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五月上旬の土曜日。ゴールデンウィークもそろそろ終わる頃、矢島は千葉・袖ケ浦駅に着いた。厚い雲がかかり、海から近いこともあって自宅のある横浜郊外よりも湿度が高く、シャツが腕や背中に張り付いていた。
電車でも来られないことはなかったが、一回乗ってみたかった横須賀のフェリー経由で袖ケ浦に来た。まだ許可されてはいないとはいえ久々の「取材」だったので、昨夜は満足に寝付けず寝不足気味だった。いざ駅に着くと、緊張はピークに達し、真顔以外の表情が作れなくなっていた。相手の家に行くということは完全にアウェイだからだ。
佐久間から指定された南口のロータリーに降りると、連絡を受けていた通り、無難なシルバーのワゴン車が止まっていた。汚れが目立ちにくいとはいえ、車は丁寧に手入れされているようだ。
矢島を見つけたのか、近くまで車が寄って来た。目を凝らすと、助手席にはパレードで見かけた人とは違う女性が同乗していた。パレードで見かけた女性は若く佐久間とは親子くらい年齢が離れているようだったが、今回は四〇代くらいと思われる中年だった。
「こんにちは」助手席の窓が開いて、後ろのドアを自動で開けつつ、運転席から佐久間が声を掛けた。
「こんにちは」目一杯の笑顔を取り繕って応えた。
「こちらは僕のパートナーのパートナーで、道鬼結衣さん」佐久間が助手席に座る女性を指した。「パートナーのパートナーなんて、分かりづらくてすみませんね。男一人で車に女性を乗せるのは相手を怖がらせるだろうって、着いてきてもらいまして」
「こんにちは」佐久間の手前に位置する女性が声を掛けてきた。好意的でもない様子だったが、この前の女性のような「敵意」も特に感じられなかった。結衣は、それ以上話さなかった。
「はじめまして。本日はお世話になります」矢島はそそくさと運転席の後ろに座った。「無理を言ったのに、引き受けていただいてありがとうございます。本日はよろしくお願いします」
「まるで、今日取材する気満々って感じですね」佐久間が冷たいトーンで返した。東京レインボープライドでのやり取りと同じだった。「まあ、よろしくお願いします」
後部座席の度が閉まりきると、車はスムーズに発進し、東に向かった。
十分と少し車を走らせると、佐久間たちの家に着いた。周りの家より一回りほど大きく、小さめのアパートと同じくらいの大きさだった。パレードで見かけたときも確か家族と思われる人が六人ほどはいたが、六人では広すぎるくらいの大きさに感じた。表札は佐久間、江口、道鬼、谷と四枚貼ってあった。それぞれのデザインや年季も、少しずつ異なっていた。
「こんなに表札があるのは初めて見ました」矢島は正直に感想を漏らした。
「ウチはポリアモリーで、しかも夫婦別姓だからね。まあ、日本ではいまひとつ夫婦別姓は定着してませんけど」佐久間は、矢島との初対面でも一瞬見せたときと同じように、ちょっと自慢気に答えた。
「実はウチ、親が夫婦別姓なんです」すかさず、矢島は話題を広げようとした。「私は父の姓ですけど、母は仕事のために旧姓のままにして。親戚では結構もめたようですけど」
「へえ。お母様は苦労されたでしょうね。同じ姓じゃないと一体感がないとか絆が壊れるとか言う人もいますけど、本当におかしい話ですよね」佐久間は本当に理解できないといった様子で、早口で話しながら、玄関の鍵を開けた。
「ちょっと」結衣がドアを開けようとする佐久間を制止して、口を挟んだ。「私の前だからいいけど、同じこと陽菜や蓮の前では言わないでよね。特に陽菜は、苗字が一緒とか、そういうのに連帯感を感じるタイプなんだから。そんなこと言ったら微妙な空気になる」
「ごめんごめん」反省していなさそうな調子で佐久間が返事した。
後ろから二人のやり取りを聞いていた矢島は、インタビューに徹して自分の話は極力控えようと決めた。この家族にとって何が地雷か分からない。