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赤が青の世界

ある日、自分だけが違う世界にいると知った。

それはしょうもない会話から判明した。会社の後輩と、コンビニに昼飯を買いに行った時だ。コンビニに入る直前、


「あそこの女、お前の好みじゃね?」


と、後輩に言った。


「え、どこっすか?」

「ほら、あそこのビルの前に立ってる、赤い服の」

「あそこにいる子?」

「おう、タイプだろ」

「まあそうですけど・・・」

「なんだよ、その薄い反応。もっと可愛いほうがいいとか? お前なあ、贅沢言うなよ」

「いやそうじゃなくて・・・あの子の服の色、青ですけど?」

「え? いやいやいや、赤だろ。あのワンピースは」

「何言ってんすか。青ですよ」


赤と青の攻防戦は、しばらく続き決着がつかなかった。そこに同じ課の女性社員がやって来た。


「青ですよ」


あっさり勝敗がついた。

しかも女性社員は、赤に近い青とか、微妙な青ではなく、見間違えようのない真っ青だと、怪訝な顔をした。馬鹿されているのかと勘繰ったが、二人とも俺を本気で心配していた。どうやらあのワンピースは『青』らしい。

呆然としている俺に、後輩がスマホで『青色』を検索して見せてくれた。すると、『イチゴ、血液、トマト』という説明文と、俺が小さい時からずっと思っていた『赤』が映し出されていた。

逆に『赤色』の検索結果は、『海、空』など、俺が小さい時からずっと思っていた『青』があった。

何が起こったのか、全くわからなかった。俺は焦って、別の色も検索してもらった。白、黒、黄色、緑、オレンジ・・・。他の色は大丈夫だった。俺の認識と一致していた。じゃあなんで、『赤』と『青』だけが入れ替わってしまったのか・・・。


もやもやした気持ちのまま、なんとか仕事を終え、家に帰ると、ただいまも言わずいきなり妻に聞いた。


「トマトの色って、何色?」


答えはやっぱり、『青』だった。やりとりを聞いていた中一の娘には、


「お父さん、幼稚園からやり直したら?」


と、呆れられた。

これはなんなんだ? 俺に何が起こったんだ? それとも俺以外に何かが起こったのか?

もやもやから不安な気持ちへと落ちていく。何が原因で、何をしたら元に戻るのか、皆目見当がつかないことが、不気味で怖かった。


そんな恐怖を抱えながら、数日を過ごした。俺の中の『赤』は、世間では『青』と呼ばれていた。でも、ただそれだけだった。『赤』と『青』いう名称が、入れ替わっただけで、特に日常生活に支障はなかった。『赤』に出会ったら、頭の中で『青』という名称に変換する。『青』も同じことを。本当にただそれだけで、問題はなかった。日が経つごとに、脳内で自動変換されるようになり、『赤』は最初から『青』と呼ばれていたんじゃないかと思うこともあった。


そのニュースを見たのは、自動変換に慣れ切った頃だ。


『衣料品店の店員が、客にキレられ暴行される』


なんてことのない、小さな事件だったが、『衣料品店』というのが珍しいなと思い、その新聞記事の詳細を読んだ。そしてある箇所にハッとした。客がキレた原因が、店員が持ってきた服の『色が違う』ことだったのだ。『何度言っても、違う色を持ってきたので、キレてしまった』と加害者の客は証言していた。心臓が大きく波打った。


これは・・・もしかしたら・・・。

俺は、すがる思いで記事を読み返していた。


日曜日。俺はその衣料品店に行ってみることにした。被害者の店員は軽傷と書いていたから、店を辞めてなければ、働いている可能性は高い。会って、聞いてみたい。あなたも俺と同じでは? と。


その店は、高級路線のいわゆるブティックだった。こんなおしゃれな店に入ったことは今まで一切なかったから、引き返そうかと思ったが、やっぱりどうしても確かめたくて、緊張でロボットみたいになりながら、店に入った。


店内を見回す。数名いた店員の中に、眼帯をした男が一人いた。スラっと背が高く、ハンサムなしょうゆ顔だが、その切れ長の目は、見る人が見れば目つきが悪いという印象を持たれてしまうだろう。俺は、彼に近づいた。


「あの、すいません」

「はい。いらっしゃいませ」


笑顔はない。この感じで、何度も違う色の服を持ってこられたら、イラっとしそうだ。


「つかぬ事をお聞きしますが、あなたが客に暴行された方でしょうか?」


この店の滞在時間を短くしたくて、俺は単刀直入に切り出した。相手はびっくりしていたが、「そうですが」と答えると、こちらを怪訝に見つめた。


「もう一つつかぬ事をお聞きしますが・・・色で困っていませんか?」

「え?」

「色、というか、色の名前で、・・・」


俺は、変人と思われてもいいと覚悟を決めて、また率直に聞いた。でも、彼の表情を見て、ドンピシャだと確信した。怪訝そうだった彼の顔が、息を吸い込んだまま俺を凝視して固まったのだ。


「あるんですね? 自分だけ、色の名前が違ってしまったんですね?」

「どうしてそれを?」

「俺も同じだからです」

「!」

「赤が青になりました」


店員の彼は辺りを見回すと、小声で、


「この店を出て、左の角を曲がったところに喫茶店があります。2時間後、そこで少しお話しませんか」


昼の一時。俺が指定された喫茶店でナポリタンを食べ終えた頃、昼休憩になった彼が走ってやってきた。店員は、俺の前の席に座るなり、


「僕も『赤』と『青』が逆転しちゃったんです!」


と、開口一番に言った。俺は大きく頷く。新聞記事を見た時の直感は正しかった。彼は話を続けた。


「それに気づいたのは、暴行されるもっと前で。最初は、なんかのドッキリかと思ったんですよ。ほら最近、素人だますテレビ番組あるじゃないですか。あれにひっかかったんだなって、すげえしょうもないドッキリだなって思ったんですけど、違ってて。客も同僚もみんなだましてないってわかって、すっげえ不安になって」

「頭おかしくなったって?」

「はい。あ」と、彼は俺に指さす。

「俺も同じ。完全にイカれたと思った」


お互いホッとして顔を見合わせた。逆転現象が起きた時期を聞くと、俺より少し後だった。


「客に暴行されたのも、そのせい? 色がわかんなくなったの?」

「ええまあ。いや、わざとかな」

「え?」

「あの客、最初から態度でかくて嫌だな、って思ってたところに赤と青の服をチョイスして。僕も頭で間違えないようにしていたけど、もうわかんなくなってきて、もういいや、って適当にやってたら、怒っちゃって・・・」


彼の気持ちがわかるのは俺だけだと、ことさら大きく頷いてあげた。


「でも、それでよかったんです。事件になったおかげで新聞に載って、あなたが会いに来てくれたんですから。仲間が増えた」

「仲間と言っても、俺と君の二人だけどね」

「二人じゃないですよ」

「え?」


クエスチョンマークが頭の上に浮かんでいる俺に、彼は、「行きましょう」と、さっさと喫茶店を出てしまったので、慌てて追いかけた。


「行きましょうって、どこに? ってか、仕事は?」

「半休取ってきました」


こうなることを想定してたってことか。不信に思っている僕に、先を歩く彼が言う。


「安心してください。仲間の元へ案内します」


だから、その仲間ってなんだよ・・・。変な宗教にでも入会させられるかもしれないと立ち去ろうと思ったが、同じ現象を持つ彼とこのまま黙って別れる気にはなれず、大人しく後をついて行った。


着いたのは、古い雑居ビルの地下階だった。あからさまに怪しい雰囲気・・・。あのしょうゆ顔をなんで信用したんだと、自分を叱咤したが時すでに遅く、彼はもうある一室のドアを開けていた。


「どうぞ」


しょうゆ顔にうながされ、恐る恐る入ると、そこは会議室のような白壁のきれいな部屋で、さまざまな年齢、性別の10名ほどが、椅子やソファに座っていた。みんなが一斉にこちらに顔を向けた。警戒している女子高生、同情心をあらわにしている年配男性、なぜか闘志に燃えているようなギラギラした青年などなど、いろんな顔が俺を見つめていた。一人の女性が俺の前にやってきた。年齢は三十代半ば・・・俺と同じくらい。オフィス街でよく見かけるようなOLさんといった風貌だった。


「ようこそいらっしゃいました。西村くんから聞きました。あなたも、例の現象が起きているんですね」


あのしょうゆ顔の名前が西村だと初めて知った。名前も名乗り合わずここまでついてきてしまったことに改めて驚いた。俺もよっぽど余裕がなかったんだな・・・。

女性は、おもむろに話し出した。


「ここにいる人たちも、あなたと同じです。あの現象に襲われています」


西村くんが言っていた仲間が本当にいたのかと、またまた驚いた。


「私は、あなたたちのサポートをしたいと、このグループを作りました」

「サポート?」


と、素直に聞き返した俺に、彼女はすっと目を伏せて、


「私に現象は起こっていません。逆転したのは、私の母でした」


と、静かに答えた。


「母は、私に助けを求めました。でも私は、母の言葉を信じませんでした。バカじゃないの? と罵倒しました。その後も取り合わず、母もそのことについて話すことをやめました。助けを求めてから数日後、母は車の運転中に事故を起こし亡くなりました。たぶん、悩んで運転がおろそかになったんだと思います。うちは母子家庭で、相談できる相手は私だけだったのに、全く耳を傾けませんでした」


俺みたいに逆転の世界になじめず、思い悩んでしまう人もいる。一番信じてほしかった人に信じてもらえず、不慮の事故で亡くなった彼女の母親に心底同情した。


「私は自分を責めました。母が言ってたことを調べもせずに完全に否定してしまったことを後悔しました。それでSNSに呼びかけたんです。母と似たような現象に襲われている人がいないか、と。そしたら、いたんです」


今ここにいる人たち、他にも何名かが、彼女の呼びかけに反応してくれたという。でも、俺のように西村くんの事件がきっかけで現れるパターンは初めてだそうだ。

でも、呼びかけて集めて、何をするんだ? という疑問が浮かんだ。彼女は、俺の考えを先取りしたかのように語った。


「世間にアピールしようと思っています。こんな信じられない現象が起きていることを、そして、ひそかに悩み苦しんでいることを、世の人々に認知してもらう運動をしていこうを思っています。もしかしたら元に戻る方法が見つかるかもしれないし。母みたいに悩んで命を落とす人を、もう絶対になくしたいんです」


きっと彼女は母の死を、自分の責任だと思っているのだろう。活動に自らの命もかけているくらいの熱さを感じた。そこへ西村くんも加勢してきた。


「今のままだと、また最悪な不幸が起こってしまう。僕が遭った暴力みたいなものも、起こってしまう。でも、今から頑張って運動すれば、不幸な暴力や事件を未然に防げると思うんです!」

「よかったら、あなたも一緒に私たちと運動してくれませんか」


彼らの悲痛な叫びに答えてあげたかったが、はっきり言って俺は、そんな運動には関わりたくなかった。自分が変人だと世間にばれてしまうことも、よくわからない運動に貴重な時間を奪われることも願い下げだった。


「ごめんね。できたら協力してあげたいけど、もうかなり慣れてきているし、日常生活に支障はないから、荒波立てるようなことするのはちょっと・・・」


俺の言葉を、彼女はじっと聞いていた。心の中ではきっと意気地のない男だと、なじっていただろう。見守っていた女子高生や男性たち、そして西村くんのしょうゆ顔は、完全に失望をにじませていた。でも、これが俺の本音だからどうしようもなかった。

帰り際、彼女が一枚の名刺をくれた。そこには、彼女のSNSのアドレスが書いていた。


「気が変わったら、ここに連絡ください」


力強い彼女の声が、俺のうしろめたさを助長し、足早に立ち去った。

帰宅すると、まだ日は高かったが酒を飲んだ。今日のことを忘れてしまいたかった。


テレビの音で目を覚ました。そのままリビングで眠っていたらしい。ニュースが流れていた。どこかの公園でコスモスが満開になったと、テレビ画面いっぱいに天国みたいな花畑が映し出されていた。妻が夕飯をテーブルに並べ始め、娘もやってきて、3人で食べ始めた。『平和だな』と思った。あの地下階でのことは、夢だったんじゃないか・・・。もう忘れよう。俺には関係ない。


「『安全』が再稼働だって」


娘が言った。


「よかったよね。動いてくれないと、困るもんね」

「あら、麻由、そんなのに興味あんの?」

「そりゃ、私だって社会のことに関心あるもん」

「へー、大人になったもんだね~」


娘と妻ののんきな会話の、意味がわからなかった。


「なんだよ、その『安全』ってのは」

「お父さん、それマジで言ってる?」


娘が呆れてこちらを見た。この呆れ顔は前にも見たことがある。俺がトマトの色を聞いた時だ。


「『安全』は、あれでしょ」


娘はテレビを指した。映っていたのは、『原発』だった・・・。


「あれは、『安全』なんて名前じゃない、『原発』って言うんだぞ。『原子力発電所』略して『原発』だ」

「原子・・・何? そんな長ったらしいわけないじゃん。『安全』は『安全』だよ」


まずい・・・これはものすごくまずいぞ・・・心の中で俺は呟いていた。


「・・・一応聞くけどさ、『安全』の言葉の意味って・・・」

「はあ? 何言ってんの? お母さん、お父さんがおかしくなった~」

「いいから! 教えろよ! 『安全』の意味は?!」


あまりに真剣に問い詰める父親に、ドン引きしながらも、娘は答えた。


「『安全』は、安心とか危険じゃないって意味じゃん・・・まじでどうしたの? リストラにでもあった?」


これは、逆転にもなってない・・・色でもないし・・・どういうことだ?! どういうことなんだ!!


「麻由、ちょっと待って・・・」


俺たちの会話に入ってこなかった妻が、テレビ画面を凝視していた。そこには、『原発』という文字が書かれていた。


「あれ・・・『原発』って書いてある? 違うよね。そんな名前じゃない。『安全』よね? 電力を作ってくれるあれは、『安全』だよね?」


混乱する二人を残して、俺はリビングを出た。ポケットに入れていた名刺を取り出し、SNSにメッセージを送信した。


『集会に参加させてください』


『原発』が『安全』の世界に、俺の大切な二人が行ってしまった。これは俺の世界より、かなりやばい状況だと思う。どうやばいのかはわからないが、とにかく、『安全』ではない。妻と娘を救わなくては・・・。他人のためには動かないが、家族のためなら俺はなんだってする。批判されたってかまわない。

西村くんは言っていた。『不幸な暴力や事件を未然に防ぎたい』と。今ならまだ間に合うかもしれない。何をどうすればいいのかなんて、全くわからないけど。とにかく行動しよう。


おわり



最後までお読みいただき、ありがとうございました。


次回も11月18日(月)ごろに、短編小説を投稿しますので、よかったら、のぞいてみてください!

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