ジャファイアント
翌日ーーーダンジョンの中なのではっきりとした時間はわからないがーーー目を覚ますと、
ーーーーーーグララアガアアアアアアアアア゛
まだ例の叫び声が聞こえる。
「“グララアガア”か。象の魔物でもいるのか?」
浩介が謎の解釈をする。象?なんで象なんだ?
「え?国公立の大学目指してたのに知らないのか?」
「象の鳴き声か?パオーンだろ、パオーン」
あのラッパのような鳴き声が地味に苦手で昔は動物園の象コーナーには近づけなかった。
「……ああ、理系だったのか」
浩介が独り合点する。確かに俺は理系だったが、それがなんの関係があるんだ?
「とにかく、今回のダンジョン篭りの目標はその象の魔物の討伐ってことでいいな?」
「だからなんで象なんだ?……別にそれで構わないけど」
「では、出発しんこー!です!」
ラフが元気よく右の翼を振る。拳を突き上げたつもりなのかもしれない。
今日は昨日と違い、いつもどおりパーティーとしてダンジョンに挑む。
この拠点とは一時的にお別れして、今日たどり着いた場所で新たな拠点を作るつもりだ。
ちなみに、昨日の蜘蛛型の魔物は“スライム・イーター”という名前だということがギルド証を調べてわかった。
おそらく名前の通り、スライムを食べることで魔法を吸収する特性を取り込んでいたのだろう。
俺が苦戦した割によくいる魔物のようだ。というのも、
「……またか。ナミト!」
「おう!」
飛び込んだ部屋の3つに1つはスライム・イーターが巣食っているのだ。
昨日は俺1人だったから苦戦したが、今日は3人だ。1人が例の炎線を引きつけて、残りの2人で狩る。
今回は落ち着いて狩れるので、頭を燃やしてしまうこともない。おそらく売れるであろう目玉を回収できる。
他にも蟻型、螽斯型、蟋蟀型など、虫型の魔物が沢山いた。
中でも気持ち悪かったのは飛蝗型だ。ナメクジ型もいたが、それよりも気持ち悪かった。むしろナメクジ型はスライムのようで愛嬌があった。
しばらく行くと、虫型の魔物の姿は見なくなった。
代わってネズミやトカゲなどの小動物が増えた。但しデカい。ただ、虫型の魔物と同じくらいの大きさだ。比率でいえば虫型の方が大きいのだ。
「おそらくこれ以上大きくなっても自らを守れないからだろうな」
「というか既に守れてないし」
デカいと最初はびっくりするが、背中に乗ってしまえばもう攻撃が来ない。
痒いところに手が届かないって感じだ。
小動物からさらに猫や犬、イタチなどの魔物になり、虎や熊、獅子など、だんだん大型化している。
どこが売れるのかわからなくなってきたのでその魔物で1番特徴的な部位を持って帰ることにした。
虎なら毛皮、猫ならヒゲ(七色に輝いていた)、ネズミなら尻尾(二又に分かれていた)というように。
それ以外の部位は食うか拠点に置いていくかどっちかだ。地上に戻ってから売れる部位を聞いて、また取りに戻って来ればいい。
そうしてつくった拠点(というか最早簡易的な倉庫)は既に20を超える。
話が飛躍しすぎだろう、と思ったかもしれないが仕方がない。面白い戦いがなかったのだ。男2人が粘液まみれになる戦いなんて、誰が望むというのだろう?(ナメクジ戦のことだ)
そして、始めの拠点から移動を開始した、22日後ーーーー
ーーーグララアガアアアアアアアアア゛アアア
俺たちの目の前には高級ホテルのような扉がそびえていた。ゴツゴツした灰色の岩から剥き出しになった真っ赤な扉は、俺たちに全力で違和感を提供している。
さらには
『押』
と日本語で書かれている。ん?日本語?
鳴き声がするたびにガタガタと揺れ、今にも崩れそうだが、しかし絶対に崩れることはないだろうとも思える。
「分かりやすいぐらいボス部屋だな」
「ああ」
今までの自然な造りはどうしたのだろう。……いや、今までも自然じゃ無かったのか?
廊下のようにのびる一本道、そこから分かれたほぼ立方体の小部屋。
分かりやすいぐらいに人工的だった気がする。
「どうする?入るか?」
「……行くぞ」
ガッと扉を押して、部屋に入……れなかった。
「……引く扉かよ」
「しまんねえなあ」
「そういう時もあります……」
地味な嫌がらせにイラつきながら6秒深呼吸して、今度こそ扉を引いて、部屋に入る。
「グララアガアアアアアアアアア゛ーーー」
耳をつんざき、腹の底を揺らすような重低音が響く。
どこのホテルのエントランスだ?という感じの赤絨毯に先ほどまで洞窟にいた俺たちには眩しすぎるシャンデリア、優雅に流れる“主よ、人の望みの喜びよ”……バッハ?さっきの『押』といい、完全に俺たちと同じ日本人、或いはそれに近しい存在がいる可能性が高い。
「ほらな、やっぱり象だっただろ?」
浩介のどや顔がうざい。しかし、確かにこの魔物は象である。
うん、全く持って象だ。長く伸びた灰色の鼻なんていかにも象らしいじゃないか。うん、全く持って象だなあ……。
そして、この魔物が象であることの説明は、これで終わりだ。現実から目を背けてはいけない。象との共通部分なんて全体の1割にも満たないじゃないか。残りの9割はーーーあまりに象らしくない。
歌舞伎の隈取のように赤黒くひび割れた顔面。そのひび割れは顔から首を伝い体中に張り巡らされている。
その体もまた問題だ。一言で言うなら、長い。デカいのではなく、長いのだ。蛇のごとく体をくねらせ、こちらをうかがっている。足は……40対は下らないだろう。
そして、尻尾。尻尾が蛇なんかになっている強敵はマンガなどでよく見るが、こいつの尻尾は何だろう。実態を待たないように見える黒い影が顎のような形を保って尻尾があるべき場所に収まっている。
「あ……」
ラフが小さな声を漏らす。
「私、あの魔物知っているかもしれません」
「見たことがある、ということか?」
「いえ。昔、母上に聞かせてもらったおとぎ話に出てくる怪物とよく似ています」
ラフによると、この魔物はジャファイアントというらしい。おとぎ話の主人公(ライザヌーンというらしい)がまだ弱く若かった時に対決し、剣ごと右腕を飲まれた末敗北したそうだ。
「つまり強いってことか?」
「いえ。あくまで弱かったころの主人公が戦って勝っただけですから」
「弱点とかは?」
「さあ。弱点とか見つける前に完膚なきまでに叩きのめされてましたから」
「そうか……」
残念だ。先人の知識を借りて楽勝コースかと思ったのに。そう簡単にいくものでもないか。
「でも、だいたいの攻撃パターンなら分かりますよ、行ってみます!」
「あ、おいっ!」
ラフが急に飛び上がり、伝書鳩のようなスピードでジャファイアントに迫る。伝書鳩を見たことはないけど。
「バウッ」
ジャファイアントは初めて象らしい声を短くあげて、ハエでも払うように鼻を振り回した。
鼻を振り回した、とはいえそのスピードは人知を超え、丁重に敷かれた赤絨毯を衝撃波だけで切り刻む。
しかし的は小さなラフだ。しかも、
「甘いです!『加速』!」
ラフの姿が掻き消え赤い残像と化す。『加速』は俺がラフに提案した魔法の1つだ。羽の周りの空気を小さく渦巻かせることで常時の10倍ものスピードで飛べるようになる。消費する魔力も体に直接干渉するよりもだいぶ少なくなる。
「ご主人様、援護をお願いします」
「おう!」
俺は久しぶりに印を使わず、イメージの力だけで魔法を構築する。魔法名も決めていない。とにかく、この部屋の空気の摩擦係数を増加させる。
ーーーブウン
今まで何とか肉眼でとらえられていたラフの動きがついに見えなくなる。反対にジャファイアントの鼻はひどくゆっくりと振られている。
「見えるか?浩介」
「身体強化を目にかければ、何とか」
俺も速見を使って様子を見る。シャッタースピードがほぼゼロ秒の写真が撮れる便利魔法だ。
「グララアガアアアア゛ーーーーー」
ジャファイアントは機嫌悪そうに頭を振り、それから赤く光る目を尖らせて……俺たちに向かって走ってきた。
「……見えない敵の相手は諦めたのか……爆ぜろ」
空弾を受けたジャファイアントはとっさに顔をそらし、それでも右耳がただれる。
「クク……『爆ぜろ』って……完全に厨二病じゃねえか」
「爆ぜろ」
「グハァッ」
浩介の背後にも空弾を放つ。
吹き飛ばされ、身体強化を駆使して空中で体勢を立て直した浩介は、
「ついでに叩いとけ!」
「わぁってるよ」
ーーーズガアン
爆発の勢いを利用して渾身の蹴りをジャファイアントの脇腹に放った。
「グララアガアアアアアアアアアア゛ーーー」
ジャファイアントが苦痛に叫ぶ。こんな洞窟の最奥にいては、生まれてからこのかた苦痛らしい苦痛を感じてこなかったのだろう。……俺もだけど。
「なんだかんだで私のこと忘れてませんか」
ラフが高速移動をやめてジャファイアントの眼前に現れ、
ーーープキュ
重力拘束を応用して両の目を潰す。
プキュっていったぞ、プキュって。
「グララアガアアアアアアアアア゛ーーー」
視覚を失ったジャファイアントがデタラメに暴れ回る。
「やったか?」
「おいナミト、トドメも刺さないうちにフラグ立ててんじゃねえよ」
「グララアガアアアアアアアアア…………」
ジャファイアントは苦しげに叫び、……真っ黒い、影のようだった尻尾が増大した。
「敵の危険度を1ランク引き上げます。主導権をジャファイアントから災厄の影へ移行します」
尻尾がジャファイアントを包み込み、
ーーーゴリ、ガリ、グキュ
肉を骨ごと押しつぶすような生々しい音が響く。
影がだんだん薄くなり、現れたのは。
ジャファイアントの面影は皆無。漆黒の獅子だった。
念のため……
グララアガア
宮沢賢治『オツベルと象』の怒った象の鳴き声です。