◆第99話
一瞬、その光景を見ていた者は何が起きたのかわからなかった。
エドワードがその魔法陣から魔剣を持って退くまで。
いや、実際何が起こったのかは誰もわかっていない。
エドワードですらわかっていなかった。
ただ、彼らがわかるのは、魔法陣を使って死人を生き返らすという禁忌は失敗に終わったということだった。
「な、な、な・・」
「と、捕らえろ!」
あまりの光景に、目を見開く庭師は言葉にもならない声を出す。
その声を聞いたエリックが我に返り、庭師の捕縛を命令した。
ほとんど魔力を使っていた庭師はあっけなく捕まると、魔法が使えなくなるという手錠をその手首に嵌められた。
「な、なぜだ!?あと、後もう少しで!」
もう少しで、生き返らせることができたのに。
その言葉は出てこなかった。
しかしそれと引き換えに彼は怒りを露にする。
「お前か!なぜだ!何故邪魔をする!?お前さえいなければ・・!」
庭師を捕らえた黒騎士は彼の口を塞いだ。
庭師が喚き散らした先にいたのは、マーシャルだった。
マーシャルは何も言わずに、ただじっと黒騎士によって連行されるにわしの後ろ姿を見ていた。
「エド、お前体は?」
魔剣を鞘にしまうエドワードに駆け寄ったエリックは、心配そうにエドワードを見る。
エドワードは少し顔色が悪く額に汗をかいているものの、特に体に異常は感じられなかったため「大丈夫です」という言葉を小さく吐いた。
それっきり黙りこんでしまったエドワードを見て、エリックは首をかしげる。
「どうした?」
「さっきのは一体何が?」
「さっきの?お前がやったんじゃないのか?」
「まさか。俺はただ一方的に魔力を搾り取られていただけですよ。それに体だって動かなかったし」
あの状態でエドワードが出来たことといえば視線を彷徨わせるか、庭師を睨みつけることくらいだった。
それほどにエドワードの体は自由がきかなかったのだ。
「じゃあただの失敗か?」
「そうですかね?まぁ実際何かよくわからないものでしたし」
禁忌というだれも触れない部分で起こった事件だ。
誰に聞いても参考になるような話すら聞けそうにないような、なんとも曖昧なもの。
だから失敗しても別に不思議じゃないはずだと、彼らは安易に考える。
「さて引き上げるぞ。お前たちは先に戻って報告しろ」
そう言って、エリックは未だに氷付けになっているドータラスとその側で蹲るサーシャを見た。
「サーシャ戻るぞ」
エリックの言葉に反応はない。
それにイラついたエリックは口元を引き攣らせた。
ただでさえも管轄外(首を突っ込んだのは自分)での事件であったのに、自分の部下が犠牲になりそうになり、この後にやってくるだろう書類のことを思うと、非常に疲れてしまうのだ。
「聞いているのか、サーシャ」
またしても無反応。
エリックの隣にいるエドワードは内心でため息をついた。
「・・・・・すまなかった」
聞こえてきたのは、とても小さな蚊の鳴くような声。
しかしそれは謝罪の声。
それに驚いたのは、エリックとエドワードだった。
誇り高い彼らは謝罪をそう簡単には口にしない。
サーシャも例外ではなく。
そんな彼女が小さな声であったが、謝罪を口にしたのだ。
エドワードは何とも驚いた顔をして、エリックはとんでもないようなものを見る目でサーシャを見た。
「私の力不足だ。本当に申し訳ない」
サーシャは赤黒く染まる腕を押さえながら立ち上がると、綺麗に頭を下げた。
「・・らしくないな。明日は雨か?」
「なんだと」
「そうそう、そっちのほうがお前らしいんだよ。ほらとっとと行くぞ。シェイラ様の護衛しろ」
エリックはそう言うと、何とも快活に笑った。
サーシャは無表情であった顔をほんの少し赤く染め、シェイラの側に控えた。
「エド行くぞ?」
「はい。あ、シャル?戻るぞ」
エドワードはサーシャたちの背中を見送った後で、いまだに側から動こうとしないマーシャルを見やった。
エドワードに声をかけられたマーシャルであったが、その声に全く反応しない。
それを怪しく思ったエドワードは、エリックに先に行っておいてほしいと伝えると、マーシャルの元へと駆け寄った。
「シャル?・・・・シャル!?」
エドワードが駆け寄ってすぐ。
マーシャルはその場に力なく倒れこむ。
それを支えたエドワードはマーシャルの顔を覗き込んだ。
ただでも白い肌は真っ青になっていた。
呼吸もなんとなく浅い。
エドワードはこの状態を幾度となく戦場で見てきた。
そうこれは、死にそうな人間だ。
「シャル!」
エドワードはマーシャルを抱えると、疲れている体を鞭打って地上へと駆け上がる。
明るくなった視界に映ったのは、自分より少し前を歩いていたエリックたちだった。
「エド?・・って、どうした!?マーシャル嬢はどうかしたのか?」
マーシャルを抱えながら走ってきたエドワードの必死の形相に、エリックは異常事態だと認識する。
これほどまでに取り乱したエドワードを見たことがあっただろうかという疑問を抱き、エリックはそれをすぐに否定する。
慌てることはあっても、いつだって客観的な判断ができる男、それがエリックの知るエドワード・フィリルという男だった。
「なにがあった?」
「わかりません!ただ、帰ろうとしたらシャルが倒れて・・」
エドワードの藍色の瞳が揺れた。
動揺を隠せないその姿に、こんな事態でありながらもマーシャルに感心した。
「とりあえず医務室だ」
「はい!」
エドワードは返事をすると、マーシャルを抱えたまま走っていく。
あの様子では周りなど見えていないなと、エリックは呆れながらゆったりと後を追う。
「エリック。何があった?」
ただならぬ雰囲気を感じたらしいサーシャがエリックに問う。
サーシャの隣には当然だがシェイラがいた。
シェイラはマーシャルのことを姉さまと呼ぶほどに慕っている。
エリックはここで先ほどのことを言うべきか迷った。
「いや、今は報告が先だ。報告が終わったら説明する」
エリックは更なる混乱を避けるために、医務室へと向かおうとしていた足をキャレットがいるであろう王座に向け直す。
マーシャルにはエドワードがついているのだから、とりあえず心配はいらないだろうというエリックの判断だ。
それに、マーシャルが倒れたといっても、エリックもエドワードから詳しい話を聞いたわけでもなければ、その場にいたわけでもない。
つまり何も知らないのだ。
そんな状態で倒れたという事実だけ話しても仕方がない。
「とりあえず、サーシャはシェイラ様を連れて行け。陛下がかなり心配しておられる」
その言葉にシェイラの顔は曇った。
それを見透かしたように、エリックはボサボサになったシェイラの黒い髪を優しく撫でた。
「無礼だぞ」
「いいだろ、今ぐらい」
今のシェイラならば、王族の娘などと誰も思うまい。
それほどにみずぼらしい格好をシェイラはしていたのだ。
「シェイラ様はいったん自室に戻ったほうがいいか」
エリックは少し悩む。
キャレットやヒュースが心配はしているだろうが、この姿で会わせるわけにはいかないと思ったのだ。
これでは王城にいる貴族たちが何を言い出すかたまったものじゃない。
「サーシャ」
「私に命令するな」
ふんっと鼻を鳴らしたサーシャは睨むようにエリックを見る。
瞳の色だけを見れば兄妹にしか見えない2人の仲は相変わらず悪いようだ。
そんな2人のやりとりを、シェイラは目を丸くして見ていた。
「相変わらず可愛くないな、お前は」
「・・私に可愛さなどいらぬ」
その声はどこまでも無機質で、そしてその表情はどこまでも読めない。
無関心だと、今の彼女を見ればみながそう言うだろう。
サーシャの前に立つ、若干顔をニヤつかせるこの男以外は。
「やっぱ可愛いとこもあるじゃねぇか」
「なにをっ!」
エリックはニヤついた顔を直しもせずに、ひとりで歩いていってしまった。
その姿を睨むようにして見つめているサーシャを見たシェイラは声に出さずひとり驚く。
シェイラの目に映ったのは、鉄仮面と呼ばれて今もなお無表情のサーシャが、耳まで赤く染める姿だった。




