10
「とにかく、陽菜が一人で、ネットで知り合っただけの知らない人、しかも男に会いに行くなんて放っておけない。私も行く。もう予定は決まってんの?」
「私だっていい大人なのに、過保護すぎませんか」陽菜は頬を膨らませた。
こういう可愛いところが好きで結婚までした。しかし、たまにこういう仕草のせいで、陽菜の本当の気持ちが時々分からなくなる。陽菜はどこまで本気で怒っているのだろうか。
「男は警戒するに越したことないよ。それにポリアモリー、ってのなんでしょ? なら私も混ざらないとダメでしょ」
昨夜、陽菜が風呂に入っている間、ポリアモリーをインターネットで調べていた。ポリアモリーのような共同体を作っている人のブログも少し読んだ。でも、今までそのような生活を考えたこともなかったので、その人たちが実際にどのような生活をしているのか、ブログの文字面だけでは具体的に想像できなかった。
「どのみち結衣さんにも会ってもらわなきゃですしね。分かりました」陽菜は、空になったグラスを片手に持って腰を上げた。「結衣さん、次の週末はまた出張ですよね? その次ならいましたっけ?」
「うん、来週で千秋楽だから、今のところその次は空いてる」
「じゃあその週の土曜で打診しときますね」
早速陽菜はスマホを取り出し、手早く指を動かし始めた。
***
翌々週の土曜日、結衣と陽菜は船橋駅前にいた。
「それ、持ちましょうか?」
結衣は先週末のツアー千秋楽で行った北海道のお土産を手に持っていた。
「いいよ、別に重くないし。それに私が渡さなきゃ意味がない」
「変な意地張って」陽菜はわざとらしくため息交じりにつぶやいた。言葉とは裏腹に、陽菜の横顔は楽しそうだった。
腕時計に目をやった。時刻は午後六時四五分を回っていた。五〇分に駅前で待ち合わせの約束になっている。近くのおいしい店を、先方が七時から予約しているとのことだった。店の予約というタスクを相手に奪われたので、お土産で借りを相殺するつもりだった。
二人は先方の顔を一応知っているが、結衣は陽菜に直接会う前に自分の顔写真を送らないように言っていた。陽菜もある程度は相手を警戒しており、結衣に相談した時点ではまだ相手に個人情報を極力開示していなかった。悪者に利用されたり陥れられたりしないよう、女性は最大限警戒しなければならない。
その分、今日は二人で行くこと、陽菜は鮮やかなオレンジのバッグに白いノーカラーのコートを羽織っていて、結衣はグレーに青のチェック柄のチェスターコートを着て行くということだけ、相手に伝えていた。
「あの」陽菜に男性が声を掛けてきた。夜なのではっきりとは見えないが、写真で見た男性と同じであることは確認できた。写真ではあまり分からなかったが、思っていたより長身で、随分上から見下ろされているように感じた。髪も写真よりも長く、耳が少し隠れている。
「あ、SSさんですね。はじめまして、ってのもちょっとおかしいけど。レンママ改めて、道鬼陽菜といいます」
「こんばんは。佐久間と申します。佐久間でいいですよ。こちらも、道鬼さんとお呼びしていいですか」
「パートナーも道鬼なんで、陽菜の方がいいかな」陽菜が結衣を小さく指さした。
「はじめまして。道鬼結衣と申します。陽菜のパートナーで、トランペット奏者やってます」結衣は慣れた手つきで名刺をさっと出した。「あとこれ、先週サポートで帯同していたバンドツアーの千秋楽が北海道であったんで、お土産です。つまらないものですが」
「名刺、頂戴します。それにお土産まで、ありがとうございます、結衣さん。と、陽菜さん」佐久間は二人を確認するように下の名前で呼んだ。
「今日はよろしくお願いします。予約してくださったお店、おでんがおいしいって言ってましたよね? 近頃一気に冷え込んだから、温かいもの食べたかったんですよー」
敵意むき出しのパートナーを連れてきているというのに、陽菜はいつも通り明るくて、まったく緊張していない様子だった。それとも緊張していないように振る舞っているのか。
「それはよかった。早速行きましょうか。ところでお子さん、蓮くんは一人で大丈夫ですか? まだ小学生ですよね?」
「今日は友達の家に泊まらせてもらうことになっているので、大丈夫ですよ」
「そうですか。まあでもあまり遅くならない方がいいですよね。お店に行きましょうか」
佐久間が繁華街の方へ歩き出した。二人は後から着いていった。




