火傷
自分がなんで生きてるかとか、そんな事ばかり考えている。自分が生きてて価値があるのだろうか。逆に何も価値はなくて、誰かの迷惑になっているんじゃないか。別にいじめられてるとか、そんなことはない。学校生活は至って普通だ。だって僕がそうなるように仕向けたから。ちゃんとどのクラスになっても僕が浮かないようにしたから。教師もみんな普通。友達もそこそこ。じゃあ何が不満かって、僕が不満なのは僕だ。
八端七〈やはた なな〉。僕が12年前にもらった名前だ。別に本名じゃない。気に入っている訳でもないし嫌いでもない。
前の前の家、つまり僕の本当の親は僕がいらなかったらしい。生まれて1年あたりから虐待を受け続けて、2歳の時家の外に座り込んで死にかけていた僕を知らない人が拾った。その人が次の親。その人は比較的僕を愛してくれていた気がする。今の名前をくれたのもその人で、僕の誕生日も決めて祝ってくれたりもした。まぁそれが運の尽きで、また僕は捨てられた訳だが。
「七!あんたまた掃除機サボったでしょ!」
さぼってない。真面目にやった。言うつもりはないけど態度に表れてたみたいで、自室の椅子に座っていた僕は引きずり下ろされ前髪を掴まれた。
「あんたホント態度悪いわね。誰のおかげで生きてると思ってるの?あたしが拾ったおかげでしょ。もうちょっと感謝したら?」
理不尽にもキレ散らかすこの女は、名付け親に見捨てられて公園で野宿していた僕を拾った中村 ひなた。大学生くらいで、いくつかバイトをかけ持ちしているらしい。これまた愛想のない妹と二人暮らし。そっちは高校生で、僕の高校より少しバカ高。それを言うと姉妹揃ってキレるから言うつもりはない。
「ねぇ、聞いてんの?無視なんていい度胸じゃない、ねぇ」
掴んだ前髪を引っ張った。正直このくらいなら全然耐えられるけど、僕もいじめられたいわけではないからこのへんで相手をすることにした。
「無視じゃないよ。僕にそんな度胸があるとは思わないでしょう。所詮、僕は僕なんだから」
僕はそう言ってから、立ち上がる。引っ張られた前髪は少し抜けたけど、別に気にしない。それにそろそろ、学校の時間だ。
「僕、行くから。今日は帰らないよ」
傍で立ち尽くす女には目も向けず、僕は制服を鞄に入れて家を出た。
スマホで時間を確認、8時ちょうど。三重のロックを解除して、僕は友達からのメールを確認した。
『七、今日遅刻?うち来ねーの?』
佐野 咲月〈さの さつき〉。メールの差出人で、僕の過去まで知ってる珍しい友達。僕は背中に火傷と痣がすごいので、そういう理解のある奴の家でしか着替えない。
『向かってる。咲月まで遅刻するから先行ってていいよ』
送信、と押した瞬間、
「七!びっくりしたろ!」
後ろからでかい声がした。びくっとして振り向くと、僕の背後に咲月がいた。
「七絶対間に合わないと思って。ほら、後ろ乗れよ」
咲月は自分が乗っていた自転車の後方を指した。僕はそれに跨る。小さく「ありがと」と呟いた。
「もっとでかい声で言えよ〜、風の音で聞こえねぇぞ。」
「やめてよ、そういうの。僕が声出したくないの知ってるくせに」
僕は昔から声にコンプレックスがある。最初虐待を受けた理由だって「声と顔が気持ち悪いから」だったし、小学生の頃は声のせいでいじめも受けた。咲月がずっと庇ってくれてたけど、咲月は家族から「八端七と仲良くするな」と注意された。別に僕は、咲月が絡んでこなくなったって気にしなかったと思う。人間って、そういうものだから。一時守ったものでも、すぐに飽きて捨てる。それが僕だったら、尚更。
『俺は、七だから助けた。おまえ、助けてって顔してたから。』
家族と縁を切った咲月は、愚かにも僕を助ける道を選んだんだ。
「知ってるよ。俺はおまえの声好きだけどな」
下り坂を自転車でハイスピード。風を受けてへらへらしている咲月に、僕は今思いついたアイデアを伝えた。それを聞くと咲月は、「おまえ、実はサボり魔だろ」と、やっぱり笑った。
正直言って、僕と咲月の学校の出席率は最悪だ。週に一度、行くか行かないか。それでも高校3年生になれたのは咲月の祖母がうちの高校の理事で、権力あるから。両親や弟との仲は断った咲月だけど、それ以外の親戚からは好かれているらしい。
そうこうしてるうちに僕らは海岸に着いた。学校をサボる時、大体僕らは海に来る。
「咲月」
「ん、七。何?」
自転車をてきとーな場所に停めて、僕の隣に座った。
「こんな話、したくないけど」
「ならしなくていい」
咲月は僕の口を手で覆う。僕はたったそれだけで、言うのをやめた。意気地無しだから。僕は。
「七、俺海外行きたい」
手を僕の口から離して、咲月は空へ呟いた。なんで、と僕は言ってみた。どんな理由であろうと、僕には咲月を止める理由も力もないけど。
「やりたいことがあるんだよ。俺と七で、卒業したらさ」
立ち上がって僕の頭を撫でた。
「…咲月にとって、僕は」
「言葉じゃ言えない。言葉は、残酷だから」
おまえを傷つける可能性があるから言えない、と。僕の手を取って、僕が聞いた中で1番優しく。そう言った。
………あぁ、ウザったい。
『海外でやりたいことがある』
咲月の言葉だ。なんて素晴らしいだろう、やりたいことがある、なんて。生きる希望に満ちている。死にたい僕とは大違いだ。
僕は端から分かっていた。僕は咲月が嫌いだ。死にたい僕を何度も守り、救い、助けた。自らのやりたいことに僕も巻き込んで、僕をどうしても死なせない。佐野咲月に僕は見えていない。「言葉じゃ言えない」のは僕と咲月には名前をつけるほどの関係がないから。所詮僕は僕だ。必要とされるわけがない。優しくされるわけがない。僕に優しくした人間はみんな後悔する。だからみんな僕を嫌いになる。だから僕は、もう生き迷うのはやめる。
「七!」
学校の屋上で座り込んだ僕。やっぱりおまえは、僕を助けに来た。
「僕は佐野咲月が大嫌いだ…ッッ!」
咲月の足が止まる。僕から大体10歩分くらい離れて止まった。
「僕はもう死にたい!もうこんなに、こんなになるまで生きたよ。僕はもう、僕から逃げたい……」
半袖のワイシャツを脱いで立ち上がり、背中を咲月へ向けた。火傷と痣。もう耐えた。僕がなんで生きてるかって、もう分かった。死ぬためだ。
「咲月はわからないだろ、やりたいことがあるんだから。海外行くんだろ、おまえは死にたいなんて思ったことないんだろッ」
「やめろよ、もう」
咲月は呟いて、僕に歩み寄った。ワイシャツを僕の肩にかけて、咲月は悲しそうに笑った。
「俺は生きたいよ。誰になんて言われても、両親が俺を認めなくても、生きてたいよ。俺が七を助けたことで俺が誰かに疎まれても、俺、どんなに傷ついても、生きてたいよ。もうこんなになるまで俺だって頑張ったよ!でも生きてたいよ!だって俺たち生きるために生きてるじゃん。七だって頑張ってた。俺も頑張った。だから海外で、視野広げてやりたいこと探そうって言いたかった。俺は七と生きたいんだよ。」
「僕は死にたい」
生きるために生きてるなんて、生きたい人の考えだ、僕には関係ない。僕は咲月が嫌いだ。咲月の腕にびっしりと刻まれたリストカットの跡を見たって、僕はこんなことしか思えない。『一緒に生きるなんて冗談はやめてくれ。』
・・・あぁ、僕の人生が冗談だったか。
「僕はここから飛び降りて死ぬから。頼むから、もう、」
「助けない。分かったよ」
最後の最後に、咲月は物わかりがよくなった。
屋上の端に立って、後ろを向いた。咲月からの視線を痛いほど感じたから。
「七が本当に死ぬなら、これだけ言わせて」
俺にとって七は、大切な親友。
直後腹を押されて僕は、高校の屋上から身を投げた。だって僕は、一人で死なない弱虫だから。
最期くらい、甘えてもいい?
やりたいことなんてなかった。「海外で視野を広げて、やりたいことを見つける」のがやりたいことだった。その時隣に七がいたらいいなって、そう思っただけだった。ただ俺は、七を守りたかっただけだったのに。
俺は生きたかった。
七は死にたかった。
七、俺は。最後におまえを守れたのかな。死にたいおまえを死なせることで、俺はおまえを守れたのかな。
俺は七が隣にいてくれたなら、それだけで。