇気は「そっか」と言って、自身も真剣な顔をして考え始めた。

「まことが言った嘘は本当になるんだ?」

「そうだよ。家に忘れた宿題もロッカーにありますって言っちゃえばロッカーに入ってるし。小学生のとき、同じクラスに花絵ちゃんっていたでしょ?」

「まことと仲の良かった?」

「そう。だけどついはずみで彼女に大嫌いて言っちゃったから、それから仲違いして話すこともできないまま卒業しちゃった」

「そうなんだ……」

「だから今は最初に会ったときに誰にでも大好きって言うようにしてる。そのおかげで私の周りには友だちがたくさんいるでしょ?」

「つまり、まだそんなに仲良くない段階でもまことが大好きって言ったら、その人はまことのことを大好きになるってこと?」

「そう」

「まことが僕を助けるために僕のことを恋人って言ったから、その嘘のせいで僕はまことのことを好きになっちゃったってこと?」

「そうだよ」

 すると勇気は何かを考えるかのように黙り込み――、やがて小さく首を傾げた。

「……違うと思うな」

「えっ?」

「僕はそれ、違うと思う。まことはこの気持ちが、僕の思いが、魔法で作られた偽物だって言うの?」

 実際そうなのだ。今までまことがついた嘘は、すべて現実のものとして起こってしまっている。

だから哀しげに目を伏せる勇気を見ても、まことは「そうだよ」と言って非情にうなずいてみせた。

「私、モテモテだからさ。好きって言ってくれる男子は五万といるし。心の底から私のことを好きだって言ってくれる人と付き合いたいの」

 そのとき。「相羽さん」と背後から声をかけられた。振り返ると、そこにはそれまであまり話をしたことのないクラスメイトの男子が立っている。

「話の途中ごめん。俺、実は相羽さんのことがずっと好きだったんだ。付き合ってくれないかな?」

 突然の告白にまことが面食らっていると、「あっ! アイツ、抜け駆けしたぞ!」と他の男子までもが集まり出す。

「相羽さん、俺と付き合ってくれ!」

「いいや! お前なんかより俺のほうがよっぽど相羽さんのことが好きだ! 俺と付き合ってください!」

「なんだよ、お前!」

「そっちこそ邪魔すんな!」

 当事者そっちのけで言い争いを始める男子たちを見つめ、まことは小さくため息を吐いた。

『好きって言ってくれる男子は五万といるし』

 この状況を作り出してしまったのは、やっぱりまことのついた嘘だった。

 強がりで言ったちょっとした嘘までもが魔法の力にかかってしまうのかと、まことは絶望的な気分になる。

「……ごめんね。気持ちは嬉しいけど、付き合えない」

 まことはそう言って集まってきた男子たちに断りを入れると力なく笑った。

「……わかった? 結局、私の周りには私の口から出た不用意な嘘で集まってくる人間しかいないんだよ」

 お母さんが言っていた『悪い嘘はシャレにならない事態を引き起こす可能性があるからね』という言葉の意味が、今となってはよくわかる。

「……本当の私をわかってくれて、心から好きだって言ってくれる人なんて、どこにもいない」

 そう言ってまことは深く息を吐きうつむいた。

 これはきっと、自分にとって都合のいい嘘を何度もついてきた罰なのではないか。

 ――そう思えてならなかった。

「……そうかな」

 勇気はぽつりと声をあげた。

「魔法のことはまだ半信半疑だけど、まことが疑心暗鬼になりすぎてるっていうことだけはわかる」

「……勇気にはわからないよ」

 力なく言ったまことに勇気は「わかるよ」と強調した。

「……もしかしたら、本当にまことが『私の恋人』って言ったことで始まった恋なのかもしれない。でも、あれから何年経ったと思ってるの? 僕はこの六年、ずっとまことのそばにいて、いろんなまことを見てきたんだ。カッコイイまことも、かわいいまことも、笑っちゃうようなまことも、ダメなまことも全部ね」

 そう言って微笑む勇気に、思わず「ダメな私って何よ」とツッコミを入れた。すると勇気は、「英和辞典やらお弁当やら、忘れ物するおっちょこちょいなところとかね」と笑う。

「……あれ? でも宿題はロッカーにあるって言っちゃえばロッカーに入ってて、忘れたことにならないんだっけ? じゃあ、英和辞典だってそう言えば忘れたことにならないんだよね……? だとしたら、僕がたまに見てきた忘れ物してるまことは何?」

 それは……、とまことは言いづらそうに視線を泳がせたが、やがて観念して口を開いた。

「……毎回魔法を使うのはちょっとだけ抵抗があるから、ときどきしか使わないの。忘れたとき半分、魔法でなんとかしたとき半分」

 すると勇気は「変なところで小心者なんだから」とクスクス笑った。

「でも、そういうところも好き」

 それでもまだストレートに好きだと言ってくれる勇気に対してなんて返したらいいのかわからない。

 そうしてまことが黙り込んでしまうと、「友だちに関してもそうだよ」と勇気は続けた。

「たしかに最初はまことが『大好き』って言ったから、みんなまことのことを好きになったのかもしれない。でもさ、ずっと一緒にいればいい面だって悪い面だって見えてくるものでしょ。それでも離れていかないってことは、それはもうみんな本当にまことが好きで一緒にいたいって思ったからだよ。魔法の言葉がすべてじゃないって僕は思うな」

「……そうかな?」

 つぶやきながら、まことの頭には梨華と佳恵の顔が浮かんでいた。

 あの二人はまことのためにとデート前、わざわざ一緒にお化粧品を選んでくれて、しかも割り勘で口紅まで買ってくれた。

 あれはまことの『大好き』という言葉だけではなく、その先の関係性で生まれたものなのだろうか?

 ――わからない。

 グラグラと揺れるまことには、まだ魔法以外の何かがあるなんて信じることができず、「ごめん。まだちょっと考えがまとまらない」と言って勇気に背を向けることしかできなかった。




 それから数日が経ったある日。一人で出かけたときのことだった。

「あれ? まことちゃん?」

 名前を呼ばれ振り返ると、そこには花絵の姿があった。

「花絵ちゃん……?」

「うわー! 久しぶり! 小学校卒業以来だ! 元気だった?」

 そう言って喜ぶ花絵は、小学校のころとほとんど変わっていなかった。

「うん、元気」

「まことちゃんって湊第二高校だっけ?」

「そう。花絵ちゃんは湊第三だよね?」

「そうそう。意外と同じ小学校の子少なくて寂しいよ~」

「そっか。花絵ちゃんの家、学区からちょっと遠かったもんね」

「そうなのよ~。湊第二のほうは結構同じ小学校の子いるんでしょ?」

「うん。梨華ちゃんとか佳恵ちゃんとか……」

「うわ~! なつかしい! あの二人元気?」

「うん、元気だよ」

「そっか~。いいな。またみんなと会いたいな~。同窓会みたいのやりたいね」

 目の前にいる花絵はまことに笑いかけてくれて、しかも普通に話せている――。信じられない思いだった。

 すると花絵は腕時計を見つめ、「いけない! そろそろ行かなくちゃ!」と言った。「じゃあまたね」と花絵が手を振り、まことの横を通り過ぎようとしたとき――。ふと勇気の言葉が頭をよぎる。

『魔法の言葉がすべてじゃないって僕は思うな』

 本当にそうだろうかと疑う自分もいる。

 だけど、このまま別れたらきっと後悔する――。

 まことは意を決して「花絵ちゃん!」と呼び止めた。「何?」と花絵が振り返る。

「……あのね、私、ずっと気になってたんだ」

「えっ?」

「ほら、ケンカ別れみたいな形になっちゃったから……。ごめんね? 本当はずっと後悔してたんだ。心にもないこと言って、花絵ちゃんを傷つけた」

 すると花絵が「私も!」と声をあげた。

「……ごめんね。意地張ってたけど、本当はまことちゃんと話したいなって思ってたの」

 お互いに謝罪すると、何年も抱えていた心のモヤモヤがようやく晴れて、顔を見合わせ微笑み合えた。

「ねぇ。連絡先教えてよ。また遊ぼう?」

「もちろん」

 そうして連絡先を交換すると、またねと言って今度こそ二人は別れた。

 あまりにも突然の出来事だった。

 また花絵と笑って話せる日が来たなんて。

 また友だちとしての関係を取り戻せる日が来たなんて――。

 魔法の力のせいで仲違いした花絵と仲直りが出来たのだ。

 魔法の力はたしかにあるのかもしれない。

 だけど、そこから先はきっと自分次第なのだ。

 魔法の力よりも自分の力のほうがよっぽど強い。

 まことはもう、魔法の言葉には負けないと思った。




 翌日の放課後。まことは「勇気、ちょっといい?」と言って勇気を呼び止めた。

「どうしたの?」

「この間のバレンタインデーのときの話の続き……。してもいい?」

 すると勇気は「もちろん」と言ってやわらかく微笑んだ。

「……私、あれからまたいろいろ考えたんだ。魔法のことと、勇気のこと」

「うん」

「……本当はずっと怖かったんだと思う。勇気が好きだって言ってくれるのはずっと魔法のせいだと思ってたから。だけど違うのかなって少しだけ思えるようになったの。……昨日ね、偶然花絵ちゃんに会ったんだ」

「そうなんだ?」

 心配そうな表情をしてみせる勇気に、「思い切って謝ったら連絡先も交換できたし、前みたいに話せたよ」と言うと、勇気は「そっか」と安心したように笑った。

「よかった」

「怖くて近づけなくて、話しかけられなかったけど、本当はちゃんと小学生のときに話しかけるべきだったのかもしれないって思った。……魔法の言葉って、やっぱりきっかけに過ぎないのかな? って思ったんだ」

 すると「僕もそう思う」と勇気が同意した。

「……きっかけに対して自分がどう動くかでも変わってくると思うし。気持ちの問題もそうだよ。僕の実体験を言わせてもらってもらえば、気持ちってね、育つんだよ。六年前より、今のほうが何倍も、何十倍もまことのことが大好きだ。……きっかけはなんであれ、この気持ちは本物だ」

 勇気は自信に満ちた力強いまなざしでまことのことを見つめている。

 ――ドキドキする。

 この気持ちはなんなのかと考えたとき――もう答えは出ていると思った。

 まことも勇気のことが好きなのだ。

 今までずっと、失うことを怖いと感じていたその理由――。それはきっと好きだから。

 単純なことだった。

 そして勇気が言ったとおり、気持ちは育つものかもしれないと思えた。

 何故なら、まことの中にある勇気への思いも、確実に育っていると感じるからだ。

 六年かけて育ってきた気持ちが、次から次へと溢れ出す。

「……私も魔法にかかっちゃったみたい」

「えっ?」

「……勇気のことを私の恋人って言ったからかな?」

 ちらりとうかがうように勇気を見つめると、その言葉の意味に気がついた勇気がふと笑みをこぼす。

「……この間、まことは言ったよね。『心の底から私のことを好きだって言ってくれる人と付き合いたい』って。それはきっと僕のことだと思う。六年前のあの日に、まことの中で僕と同じ気持ちが芽生えたのだとしたら、その気持ちが本物になるように育ててほしい。……いや、そうじゃないな。一緒に育てさせてください」

 そう言って差し出された手を見つめたまことは、照れた表情を浮かべながら、そっとその手を取り握り返した。

「……もうだいぶ育ってるから、熟してると思うけどね」


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