◆第95話
時はほんの少しばかり遡る。
日が見えぬそこでは、今が昼なのか夜なのかよくわからなかった。
時間の感覚も、自分が生きているという感覚も薄い中、苛立たしげにここへとやってきた彼によって、その状況は変わった。
暗く仄暗いそこには、大きな魔方陣が描かれていた。
その真ん中に自分がいると思うと、シェイラはその身を震わせた。
「どうして・・あなたが、」
シェイラは恐れながらも、先ほど魔方陣を描いた彼を見た。
彼はチラッとシェイラのほうを見ると、ローブのフードを外して言う。
「決まっているでしょう?妻を生き返らせるためです」
「生き返らせる?そんなこと、できるの?」
「できますとも。私はそのために何十年も研究してきたんだ」
その表情は恍惚としていた。
それが余計にシェイラの恐怖心をあおった。
「その魔方陣が研究の成果ですよ」
彼--王城の庭師はシェイラの周りに描かれている魔法陣を指さした。
シェイラには魔法陣の用途をしっかりと理解はしていない。
というよりも、魔法陣というものは、魔道具が発達している今では目にすることがないものであり、一般的に魔法陣とは大規模な魔法を行使するときに扱われるものだとしか習わないのである。
そのため、シェイラはこの魔法陣の用途を庭師の口から聞くまでは、ただ大規模な魔法のためのものだという認識しかなかった。
「本当にこんなんでできるのかよ?」
魔法陣の真ん中にいるシェイラの耳に第三者の声が聞こえてきた。
壁に背を預けて立っている男こそ、シェイラをこの地下から逃げないように見張っていた男であった。
「当然だ」
「そうかい。にしても本当に大胆だな、じいさんも。この国の王女を攫うとは」
そう言って、男はシェイラの髪に触れようとする。
シェイラは後ずさるようにして頭を引いた。
「陣の中に入るな、ドータラス」
「・・はいはい」
ドータラスと呼ばれた男は呆れたような目で庭師を見た。
黒い髪に触れようとしていた手を引っ込めて、陣の中に踏み入れていた足を引っ込めた。
「なあじいさん。なぜ俺を雇った?俺は人を殺すのが仕事なんだが」
そうは言いつつも、報酬分はしっかりと働くのがドータラスであった。
ドータラスの質問に庭師は忌々しそうに答える。
「手ごろな位置に手ごろな殺し屋いたまでだ」
「俺の本職は人殺しなんだがな」
「そう言うな。誰のおかげで今こうして生きていると思っている」
庭師はそう言うが、ドータラスは側妃の侍女に逃がしてもらえたのならば一人で何とかできたと思っている。
破格の報酬にさえ目がくらまなければ、今頃自分は別の依頼を受け、嬉々として人を殺しに行っていただろうと、ドータラスは思っていた。
「まぁ、確かに面白いものは見れたがな」
「ふん。そのクマか?」
庭師は床の上に転がっている薄汚れたクマを見た。
ここにいる間によほど酷い仕打ちを受けたらしく、クマの手は千切れかけており、中から綿が出てきていた。
「随分とぞんざいな扱いをしてくれたらしい。そのクマは魔道具だぞ」
「はっ。そんな大事なら持って帰ればよかっただろ」
「いらぬ。そんなものがあれば、誰かが部屋に来たときに説明がつかん」
庭師は顔を顰めて言った。
彼がこの地下にクマのぬいぐるみを置いていったのは、危険分子を極力取り除くためであった。
そのためあまり大事には思っていなかったわけであるが、ここまで無残な状態になっていると、魔道具なだけに惜しいと思ってしまうのだ。
「何の魔道具だったんだ、これ」
「魅了だよ」
「魅了?」
庭師はそう言うと、なんともにやついた気味の悪い笑みをシェイラに向けた。
シェイラはその笑顔を直視したくなくて目をそらす。
そんなことには気にも留めずに、庭師は話を続けた。
「こんなクマのぬいぐるみに、もうすぐ成人を迎えられるシェイラ様が執心するほうがおかしいだろう。そこまでこれに執着できたのは、このクマが魅了という特殊な力をもった魔道具だからだ」
シェイラはとんでもないものを聞いた気がした。
目の奥が痛くなるような思いだ。
魔道具を専門に扱っていて、異例の形で技術士としての資格をとり、魔法師としても優秀なマーシャルを師にしているシェイラは、マーシャルからその全てを教えてもらっているわけではないが、なんとも情けない気分になった。
「魔道具ならあの娘が気が付くだろうに」
「あの娘・・ああ、あのマーシャルとかいう娘か」
庭師は、数ヶ月前に王城にやってきたマーシャルのことを思い出す。
なんとも美しい見た目に、常に老若問わず男の好意的な視線を受け、そして焔鬼として恐れられるものの女性のハートを鷲掴みにしているエドワードの隣に当たり前のようにして立つその姿に若い女たちの嫉妬の視線を受けていた彼女。
マーシャルの姿に、精霊たちですら喜んでいたことには、さすがの彼も驚いた。
だから本当は、庭師はシェイラではなくマーシャルを攫う予定であった。
精霊師であるマーシャルの魔力はすごい。
おまけに平民であるため、特に大事になるわけでもない。
庭師にとってはこれ以上にない生贄だった。
しかし庭師はマーシャルを攫うことはできなかった。
なぜならマーシャルは庭師が思っていた以上に魔道具に精通していたからだ。
そんな彼女に魔道具であるクマのぬいぐるみが渡されれば、すぐにそれが何であるかばれてしまっただろう。
「誰も彼も魅了するような代物はいらん。一度しか使えんようになっている。使った後ならば、あの娘にもばれん」
なんともかけのような話である。
これでもしシェイラ以外の者に魅了の魔法がかけられていたらどうするつもりだったのか。
一番最初にマーシャルが手にして気付かれていたらどうなする予定だったのか。
ドータラスは計画的に見えて意外と穴の多い庭師の考えに呆れてしまった。
「まぁ実際には、違和感を覚えたくらいだったらしいが」
まるでこの計画は完璧だとでも言わんばかりの物言いに、ドータラスは呆れて無言を返した。
ドータラスはあまりここに長居してもよいものだとは考えていない。
庭師が怪しげな魔法陣を使う前に、なんとしてもこの地下から逃げ出さなければと思っていた。
おまけにこの地下の出入り口はたった一つだ。
万が一塞がれてしまえば、このまま生き埋めになるのが目に見えている。
「さぁそろそろ始めようか。騎士団たちが何かに気が付いて騒ぎ出してもいい頃だ」
騎士団という言葉にシェイラは反応する。
また自分は不特定多数の人に迷惑と心配をかけてしまったと目を伏せた。
もしかしたら自分の母親であるオリヴィアは心労で倒れてしまったかもしれないと、宝石箱事件で憔悴しきっていたオリヴィアを思い出した。
「・・私をどうするおつもりで?」
「聞かぬほうがよいと思うが」
「どうするおつもりですか」
二度目の言葉は力強かった。
シェイラの強めの言葉に庭師は舌打ちこそしないが、その表情は苛立っていた。
「シェイラ様は生贄となるのだ」
「・・生贄?」
「はい。私の妻の復活のために」
にこりと微笑んだ庭師の顔は、シェイラには狂気じみて見えた。
シェイラの頭の中に生贄という文字が何度も反芻する。
生贄?誰が?私?どうして?と、何度も心の中で自問自答を繰り返す。
「シェイラ様の命とその眩き魔力を糧に、私の最愛の人を呼び戻すのです」
光栄でしょう?とでも言いたげなその表情に、シェイラは血の気を引かせる。
とんでもない。
そう、心の中で呟くものの、声として出ないのはあまりに現実離れしたこの状況のせいか。
助けてと心が叫んだ。
「シェイラ様!」
シェイラの声をまるで聞いたように、シェイラの名を呼ぶ声が聞こえてきた。
それは女性の声だった。
それだけで、シェイラは誰がここへやってきたのかわかった。
「サーシャ!」
シェイラはそう叫んでいた。
その声に呼応するように姿を見せたのは青騎士団団長であるサーシャとその部下たちだった。




