第二話 さよなら未来
「人間の寿命は、多すぎると思わないかい?」
認知症のボケた老人だと思っていたが、それなりに哲学的な問いを投げかけてきた。最も、私自身哲学的な問いがどんなものかよくわかっていないのだが。
寿命。最近は健康寿命なんて言葉も耳にする。確かに世界中で違えど、寿命80年は長すぎる。どう考えてもそれに見合う量の娯楽があるとは思えない。
「わたしはこの年になるまで生きてきたが、長く生きても良いことなんかなかった。そんな苦い思いを若いモンにはさせたくなくてね。いらない寿命を引き取ってるんだよ。悪いが買い取るではなく引き取るだから、金は渡したりは出来ないがね」
いやもう、金がどうこうじゃなくて、単純に意味がわからない。寿命を引き取ることができたら、この世にファンタジーという言葉は存在しないはずだ。
「ああ、そうやってまた疑うような目で見て。呼んだのはあんたじゃないか。わたしは寿命がいらない奴の所にしか現れないよ。あんたのことはほうっておけないんだ。ほら、引き取るのか取らないのか、取るんならどんだけ取るのか早いとこ決めな」
そうじゃない。何一つ納得できないどころか謎が増えた。特定の人の前にだけ現れることが出来るなら、この世に非科学的という言葉は存在しないはずだ。てかほうっておけないってなんだよ。
目的がわからない。引き取ってどうするのか。あるいは詐欺だとして、ここからどう金を払わせるのか。身体目当て?いやいやまさか。それともただ話に付き合え、ということか?
気づいたら私は、引き取ってもらう寿命のオススメを聞いていた。何にでもすがりたい気持ちが勝った。
「ほう、オススメ聞くとは面白い奴だねぇ。わたしのオススメは1ヶ月残して、残り全部とっぱらう事だ。どうせわたしがあんたの前に現れたってなると、大して夢や目標があるわけでもないんだろ?なんなら死にたいと思っている。そんな奴には1ヶ月で充分だ」
知らないおばさんにボロクソに言われるのはあまり気分の良いものではない。図星ならなおさらだ。
それにしても1ヶ月?やけに短くないか。今から1ヶ月は、7月の30日。夏休みの真っ最中じゃないか。どうせなら夏休みが終わる8月31日まで…いや、そうやって引き延ばすとそのままずるずるとしてしまうのは私の悪い癖だ。
「まあ、あんた男じゃないからねぇ…すぱっと決めることは出来ないか。日が暮れるまでは待ってやるよ」
そうだ。何を考えているんだ私は。いらない寿命を引き取るなんて大層な能力、こんなおばさんが持っているはずがない。そもそもどんなおばさんも持っていない。
「相変わらず信じてなさそうな顔…しゃあないね、一回見せてやろう」
そういうとおばさんはいきなり私の手を取り、もう片方の手で緩く握り締め引き出すような動作をした。
「今試しにあんたの余命を残り1ヶ月にした。感覚でわかるだろ?あぁ、この寿命戻すことも出来るからね、戻しとくよ。有無を言わさず取ったりはしないさ」
今度は押し出す感じの動作をして、どうやら私の寿命は元に戻ったらしい。寿命を取られた後こそなんともなかったが、取られる最中は抜け殻になったような感覚がした。まだ信用しきっているわけではないが、なんとなく、そういうもんなんだと思えてきた。これも一種の洗脳なのか。
もし本当に寿命を引き取ってもらえるとして、そして残すのがたった1ヶ月だとして。私はどうしたいのか。
今まで死ねなかったのは、死ぬ勇気がないからなのか、死ぬ苦しみを味わいたくないからか。家族はいるし友達も一応はいる。幼馴染の翔だっている。未来がわかるわけじゃないのに、未来に希望が持てないというのはおかしいかもしれない。それでも死にたいとは思っている。なんでだ?自分の気持ちが、自分にもわからない。
家族は私が死んだらどう思うのかな。おそらく悲しんではくれる。同時に迷惑だってかかる。でも、私のいない世界で私以外の人が迷惑を被るからといって、私が気を遣う必要はあるのか?死ぬ前どころか、死んだ後のことまで考える必要は、きっとない。ないと考える人が多いから、人身事故はこんな頻繁に起こるんだ。
「引き取った場合の死は、1ヶ月後あんたが眠った時だよ。そのまま目覚めない。今日だったら、7月30日の夜だね」
そう、死ぬ時に苦しまなくていい。死に方で迷惑をかけなくていい。多分、一番理想的な自殺だ。結局みんな死ぬんだ。仕事をして、上司に怒鳴られたり、部下に見下されたりしながら。老いて寝たきりになっても、死ぬまで生き続ける。孤独死だったら更に悲惨だ。私は他より、ちょっと死ぬのが早いだけ。これらを経験しなくていい。生きたいと思いながら死ぬわけじゃないし、うん。
言い訳は並べ尽くした。この言い訳と我儘と、あとはそれなりの勢いがあれば引き取ってもらうのを正当化できる気がする。自分で自分に暗示をかける。死ぬ自由があったっていいじゃないか。自ら死ぬことは、悪いことではない。誰が決めたんだそんなの。