22
***
「着いたよー」
信哉が後部座席に声を掛けた。子どもたちと凛子が目をこすっていた。
午前九時過ぎに佐久間が運転する車が信哉たちのところに迎えに来て、谷を奥多摩駅で拾い、予定通り午前十一時前にはキャンプ場に到着した。器具や食材のほとんどは佐久間が用意したので、信哉たちはほとんど手ぶらだった。
子どもたちは、車から飛び出すとさっきまで寝ていたのがウソのように走り回り、河原や木々、川の傍を転々とうろついた。
「危ないから勝手に行くなって」
信哉が積み荷を降ろしながら声を張り上げた後、子どもたちがいる川縁を見た。川は多摩川下流に比べて幅が狭く急流で、目を凝らすと小さな魚が泳いでいるのが見えるほど澄んでいると子どもたちが嬉々とした声を上げていた。もうすぐ八月という暑さの厳しい頃だが、川の近くで風を受けると体感温度がかなり下がった。
「いいですよ信哉さん、ウチが見に行くから」谷が持っていた器具をその場にバラバラと下に落として子どもたちの方に駆けていった。谷は、子どもたちを見守るというより一緒に遊んでいるようだったが、それでも成人が着いているだけで安心できた。
「凛子ちゃん、ありがとー」と信哉が大声を飛ばすと「だから、凛子って呼ばないでー」と帰ってきた。谷は「子」を付けて呼ばれるのが好きではなかった。
「ごめーん」と返答したが、谷からの返事はなかった。少し先に見える橋の方へ向かったようだ。
「課長、何から何までお世話になりっぱなしですみません」信哉が佐久間に頭を深々と下げた。
「僕が言い出しっぺなんだし、気にしないで。それに、こういう恩は返すモノじゃなくて、送るものだから」佐久間は信哉に顔を向けることもなく、どんどん荷物を運び出していた。「あと、会社の外では『課長』って呼ばれるのあまり好きじゃないから、できれば『佐久間』とかにしてくれないかって、前言ったと思うんだけど」
「そうでしたね。ごめんなさい、佐久間さん」
佐久間はあまり役職で呼ばれるのが好きではないようだった。社内では役職や肩書きで呼ばなければならないという暗黙の了解があるので「佐久間課長」などと呼ぶようにしているが、仕事以外で会うときはなるべく意識的に「佐久間さん」と呼ぶようにしていた。
内心、いつか「茂さん」と呼びたいと思っていた。
「炭に火が点いたら、いきなりお肉じゃなくて、最初はこのクーラーボックスに入れてるものを火にかけてね。これ、火が通るのが時間かかるから」佐久間は最も大きい水色のクーラーボックスを指さした。信哉が少し開けて中を覗くと、アルミホイルに包まれた巨大な物体が入っていた。恐らく前日のうちから佐久間が仕込んでおいた料理だろう。
「佐久間さん、料理上手なんですね」
「キャンプ飯は、包丁使わなくても済むような、下準備が簡単で適当でも大丈夫なやつ多いからね。外の空気とか炭火でおいしくなるし。普通の料理は米炊くくらいしかできないよ」
そう言う佐久間の手は、次々に薪や鉄板を用意していっていた。その手際のよさを見るにつけ、料理が下手などと言うことは絶対にないだろうと信哉は思っていたが、これは実際に暮らしてみてから本当に下手だったと判明することになる。
「薪の準備はこっちで進めるから、江口くんはテントとかハンモックとか用意しておいて」
「はい」
しばらく各々が集中して作業する沈黙の時間が続いた。佐久間は火を付けるために口数がほとんどなくなっていた。佐久間はキャンプに凝り出してから、自然のものを使って火種を作ることにこだわっていた。しかしこの方法だと火が薪に移るまでに時間がかかる。子どもたちは料理ができるまでにじっと待つこともできないので、できあがるまで谷が相手をしてくれるだろう。
「ああ、やっとできた」
佐久間の声が後方で聞こえた。ハンモックのひもを木に結びつける手を止め振り向くと、佐久間があぐらを掻いて座る前には、小さな火の柱が立っていた。あとはこれに木の枝や予め用意した薪や炭を投入して、火力を強くさせるのだ。
「前より早いですね」信哉が佐久間に声を掛けた。
「この歳でも成長を感じられるのは嬉しいことだよ」
佐久間が嬉しそうに信哉の方を向いた。無邪気な佐久間の顔を見て、一瞬、信哉は理性がぐらついたような気がして、とっさに視線を逸らした。きっと夏も本番で、頭に血が上っているのかもしれない。川の流れを見ていると、頭が冷やされるような気がした。
「江口くん、さっき言ったクーラーボックスの中のもの、持ってきて」
「あ、はい」信哉は車の近くに小走りで向かい、アルミホイルに包まれたサッカーボールほどにもなる塊を出すと、佐久間の方に駆け寄った。
「ありがとう」佐久間は火の一部を別の場所に移し、その上に雑然と塊を置いた。
「大胆ですね」
「これでいいから楽なんだよ。この分だと最初にお肉が焼き上がるのはそんなに時間かからなさそうだから、凛子呼んでおくか」と言うと、佐久間は腕時計にぼそぼそと話しかけた。佐久間は、仕事中も音声認識機能を使うことを好んでいた。
「あのハンモックの反対側を木にくくりつけ終わったら俺の作業は終わるんで、そしたら野菜切りますね」
「ちょっと待って」信哉が戻ろうとすると、佐久間が呼び止めた。




