災厄の影
昆虫は蛹の中で、一度体を全て溶かして、幼虫の体から成虫の体に作り直すそうだ。真偽の程は分からない。俺がまだ小学生だった頃聞いた話だ。
その話と似ているかもしれない。
ジャファイアントは黒い影の蛹を経て漆黒の獅子となった。
アナウンスされていた“災厄の影”はこの獅子を指すのか、ジャファイアントを包み込んだ尻尾のことか、はたまた両方とものことなのか。
獅子の周りには余計な筋肉だとばかりに切り捨てられたジャファイアントだった肉塊がいくつも転がっている。
ジャファイアントと比べ、獅子の身体つきはスリムだ。無駄がない、しなやかな筋肉をしている。全身がバネかゴムでできているかのようだ。
「バリ、ゴリ、……グシャ」
獅子は俺たちの方に一瞥くれると、残った肉塊を頬張り始めた。
そこにあるのは呆れるまでの自信。たとえ食事中でも人間ごときに自分を傷つけることなどできないという傲慢なまでの自信。
「その自信、いつまで続くか……」
「ナミト、それどちらかといえばやられる側の台詞じゃないか?」
「うるさいなあ……喰らえ」
パチンッーーーゴオォォオオ
獅子の体が光の球に包まれる。もちろんファイアー・ボールだ。
「おお、特大だなぁ」
浩介が暢気な声を上げる。
特大。サイズがデカい訳ではなく、魔力の濃度を過去最上級に濃くした。
それでもーーーーーー俺は戦慄する。
「なんとなく分かっていたが……無傷か」
光が引くと、ファイアー・ボールなど歯牙にもかけずに食事を続ける獅子の姿があった。
しかもジャファイアントの肉をいい具合に加熱している。
熱運動を押さえつけたか、熱に伴う化学変化を押さえつけたか。この世界の魔法に対する防御はよく知らないが、そんな方法もあったとは……。
「おい、ナミト、よく分からないけど魔法が効かないのはまずくないか?」
「……ああ、マズイ」
「退くか?」
「いや、……無理っぽい」
ジャファイアントとの戦いで扉は歪んでしまって開かないようだ。
「おいおい、ナミト。歪んだ扉を開けるより、いま目の前にいるライオン倒す方が簡単だって言うんじゃないだろうな?」
「……戦ってみたい」
「あ?」
「コイツと戦ってみたい」
理由は、ある。
というより戦いたいあまりに浩介達を説得するための理由を見つけ出したといった方が近い。
「まず、今回のダンジョン攻略で結印魔法にした魔法を織り交ぜて実戦でやりたい。
それから、これは浩介に関係あるが……」
「何だ?」
「この部屋、絶対、異世界人……というか地球人、さらに言えば日本人が作っただろ」
扉の“押”の字、“主よ、人の望みの喜びよ”、さらに『主導権をジャファイアントから災厄の影へ移行します』というアナウンス。あれは日本語だった。この世界の人間が聞いても訳のわからない音でしかないだろう。
「だとしたらこの獅子もその日本人を守っているんじゃないか?」
「守ってんならそっとしておいてやれや」
「この先に、もとの世界に戻るヒントがあるかもしれない」
「……!」
「……かもしれない」
再度言うようだが、俺は戦いたいだけだ。戦うための理由を考えているだけだ。
「あ、食べ終わったみたいですよ」
獅子がこちらを見て、舌なめずりをする。
「……餌だな、俺たち」
「餌だなぁ」
「餌ですねー、森にいた頃にもあのような目を向けられたことがあります」
テク、テク、テク……。
俺たちに逃げられるとすら思っていないのだろう。
悠然とした、それでいて軽やかな足取りで近づいてくる。
「マズイな……あっち行け!」
地面の摩擦係数を限りなくゼロにしてから、空弾で吹き飛ばす。
獅子が体勢を立て直し戻ってくるまでの時間は僅かだろう。
刀印を結んで聖魔剣を具現化させ、右手に構える。
ベルトにはスライム・マスケットを引っ掛ける。
スライム・マスケット……スライム・イーターの攻撃方法をヒントに開発した武器だ。
っと、説明は後で……獅子が迫る。
「魔聖剣・盾」
「身体強化!!」
「風の壁!」
各々が防御形態をとり、獅子の攻撃に備える。
俺は魔聖剣の“空間を隔てる”という本質を利用して彼我の間に侵すことのできない境界線を築く。所謂、結界だ。
光すら通さない為全反射して眩しく輝く。
浩介は表皮に身体強化をしているのだろう。体の表面をガッチガチに固めているので、身動きが取れないのが欠点だ。
ラフが展開したのは初めて会った時に俺が使った防御魔法だ。
「……グォン」
獅子が低く唸り、身を臥せる。後肢の筋肉が膨れ上がる。
「ガルゥ……グワッ!」
黒い残像を残して獅子が消える。
「ナミト!上だ!」
浩介の声につられ魔聖剣を上に構える。
ガシャーーーーン
真上からシャンデリアが落下してくる。
「あぶッ……」
俺は咄嗟に横に転がり避ける。
獅子はどこだ?早すぎて目でとらえることができない。ただ黒い残像がうっすらと見えるぐらいだ。
「ラフ、加速で追いつけるか?」
「追いつくも何も速すぎてどこにいるのかわかりません!」
くそ、この中で一番速いラフですら対処できない速さとは…………
「がはッ」
一瞬で視界が変わり、後ろに吹き飛ばされたのだと気がつく。
壁に打ち付けられ、肺が潰されて呼吸が止まる。
……見えた!
「チィッ!魔聖剣!」
「ガルゥッ」
首を狙ったつもりだったが、かわされ、代わりに右の前脚が飛ぶ。
「魔聖剣は効くぞ!」
「ご主人様!」
獅子の傷から、黒い影が触手のように伸びて……斬られた右脚を掴む。
「クッソ、不死身かよ?!」
獅子の腕は斬られたことが嘘のように元どおり再生していく。
魔法攻撃は力ずくで抑えられ、物理攻撃は破損箇所をすぐ修復されてしまう。……弱点はどこだ?
「熱拳!!」
「アイアン・インパクト!」
浩介が獅子の鼻面を殴り勢いを止め、ラフが首めがけて強力な体当たりを食らわせる。
「グラァァア!」
獅子の首が折れ曲がり、……やはり何事もなかったかのように再生する。
「クソッ、エクスカリ……ガアッ」
………………?!
「おい、ナミト、やっぱり退こうぜ……おい、ナミト?」
「ああ!ご主人様、どうしたんですか、それ?!」
痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いいたいいたいいたいイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイーーーーーーーーーーーーーー。
* * * * * *
オレは切り落とされた俺の左足を眺める。切り口はまるで平らで、標本か何かを見ているかのようだ。
切られたのは膝から5cmほど下のところ。出血が酷い。止血しなくては……。
「ナ、ナミト?大丈夫なのか……?」
「問題ない……ファイアー・ボール」
出血箇所を焼いて血を止める。く、それでも出血が多すぎたか。めまいが酷い。
痛い。痛すぎる。それでも、その痛みに耐えるのがオレの役割だ。
ギルド証を確認すると、
㏋:50%
と表示されている。オレは今文字通り、“半殺し”にされているわけだ。
「ガルゥ……」
右足だけで立っているのは、少し疲れる。地球の医療は分からないが、この世界の治癒魔法なら欠損部位をつなぎ合わせることも可能だ。
そう考えて左足に手を伸ばしたときだ。
どこからか蠅が飛んできて、俺の左足に止まった。ように見えた。
実際に飛んできたのは黒い、実体のない影の小さな塊だったんだろうが、オレはその時は蠅だと思い、手で払おうとした。
蠅は逃げるでもなく、俺の左足に…………染み込んだ。オレはこの時ようやくそれが蠅ではないことに気が付いた。
黒いシミは俺の左足を包み込むように広がり、
ーーーゴリ、グギュ
生々しい音を立てて変形する。ジャファイアントを飲み込んだ時と同じだ。
ジャファイアントの時と違うのは、俺の左足は余すところなく使ってもらえた、ということと、完成したのが漆黒の獅子ではなく黒猫だ、ということぐらいだろうか。或いは黒猫ではなく子ライオンかもしれない。
「ガウッ」
今まで速すぎて目でとらえられなかった獅子が突如目の前に現れ、子ライオン(つまり俺の左足)の首根っこをつかんで高く飛び上がる。
獅子が着地したのは、岩の壁がへっこんだ場所。遥か10mほど上にあり、下からはよく見えない。
子供は安全な場所に運んで、自分だけで戦う、ということだろうか……
「ミャウッ」
……違った。獅子は、子ライオンを壁の窪みから、叩き落とした。
ネコ科を形どったであろう子ライオンはやはり猫らしく、見事な三半規管を利用して無事に着地した。
「ガウッ」
獅子は再び、三度と、子ライオンを壁の窪みに運んでは落とすのを繰り返す。
何がしたいのかはわからないが、この動作中は、目で追えるほどの速度しか出ていない。
「燃えろ」ーーーパチン!
「ご主人様、それはさっき効かなかったじゃないですか!」
「そうだったか?」
ラフの言う通り、獅子はファイアー・ボールなど意にも介さず子ライオンを運び続けている。
「……なあ、ナミト」
「なんだ?」
「ナミトの予想だと、この部屋は、俺たちと同じ日本人が作ったんだろ?」
「ああ」
「それなら、あれは何かのヒントなんじゃないか?」
「!そうか、なら、」
オレは魔聖剣をしまい、新たな魔法を発動する。
「魔物創造」
創造した魔物は、スライム・イーター。但し、込める魔力を大幅に減らし、超小型のものをつくった。
「喰いやがれ!」
出来上がったスライム・イーターを獅子の口もとに投げつける。
「ガウゥ」
「喰ったな?……暴れろ、スライム・イーター!」
「ガァァァアアアアアアアアアア」
獅子が黒い血を吐き、地を転げ回る。
それから獅子は、2分と経たず、黒い灰になった。
「なんだ、これ」
灰の中から光る物を見つける。一振りの長剣だった。
「ゴロゴロ……」
足元からネコが喉を鳴らす声が聞こえる。
見ると子ライオンがオレの右脚に頬ずりしている。
「お前は俺の左足に戻ってくれるとすごくありがたい」
子ライオンはオレの顔を見てキョトンと首を傾げたあと、
「ニャロン」
と一声鳴き、オレの左足に帰った。
* * * * * *
「おい、ナミト、あれ」
浩介の声が聞こえる。
左足を見ると、元どおりとは言いがたく、真っ黒だが、ちゃんとある。
「ナミト、あの扉の向こうに、日本人がいるかも、だろ?」
浩介が指差す方をみると、『関係者以外立ち入り禁止』と日本語で書かれた扉があった。
「あ、ああ、そうかもな」
左手に鈍い痛みを感じ見ると、小指がない。小指が、ない。呆気にとられ眺めていると、小指の傷口から黒い影が伸びて、小指を形成した。
ちゃんと、俺の意思に従って動く。
「おーい、ナミト!早く行こうぜ!」
浩介が遊園地にいる子供のように急かしてくる。
「おう、今行く!」
俺たちは、“押”と書かれた扉を引いて、中に入った。