01 気がつけば殻の中
目を覚ましたら、微睡みの中にいた。
これはおかしなことだ。
だって目を覚ましたはずなのに、まだ眠りの中だなんて。
しばらくぼんやりして、やがて薄暗い部屋の中にいるのだと気がついた。
とても狭い部屋だ。トイレよりも狭い。
部屋と言っては語弊があるかもしれない。私の体と同じぐらいの大きさの、球形の部屋だ。
壁は薄く、光が漏れている。部屋の中はなんだか心地のいい液体で満たされている。
あれ? だとしたら、どうして苦しくないだろう。
液体の中にいるので、誰かにたづねることもできない。
まあそれ以前に、この狭い部屋の中には私しかいないのだけれど。
仕方なく、私は部屋を出るための方策を探ることにした。
本当は、この心地いい場所にずっといたかったけれど、気持ちいいとはいえ窮屈なのだ。
それに、外がどうなっているのかも気になる。
部屋で寝ていたはずの私を一体誰がどうやってここに閉じ込めたのかは知らないが、おそらくずっとこのままというわけにはいかないだろう。
明日も仕事があることですし。
残業が多くて辞めたい仕事だけど、私が休んだら他の誰かにしわ寄せがいってしまう。
後になって気付くことだが、私はこの緊急事態にさえ、会社に出勤できるかとかそんなことを考えていた。
この部屋の外の事態は、まったくそれどころではなかったというのに―――。
さて、まずこの部屋に、出口のようなものはないようである。
あまりにも体にジャストサイズすぎるので後方は確認できないのだが、足を動かしてみた感じどうも後ろにも壁があるようだ。
ならば、部屋の壁を破壊することを考えなければならない。
一瞬、壊したら賠償責任が発生するだろうかという危惧が生じたが、どう考えても拉致監禁している側の方が悪いとその考えを否定した。
壁を壊すなら、トンカチか、あるいはツルハシのような尖った道具が欲しいところだ。
しかし、そんな道具などあるはずない。
仕方なく私は、狭い空間の中で身じろぎして壁を殴りつけてみた。
液体の粘性によって、ただでさえへなちょこなパンチがゆっくりと壁を叩く。
壁は光を通すほどに薄いがある程度の硬度があるらしく、びくともしなかった。
というか、なんだか腕が短くなったような気がする。
体を使う感覚が、慣れ親しんだ私の体とは全く違っている。
うーん困ったな。
悩んだ末、私はその壁を頭突きすることにした。
短い手で攻撃を仕掛けるよりも、そちらの方が遙かに効率がよさそうだったので。
多少痛みを感じるかもしれないが、背に腹は代えられない。
考えがまとまると、早速後ろ足で壁を蹴って、それを頭突きの推進力とした。
この時、後ろ足も腕と同様短いような気がした。まさか、誰かに攫われている間に手足を切られてしまったのだろうか。
某国では、誘拐した子供の手足を切って物乞いをさせていたなんて例もあるらしい。
平和な日本でそんな猟奇的な事件が起きているなんて思いたくないが、だとしたら命があるだけ儲けものかもしれなかった。
ドシン、ドシン。
壁が全て繋がっている部屋は、私が頭突きするごとにぶるぶると震える。
思っていたより、頭も痛くない。これならばしばらく頭突きを続けることができそうだ。
四回か五回、ごつごつと頭をぶつけた時だった。
パリリと、何かが壊れる音がする。比喩表現ではない。実際、頭上の部分の壁にひびが入り、一筋の光が差した。
壁の内側には、どうも薄い膜が張っているらしい。
弾力のある膜を破ることはできなくて、光の向こうに何があるのかを確かめることはできなかった。
もう一度、頭突き。穴が広がる。
とにかく、そこから顔だけでも出せないかと、膜にぐりぐりと鼻先を押しつけてみた。
うーんそれにしても、私の鼻はこんなに前に張り出していただろうか?
口も、その鼻と同じぐらい前に出ている。何より、初めて意識したその鼻は、真っ黒だった。日焼けした黒ではない。瑪瑙のような艶のある硬質な黒だ。
一体私に何が起きたのだろうと考えている内に、鼻先が膜を突き破り外に出た。
そこから、首を動かしてじりじりと穴を広げる。
ようやく、穴は私の頭を全て通せるほどに大きくなった。
液体の中から苦労して顔を出すと、肌に久しぶりの風を感じた。
そして、呼吸を始めたことで逆に息が苦しくなった。
液体の中にいた方が楽だなんて、不思議だ。一体どうしてしまったというのか。
その苦しさに喘いでいると、喉からはギャーギャーと変な鳴き声のような音が出た。
なんだろうこの音は。
人の声というよりは、イルカの鳴き声や猿の鳴き声に近い気がする。
とにかく息苦しさに喘いでいると、しばらくしてやっと普通に呼吸ができるようになった。
ああ苦しかった。
まったくなにからなにまでなんなんだと思いながら、私はようやく部屋の外を見回した。
そして仰天する。
部屋の―――殻の外にはなんと、どこまでも続く森が広がっていたのだ。
東京の狭いアパートの一室で眠っていたはずの私は、いつの間にかアマゾン級の密林のど真ん中に来てしまっているらしかった。