◆第84話
クマのぬいぐるみが王女を抱えて城外へ消えた。
宝石箱以来の信じがたい事件が再び起きた。
あまりの衝撃に、庭師の話を聞いた7人が固まる。
「いやいやいやいや、ないでしょう、さすがにそれは」
冷静沈着と言われるヒュースですら相当動揺しているらしい。
そもそもクマの身長は、立たせてもおそらくシェイラの身長の半分もないし、なによりぬいぐるみが人一人抱えて歩いたなど、どうあってもありえない。
まさしく寝言は寝て言えという状態である。
「クマの人形が人を運ぶって・・・ああもう頭痛い」
ヒュースは完全に頭を抱えている。
予想だにしない自体に、どうやっても打開策が生まれてこないようだ。
嘘のようなふざけた話であるが、庭師の様子におかしいところはない。
しかも庭師は、とんでもないものを見たと少しばかり怖がっている。
「なんかすごいのきましたね」
「ああ。なんかオカルトだな」
マーシャルとエドワードは壁に寄り添いつつ、お互いに感想のようなものを述べる。
「庭師、もう少し詳しい話を聞かせていただけますか」
無表情か怒りしか顔に出していなかったサーシャが少し顔を引き攣らせながら庭師に問う。
「その、私がこの王城の裏にある庭園を掃除していたときです。シェイラ様がクマを抱えながらいらっしゃいました」
話の冒頭からなにかがおかしい。
言ったところで仕方ないので誰も何も言わないが。
「庭園にある、バラで覆いつくされた壁の前にシェイラ様は立たれると、そこでクマをおろしました」
「ちょっと待て」
「はい、」
「バラの壁だと?」
キャレットはハッとしたように聞いた。
何かを思い出したようだった。
「陛下?」
「・・・まさか、シェイラが?・・いやそんなはずは、」
「陛下。なにか知っていることがあるのでしたらおっしゃってください」
頭を抱えたままでショートしているヒュースの代わりに、サーシャがキャレットに問いただす。
キャレットは少し考えてから重たい口を開いた。
「裏の庭園にあるバラで覆われた壁、お前たちは知っているであろう?あそこはな、王族が逃げるための隠し通路だ」
「隠し通路!?そんなものがあったのですか!?」
これには誰もが驚いた。
そしてその道をシェイラが知っていたという事実にも衝撃を受けた。
「つまり、シェイラ様は自分でその隠し通路から出られたと」
「・・その、違うんです」
サーシャの言葉に庭師が遠慮がちに否定する。
「壁の前までこられたシェイラ様はクマを下におろして、何かをしているようでした。そこははっきりとは見えませんでしたので」
「何かを?」
「はい。それをなさった後、シェイラ様はその場にお倒れになって・・・」
そこまで言って、庭師は顔を青ざめる。
その顔は恐怖に染まっていた。
「クマが動き出しました。まるでシェイラ様が息を吹き込んだようでした」
その言葉にマーシャルは少し考える。
物に命を吹き込むというような魔法は、マーシャルの知る中では存在しない。
人形を自分の意のままに操ることができるという魔法は存在するが、シェイラにその魔法は使えないことをマーシャルは知っている。
「そのクマが、シェイラ様を担いで、バラの壁をすり抜けていきました」
とんだ作り話だと笑い飛ばせればよかったのだが、クマによるシェイラ誘拐事件が今のところもっとも有力な話だった。
庭師は必要なことを話すと、連れてきた青騎士と共にその場から去る。
そして再び訪れた静寂。
「マーラ」
「は、はいぃ!」
キャレットにいきなり呼ばれたシェイラつきの侍女は肩を揺らしながら返事をする。
「その人形はどうしたのだ?」
キャレットの問いは最もだ。
マーシャルはシェイラが宝石箱に閉じ込められている間、頻繁にこの部屋に訪れていたが、そのときにはクマのぬいぐるみなど置いていなかった。
つまりクマのぬいぐるみはここ最近手に入れたということになる。
ここ最近といえば、シェイラには多くの贈り物が毎日届けられていた。
「それがわからないのです」
マーラは怒られることを覚悟でそう口にする。
「以前、どこかの誰かが街の少年を使って宝石箱を届けさせました。そのときに、門番が宝石箱と一緒にと少年から受け取ったものだそうです」
「宝石箱だと?」
キャレットは方眉を上げてそう聞き返す。
「はい。シェイラ様はその宝石箱を別室にて保管し、後日マーシャル様に見ていただきました」
「・・宝石箱に問題はなかったですよ。いたって普通の宝石箱でした。その机の上に置いてあるやつです」
「そうか・・・人形は、」
「シェイラ様がその人形をなぜか大層気に入られて・・部屋に飾ると仰られました」
そして今に至ると。
そうなれば、怪しいのは間違いなくそのクマのぬいぐるみである。
マーシャルは、初めてクマのぬいぐるみを見たあの日、なぜ気が付かなかったのかと自分を悔やむ。
あの時マーシャルがその異変に気がついて、ぬいぐるみについて何か言っていれば、今日のこの事態は避けられたかもしれない。
マーシャルは無意識に下唇を噛んでいた。
「王都を巡回している黒騎士に伝令します。退出させていただいてもよろしいでしょうか」
今まで言葉を発してこなかったエドワードは、唐突にそう切り出した。
エドワードの言葉に周りが息を呑んだ。
シェイラがクマに連れられて王城を出たということは、もはや青騎士には対処しきれない問題となる。
城の外は黒騎士の管轄だからだ。
サーシャは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「退出を許そう。エドワード、お嬢さんを送ってやれ」
「はい」
キャレットにそう言われたエドワードは一礼するとマーシャルの手を掴んで部屋から出た。
そのまま手を引いたまま歩くこと数分。
徐に立ち止まったエドワードはくるりと振り返ってマーシャルの顔を覗いた。
いつも勝気な真紅の瞳はおぼろげに揺れている。
そんなマーシャルを見て、エドワードは苦笑をこぼした。
「シャルのせいじゃないだろ」
「でも」
エドワードはマーシャルの気持ちを見透かしたように声をかける。
「シャルは確かにいろいろと規格外だとは思うけど、それでも完璧じゃないだろ。任せろ、黒騎士はこう見えても優秀だ。すぐに見つける」
そう言うと、エドワードは優しく微笑んだ。
その言葉と笑顔にマーシャルは緩くなった涙腺を隠すためにエドワードから顔を背ける。
エドワードは気付かないふりをして、再びマーシャルの手をとって歩き始めた。
城を出て、騎士の宿舎へとやってきたエドワードは交代で戻ってきた黒騎士の団体を見つけて声をかける。
「エドワードさん?なんすか、今日は王城内でデートですか」
「なんで騎士服着てるんですか?今日非番じゃなかったですか?」
黒騎士たちはエドワードとマーシャルの姿を見つけるとそう口々に言う。
エドワードはそれに答えることなく、彼らに告げる。
「お前らもう1回城下にもどれ」
「はい!?俺ら今戻ってきたとこですよ!?」
「ていうか交代してきましたけど」
「・・なんかあったんですか?」
最後だけ、妙に真剣な声色だった。
彼らにとって何かあるというのは、この国に住まう人々への危害を意味する。
魔物か悪党か。
少し前にエリックに重要任務だと言われたときのエドワードもそうであったが、黒騎士にとって急を要する任務とは、基本的に魔物かゴロツキと呼ばれる悪党かの二択である。
「王女を捜せ。誘拐事件だ」
彼らは一瞬青騎士を思い浮かべる。
しかし、エドワードのただならぬ雰囲気と誘拐という言葉に背筋を伸ばすと、回れ右をして城門を目指した。
「相手の特徴は?」
「・・・・・クマのぬいぐるみだ」
「はい?」
エドワードの言葉に、騎士たちが目を点にさせたのを見て、マーシャルが少しだけ笑ったのだった。




