05 初仕事
(そういえば、最初に殻から顔を出した時に会った、あの水色の髪の人は一体誰だったんだろう)
私がその疑問に行き着いたのは、迂闊なことに生まれてからひと月以上も経ったある日のことだった。
ちなみに、人間と比べて寿命がとても長いらしい竜は、時間の概念からして鷹揚でで曖昧だ。
なので“多分ひと月ぐらい”と、予め断りを入れさせてもらう。
私はその日、巣に伏せて眠る母の体にもたれて、くうくうと微睡みを楽しんでいた。
空は青くもくもくとわたあめのような雲が浮かび、太陽はぽかぽかとあたたか。
竜になってしまったというショックは大分薄れて、むしろ毎日が日曜日であるという喜びに耽溺していた。
餌はお母さんの胃の中に納められているかつて動物だったもの。
少し汚いが、巨大なお母さんの体は大量の食料をひと月以上も消化せずに貯蔵しておくことができるらしい。
まだまだ消化器官が未熟な私達兄弟は、お母さんが吐き出した餌を食べる毎日だ。
最初は拒否感のようなものもあったが、いつの間にか慣れた。
雛の食事のために丸呑みにされた動物は、原型こそ保っていないが柔らかく食べやすいただの肉である。人間のように胃液臭いというわけでもないし、例えるならハムスターが頬袋に大量の食料を貯め込むようなことかと最近では理解している。
さて、どうして私がそんな説明をしているかというと、それは例の餌を取りに行っている父竜が、いつまで経っても帰ってこないからである。
「まったく、あののんびり屋にも困ったものだわ」
てっきり寝ていると思っていたお母さんが、突然赤くて長い尻尾をばしばしと地面に叩きつけた。
それはいつもは私に対して使われることが多い単語だったので、動作ののろい私が思わず驚いて飛び上がってしまったぐらいだ。
「ああ、リーンのことじゃないのよ。ごめんね」
驚きのあまりコロンと転がってしまった私を、お母さんはいたわるようにぺろぺろと舐めて座り直させてくれた。
一緒に昼寝してた兄弟達も、一体何事かと言わんばかりにそれぞれが目をこすっている。
「“あののんびり屋”って誰のこと? お母さん」
話の流れでなんとなく尋ねると、赤竜はなんともいえない顔をして長い首を横に軽く揺すった。
「ああ、ああ、お父さんのことだよ。リーンも一度会ってるだろう?」
父は、巨大な水色の竜だと聞いている。
残念ながら、私の記憶容量に検索をかけてみても、該当件数はゼロ件だった。
首を傾げる私に、お母さんは溜息をつく。
少し炎の混ざった、やけに攻撃的な溜息ではあったが。
「自分の子供にも忘れられるぐらい放っておくなんて、困ったものだわ」
忘れられるもなにも最初から会っていないと思うのだが、私は母の吐息が恐くて賢明に口を閉ざした。
母から吐き出される炎は、何もかもを焼き尽くす業火の炎だ。
普段は優しい母なのだが、怒ると恐いというのは私のぼんやりとした脳みそにも既にきっちり叩き込まれていた。
「大体、あれが帰ってこないと私が眠れやしない……」
なんと驚いたことに、絶えず周囲を警戒し続ける母はこのひと月一睡もしてないらしかった。
さっき眠っていると思ったのも、ただ目を閉じて体を休めていただけのことらしい。
「母さん。大丈夫だから少し眠りなよ。その間俺が周りを見張っておくから」
長男であるラーキが、頼もしく胸を張る。
同じ赤竜であるサモアも、すぐにそれに追従した。
「私も見張っておくわ! 大丈夫。私達に天敵なんていないもの!」
「そうよ、母様は少し休んだ方がいいわ」
危険そうなのに、ノルンも珍しく頷いた。
すぐ上の兄ニカだけが、不安そうに事の成り行きを見守っている。
「そう? じゃあお言葉に甘えようかしら。人間どもも、この巣にはまだ気付いてないようだしね」
そう言うと、母はすぐさま体を横たえ眠りについた。
くうくうと寝息を立てる様はまるで小山が震えているようで、彼女の疲労具合が窺える。子育てが大変なのは人間も竜も変わらないのだなあと、私は明後日な事を考えていた。
「大丈夫かなあ。もし人間が来たりなんかしたら……」
さっきまで発言しなかったニカが、周囲を不安そうに見回しながら震えている。
「考えすぎだよ。そんなに不安なら、皆で見張ることにしよう。お前達も、母さんが起きるまでは眠らないように」
兄のラーキが音頭を取り、私達は手分けして周囲を見張ることになった。
兄弟達は巣の周りに等間隔に広がり、おのおのが割り当てられた方向を監視する。
竜として生まれたから初めて任された仕事だ。
普段ぼんやりとしている私も、なにかあっては大変だと気合いを入れて監視の任についた。
しかし、さすが子供というか、その集中力は長く続かない。
辺りに夕闇が迫る頃になると、ラーキ以外はすっかりへたり込み、サモアなどはこくりこくりと船をこいでいる有様だった。