03 新しい世界
寝て起きても、事態は変わらなかった。
どころか、多少予想はしていたが、やっぱり悪化していた。
殻には私が開けたものより、大きな穴が開いている。
そしてその向こうに見えるのは子竜達の顔。
どうやら彼らが顔を突っ込んでのぞき込むことで、穴は徐々に広がってしまったらしい。
その証拠に、今も先を争うようにのぞき込んでいた赤と水色の二頭が、私が起きたことに気付いてなにやら騒ぎ立てている。
音が殻の中で反響してうるさい。
思わず手で耳を押さえようとしたが、短い手は耳にも届かなかった。
この騒音攻撃から逃れたかったら、大人しく殻から出てこいということか。
眠って少し冷静になった私は、殻から出てもすぐさま取って食われることはないだろうと考えを改めた。
だって私を食べるつもりなら、竜達はすぐにでもそうできたはずだからだ。
それに、眠る前に私に話しかけてきた人間。
彼は私の知る日本人とは違っていたが、それでも人の形をしていることに間違いはなかった。
彼が無事でいられたということは、例の赤や水色の竜達は人間を餌として認識していないのだろう。
そもそも、竜の詳しい生態なんて知らないのだ。
見た目肉食に見えるが、もしかしたら草食動物の可能性もなくはない。
そういうわけで、私は意を決して外に出ることにした。
いつまでも殻にはこもっていられない事情もあった。
そう、お腹が空いたのだ。
ここには食料もなければ、トイレもない。せませまの殻の中に、準備もなく籠もるのにはいくらなんでも限界があった。
私は二頭の頭が穴から出たタイミングを見計らって、穴のふちに更に頭突きをかました。一回では飽き足らず、二回三回と。
するともろくなっていたふちはぼろぼろと崩れ、穴は頭だけでなく肩もどうにか通れそうなほどに大きくなった。
後は思い切りだけ。
私は全身でもって、穴に突撃を仕掛けた。
ドゴン!
なんだか妙な音と、柔らかい奇妙な衝撃。
体がごろごろと転がったのが分かった。
殻に頭突きしても痛まなかった頑丈な頭が、くらくらする。
一体何が起きたのかと目を開けると、私は無事殻の外に飛び出していた。
近くには、大穴が開いた巨大な卵。
そして短い手で顔を押さえている赤い子竜。どうやら、私はのぞき込もうとしていた彼に頭突きをしてしまったということらしい。
他の三匹が赤い竜に心配そうに近寄り、そしてきょとんとした顔でこちらを見ていた。
まさしくきょとん。遠くを見るプレーリードッグのように、首を長く伸ばしている。
これはまさか、仕返しフラグか。
これでは肉食ではなかったとしても、余計な恨みを買ってしまった可能性大だ。
ど、どうしようとパニックになっていると、背中をぬめった感触のある何かで撫でられた。
驚いて後ろを見ると、例の巨大な赤竜が舌を出し、私を舐めているではないか!
え、味見? やっぱり肉食なのと焦ったが、足が萎えて動けない。
もうどうにでもなれと縮こまる。
べろべろと体を舐められる感触。
しかし舐められるばかりで、赤い竜は一向に私を食べる様子がない。
どういうことだと様子をうかがっていると、どうやらこの竜は私を食べようとしているのではなく、私の体を覆っている粘液を舐め取ってくれているのだと気がついた。
『やっと生まれたか。ねぼすけめ』
頭の中に、直接声が響いた。
何事かと驚いていると、赤竜は優しく私の体にその顔をすり寄せてきたではないか。
『心配したぞ。呑気な末娘』
どうやら、この声は赤い竜が発しているものらしい。
なんというか本能的に、そう感じた。
殻に籠もっていた頃は恐怖しかなかったのに、今は不思議とこの赤竜が全く恐くない。
どころか私は無意識のうちに、私の体ほどの大きさもあるその顔に、自分の顔を擦り付けていた。
まるで、実家に帰ったときのような安心感。
―――ああそうか。
その時初めて、私は自分が竜に生まれ変わっているのだと理解した。
殻から出てみれば、自分の体は漆黒の鱗に覆われ、明らかに人間のそれではない。
それは赤竜の態度や、辺り一面森という環境からも窺い知れることだ。
そして何より、徐々に人間であった時の記憶が、私の中から薄れていくのを感じた。
確かに自分は日本で働いていたというのが、記憶というよりは知識に変換されていく。
慣れた部屋。慣れた生活。慣れた職場。
全てが遙かに遠ざかり、なんの感傷も抱けなくなっていく。
そして実家に暮らす―――両親すら。
日本での生活が、急速に色褪せていった。
それがどうしようもなく寂しくて、私は赤竜に頬ずりしながらぼろりと涙をこぼした。