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スイーツ奇譚  作者: 浅倉喜織
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特別なパンケーキ

パンケーキとホットケーキって、どう違うんでしょうね。


確かパンケーキは「フライパンで作るケーキ」だからパンケーキと言うんでしたっけ。

でもそれなら、ホットケーキもそうですよね。

ホットケーキって、フライパンやホットプレートで簡単に作れるケーキですし。結局同じなんでしょうね。


でも僕の中では、ホットケーキは家庭で手軽に食べるもので、パンケーキは外食で食べる特別なものという感じがします。

手間隙がかかってるとか、こだわりの材料で作られてるとか、そういう理由では無くて…パンケーキは僕の中ではどんなものより特別な料理なんですよ。

綺麗なカフェやホテルのものじゃなくてもね。ここみたいな賑やかすぎるフードコートのパンケーキでも。


見てくださいよ、このパンケーキ。薄くて小さいパンケーキが二枚、チョコペン、ひと口サイズのゼリー。あぁ、このバニラアイスといちごアイスですか?これはそこのアイス屋で買ったものを乗せただけです。


粗末でしょう?量も無くて、おしゃれでもない。ただのお子様パンケーキセット。

僕はね、これがいいんです。これが僕の特別な料理ですからね。

あなたには話しておきましょうか。聞いてくれますか…?



僕がまだ3歳くらいの時でした。僕は幼稚園に行ってなくて、毎日母と過ごしてました。えぇ、母とばっかり。

昼間に公園に行くのは週に一度くらいでしたから。

母は家で仕事をしていて、僕の面倒を見ながら家事と育児と仕事をしていました。

“ワンオペ育児”って言葉、聞いたことありませんか?昔はそんな言葉ありませんでしたけど、今の僕から見ると、母はまさにワンオペ育児をしていたと思います。

父はいつも夜の20時くらいに帰ってきて、お風呂に入ってご飯を食べてテレビを見てるだけ。僕を叱ることはあっても、遊んでくれることはありませんでしたね。

僕や父が眠った後、母は明け方まで仕事をしていたようです。よくソファに座ったまま寝ていましたから…。朝になると、ガラガラの声で「おはよう」と言って、朝ごはんを作ってました。


髪もボサボサで、化粧もしない。いつも気怠そうにして、ぼうっとしていました。

それでも、僕に絵本を読んでくれたり、手作りのおやつを食べさせてくれたり…掃除も料理もきっちりやっていました。

専業主婦と同じくらい家事と育児をしながら、家で仕事をする。母の負担は大きすぎました。


母は、疲れていたんだと思います。

食欲も無くなり、口数も少なくなり…母は痩せていきました。

時々母は、無言で涙を流していました。そんな時、母は僕を抱き締めてこう言っていたんです。


「健太は可愛いね…すごく可愛い。なんでこんなに可愛いんだろうねぇ」


とね。まるで自分に言い聞かせる呪文のようでした。

僕には子供はいませんが、母は僕に当たってしまうことをそうやって思い止まっていたのかもしれません。

辛いことも、苦しいことも…そうやって一人で背負っていたのだろうと思います。


ある秋の日でした。僕が朝起きると、珍しく母が化粧をしていたんです。


「健太、ママとお出掛けしよう。楽しいところに行こうね」


久々に見た明るい笑顔でした。

朝食を食べて着替えると、母は旅行などで使うような大きめのバッグを持ってきました。その中に、僕の着替えやおやつ。お気に入りのオモチャや絵本を詰め込んでいました。

僕のお出掛け用に買ってもらったパトカー型のリュックにおむつを詰めて、家を出ました。

化粧をし綺麗なワンピースを着た笑顔の母に、僕まで笑顔になりました。

今日のママは泣いてない、きっと今日はとても素敵な1日になるのだと…。


電車を乗り継いで連れて来られたのは、大きな室内遊園地でした。

巨大ボールプールにアスレチック。ミニカーや電車のオモチャで遊べる部屋。子供に大人気にキャラクターグッズを集めた部屋。フリーパスを買えば何度でも乗れる子供用アトラクション。

まさに子供の王国です。

初めて訪れたパラダイスに、僕は興奮しました。

ボールプールで泳ぎ、大好きな新幹線のオモチャを走らせ、アトラクションに乗り、巨大滑り台に何度も挑戦しました。

笑い転げる僕を見て、母も笑っていました。見たこともないような、底抜けに明るい母がいました。


昼食は施設内のフードコートで食べました。


その時に食べたのが、パンケーキです。


ホットケーキは家でもよく母が作ってくれていましたが、甘さを抑えたヘルシーなものでね…。

この日だけは甘い市販のパンケーキを食べさせてくれました。それだけじゃない。家では父が禁止しているアイスクリームも買ってくれました。


「健太、パンケーキの上にアイスクリームを乗せると、とても美味しいのよ。ほら、バニラといちご。甘くなって美味しいでしょ?今日はたくさん美味しいの食べようね」


熱々のパンケーキに冷えたアイスクリームを乗せると、溶けてパンケーキに染み込んでいきました。

程よく冷えたパンケーキは口に入れると、パンケーキの甘さとアイスクリームのなめらかさが口の中で溶け合い、この世のものとは思えない美味しさでした。

「おいし!おいし!」と言いながらパンケーキを頬張る僕を、母は笑顔で見守っていました。

でもその笑顔は、どこか寂しげな影がありました。



その日の夜は、家に帰らず施設の近くにあるホテルに泊まりました。

僕はベッドで絵本を読んでいましたが、母は珍しくお酒を飲んで煙草を吸っていました。

母が煙草を吸っているところを見たのは、これが最初で最後です。

僕がウトウトして来ると、母は僕の隣に横になって言いました。


「健太…ママはね、健太のことが大好きよ。ずっと健太と一緒にいたい。でも、ママ疲れちゃったの…」


母は、泣いていました。そして僕を抱き締め、頬にキスをしたのです。


「ねぇ健太。健太はママと一緒がいい?ママと一緒にいたい?」

「ぼく、ママが大好き。ママ、だーいすき」

「……そっか。ママと一緒がいいか。そっか…そっか……」


きつく、きつく…母は僕を抱き締めました。

嗅ぎなれない酒と煙草の匂いに包まれながら、僕は眠りに落ちました。どんなに慣れない匂いでも、母の声と温もりに安心してしまったんです。



翌朝、母は部屋のドアノブで首を吊って死んでいました。自殺でした。

その日の朝の記憶は、それしかありません。きっと朝食を食べに来ない僕たちをホテルマンが呼びに来て見つけたのでしょう。

“育児に疲れた主婦の自殺”と片付けられ、それから僕は父と祖母に育てられました。

成長するにつれ、僕はあることを疑問に思い始めました。


母は何故、僕を連れて逝かなかったのだろう。


あの日母は、僕と死のうと考えていたんだと思います。

おしゃれをして贅沢にお金を使って、僕が楽しめる場所に行って、普段は飲まないお酒や煙草を味わって…疲れた体に鞭打ったのか、吹っ切れてしまったのかは分かりません。

この世と別れを告げるために、精一杯のことをしたのでしょう。

「ママと一緒にいたい?」と言ったのは、僕を連れて逝くための最終確認だったのだと思います。でも、母は僕を連れて逝かなかった。

殺すことを躊躇ったのか失敗したのかは分かりません。眠る僕を見て、死なせちゃいけない…一人で逝こうと決意し、首を吊ってしまったのかもしれません。


結果的に生かされた僕は、それなりの平凡な人生を歩んで来ました。

友達も出来たし、そこそこ勉強も出来た。彼女だって何人かいました。大学も就職も、それなりのところに行きました。

そんな平凡な人生を歩んで来ましたが、幸せだったかと言えば…分からないんですよ。

人生の節目ごとに、こんな時に母がいたら何て言うんだろうって思ってしまったりしてね。


母がいたらどう思っただろう…

母はどんな顔をしただろう…

母がそばにいたら…


母は、何故僕をおいて逝ったのだろう…


でもね、いつの頃からか気付いたんです。母は今も、僕のすぐそばにいるって。

どこにいても、母の気配が伝わって来るんですよ。

父と大喧嘩した夜、母はずっと僕の手を握ってくれていました。

姿は見えないのに、温もりだけが手にじんわり伝わって来てね。

「健太、大丈夫よ。ママ、一緒にいるよ…ママと一緒…」と囁かれているような気がしました。

首を吊ったあの日から、母は僕のそばにいるんです。


えぇ、勿論ここにもいますよ。何て言ったってこのフードコートは、僕と母が最後に食事をした場所ですから。思い出の場所なんです。


やだなぁ、そんな顔しないで下さいよ。怖がらせようとか思ってませんから。

僕はね、あなたと知り合えて良かったと心から思っています。

「一緒に死んでくれる人いませんか?」という投稿をSNSで見つけて、あなたに声をかけて本当に良かった。


確かに僕は母に生かされましたけど、やっぱり僕は母と一緒にいたいんです。

決死の思いで僕を道連れにしようとした母は、何を思ってか一人で旅立った…きっと今も僕のそばにいるということは、寂しいんだと思うんですよ。

でも、一人で死ぬのは難しい。あなたとなら協力し合って逝けると考えたんです。


どうしましたか?そんな真っ青になって。怖がらないで下さい。大丈夫、失敗はしませんよ。

車に練炭と七輪を詰んであります。お酒も買いましたし、死に場所の下調べも済ませてますから。

僕の母がそばにいますから、きっと上手く連れて逝ってくれますよ…。


さあ、このパンケーキを食べたら出発しましょうか。アイスクリームが溶けて来たな…懐かしいなぁ、この味。


早く母さんに会いたいよ。



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