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「じゃあ、カレーうどんにしようと思うので、あの棚の上の一番大きな鍋取ってもらえませんか? 私椅子に乗っても届かないので」陽菜が手を合わせて矢島にお願いした。きっと今までいろんな人にこうやって可愛らしくお願いしてきて、男性から勘違いされて困ったこともあっただろうに、と邪推しながら、矢島は椅子に登って鍋を取り、陽菜に渡した。
「この鍋、かなり大きいですね。業務用みたい」
「ウチ、大家族ですからね。じゃ、次は鍋に八分目くらい水入れて火にかけてください」
「はい。……あの、ちょっと聞いてもいいですか」
「私、インタビューなんて受けたことないからちゃんと答えられるかな」
「茂さんが、陽菜さんとは価値観や趣味が合ったとおっしゃっていましたが、具体的にはどのようなものが?」
「ああ」陽菜がネギを切りながら答え始めた。包丁の側面と柄には猫のキャラクターが掘られていた。「まずお金の使い方ですね。趣味や教育にはなるべく使うけど、お洋服や家具はシンプルで長く使えるものだったらブランドものじゃなくていいとか」
「確かにそれは大事ですね」
「あと趣味ですね。彼も音楽好きで、大学時代にはアカペラサークルに入っていたそうです」
「……あまりそうは見えませんね」
「矢島さんって正直ですね」上品に一旦包丁を置いてから矢島の方を見て、陽菜は微笑んだ。「正直、私も初めて茂さんとお会いしたときはそう思いましたよ」
「そういえば、茂さんと最初に対面したときはどうでしたか? というか、ネットで知り合った人と会うのって、怖くないですか?」
「まあそうですね、女性相手に女性だと性別を偽る悪質な男性もいますからね」陽菜は今度はしょうがをすり始めた。「だから、最初に会うときは結衣さんにも同行してもらったんですよ。もちろん、パートナーが同席しますってのは茂さんには予め伝えていましたが」
「新しいパートナー候補に、現在のパートナーを連れて会いに行くって、なかなか新鮮ですね」
「今はポリアモリーも法制化されたので珍しくないと思いますよ」こともなげに陽菜は答えた。「何度かそうやって三人で食事して、私が働き出してからは蓮も連れて行くようになって、それでやっぱり私も家族になった方がいいかなって思って。あ、矢島さん、そのにんにく、皮を剥いて細かいみじん切りにしてくれますか?」
「あ、はい」
矢島も陽菜の隣で包丁を握った。見た目通り料理のしやすい、広い台所だった。ガスコンロは三口あり、その下には先程取り出した鍋をそのまま入れられそうなほど高さと奥行きのある、業務用のオーブンがあった。シンクも、その鍋を置いてもまだ十分な広さが確保できそうなほど広かった。食洗機には鍋は入りそうになかったが、八人分の食器を一度に洗うのは問題なさそうな大きさだった。
「でも、性的関係もなしにパートナーシップまで結ぶのは怖くなかったんですか? 特に陽菜さんは、自分だけの話でもなかったわけじゃないですか」
「うーん、当時はちょっと考えた気もするけど、今じゃ何とも思わないですね」陽菜は少し困った顔をしながら小首をかしげた。「逆に聞きますけど、矢島さんはそういう『段取り』を踏んでから結婚したいと思ってるんですか?」
「そうですね、じゃないとなんか怖いというか」
「何で怖いと思うんですか?」
「裸の相手を見てないと、相手を知らないような気がするんですよね」
「じゃあ、パートナー以外でも裸を知らないと、裸で交わったことがないと、信頼できないと思ってるんですか? 親友も? 裸を見れば信頼できるって、何で思うんですか?」だんだん陽菜の口調から幼さに似たかわいさがなくなり、厳しくなってきた。
「えーと、いや、そういうわけじゃ……。というか正直、結婚願望がないんですよね」
口に出してから、しまった、と矢島は思った。本音だったからだ。
そう思っても口は動き続けた。
「どんなに科学が進歩したって、やっぱり出産をするなら適齢期じゃないと難しいじゃないですか。今私三十一なんですけど、一人目を考えるなら、もうそろそろ本格的に考えた方がいいんでしょうけど、シングルじゃ決心着かないし。一人で産み育てる自信はないから、じゃあ結婚した方がいいよなって思うんですけど、性交渉とか正直そういうの苦手で、婚活も気が進まないんですよね」
もし相手の地雷を踏んでしまったらまずいと思いながら、本音が次々と出てきた。陽菜の柔らかい雰囲気がそうさせるのかもしれない。
「セックスに苦手意識があるんですか?」
それにしても、陽菜は案外ずけずけ聞いてくる。
「あちこち他人に身体を触れられるのも苦手だし、特に挿入が……人の身体が自分の内蔵に入ってくるのが気持ち悪くて……実際、吐いたこともあるんですよね」
「それは確かにトラウマですねえ。まあ私もバイセクシュアルと言っておきながらほぼビアンなんで、挿入が気持ち悪いっていう気持ちは何となく分かりますけど。ところで矢島さん、アセクシュアルって知ってますか?」
「……聞いたことないですね、不勉強で」
「恋愛感情や、性的欲求がない人のことです。これもLGBTQの一つなんですよ」
「へえ、知りませんでした」そういう区分もあるのかと、矢島は驚いた。




