◆第75話
「おや、マーシャル嬢じゃないか」
「こんにちは、赤の団長さん」
晴れやかな午後。
研究室で昼食をとったマーシャルは久しぶりに部屋から出て騎士の宿舎へと来ていた。
前までは特に気にすることなくその宿舎の中にズカズカと踏み入っていたのだが、しばらく入らないうちに、なんとなく入りづらさを感じてしまっていた。
そんなときにマーシャルに声がかけられた。
振り向くと、そこには赤の騎士服を身にまとった、王族と同じ瞳をしたセティレンスが立っていた。
「こんなところで立ち往生してどうしたの?入れば?」
「いやー・・今さらなんですけど気が引けちゃって」
マーシャルの言葉にセティレンスは一息置いて噴き出して笑った。
その様子に見た目は麗しいのに勿体無いと、思ってしまうマーシャル。
自分のことを棚にあげているとは気付いていない。
「本当今さらだよね。ハハ、入りなよ。お目当てはエドワードでいいのかな?」
金色の瞳に涙を溜めながら言ったセティレンスは、紳士的にマーシャルのために扉を開けた。
マーシャルはほんの少し戸惑ったが、セティレンスに促されて宿舎へと入った。
途端、懐かしいと感じる。
殺伐としていて、物がごった返しているそこには、普段マーシャルが見ている紙の束や実験用具は見当たらない。
セティレンスに食堂に案内されたマーシャルはお世話になっていた料理長の姿を発見して、ぺこりと頭を下げた。
「マーシャル嬢、今日はいい匂いするね。香水?」
「そうですけど・・・ちょっと寄らないで下さい」
マーシャルは失礼を承知でセティレンスを押す。
それに対してセティレンスはクスクスと笑うだけだった。
「で?エドでいいんだよね?」
セティレンスはまだ笑っていた。
それにムッとなりつつも、マーシャルはその問いに首を縦に振る。
「あ、でも、無理にとは言いません。忙しいようなら、伝言だけでいいので」
別に今日でなくてもいいマーシャルは、エドワードを呼びにいこうとするセティレンスの背中にそう呼びかける。
「へ?あーうん、おっけ。・・・・まぁマーシャル嬢の来訪なら無理にでも時間作って、てか業務放ってこっち来ると思うけど」
マーシャルにはセティレンスの後半の言葉は聞こえてはいない。
セティレンスも別にマーシャルに聞かせるつもりはないので、後半はただの独り言だ。
セティレンスは久しぶりに戻ってきた宿舎の中を歩いて、普段ならば来ることのない黒騎士の宿舎へとやってくる。
そして辿り着いたのは、黒騎士の執務室。
その扉を優しくノックをすると、中から「開いている」という声が聞こえてきた。
どうやら中には黒騎士団長もいるらしいと認識したセティレンスは、執務室の扉を勢いよく開けた。
「どーもー」
「・・セティ!?」
セティレンスの登場に驚く2人の姿を見て、彼はにんまりと笑った。
ただでさえ赤の騎士がここにいることでさえ珍しいのに、その団長が来ているのだ。
驚かないわけがない。
「お前任務中じゃなかったのか?」
「そうだよ?でも報告があったからいったん帰ってきた」
なんてことないとでもいうふうに言うから怖い。
実際セティレンスのフットワークはおそろしく軽い。
おまけに底なしの体力を持っているため、とんぼ返りでも王都にやってくる。
つまり、彼は神出鬼没の人間だった。
「で?その報告は俺たちじゃないだろう」
「うん、報告はさっき終わった」
セティレンスはそう言うと、ソファにドカリと座った。
貴族の屋敷でも王室でもないため、特別な来訪者が来ようともお茶などでない。
それを知っているから、畏まらずにいられるのだが。
「じゃあ何しにきたんだよ。遊びに来たとか言わないよな?」
「まさか。さすがの俺でもそんなふざけたことはしないよ」
「じゃあ何しにきた」
「んー、エドワードをちょっと借りにきた」
「・・俺ですか?」
いきなり出てきた自分の名前に、エドワードは読んでいた書類から目を離して顔を上げた。
「エド?エドほど諜報部員に向かない人間はいないぞ」
「戦闘力は魅力だけど、確かにエドほど向かない人間はいないね」
その言葉にエドワードは何も返さないが、内心で舌打ちをつく。
エドワードも自分が赤騎士になれるとは思わないし、なりたいとも思っていない。
別にエドワード自身が隠密行動が不得意だとかそういうわけではない。
しかし、向かないのだ。
その綺麗すぎる顔が。
どこにいても目立つそのオーラが。
エドワードはどこ行っても目立つ。
令嬢の目にも、貴族の目にも止まってしまうエドワードは、役立たずというレッテルを貼られるくらい、諜報には向いていないのだ。
「じゃあ何しにきたんですか」
思わずエドワードの声が低くなってしまったのは仕方がない。
「食堂にエドワードに会いたいっていうお嬢さんが来てるんだ」
「・・お嬢さん?」
エドワードはその言葉に眉間にしわを寄せる。
ここ数日、王都の巡回や騎士の訓練で外に出るたびに貴族の令嬢に後をつけられ擦り寄られていたエドワードは、遠征に出るよりも疲れていた。
エドワードにとって、令嬢は魔物よりも強敵だったのだ。
冷たくあしらうことができても強くは出れないエドワードに、令嬢たちはここぞとばかりに自分を売り込みに来る。
そのため宿舎にこもりがちになってしまい、そのおかげで書類整理が稀に見ないほど捗っている。
「追い返していただけますか」
エドワードの声は冷たい。
全身で会いたくないと主張している。
そんな様子のエドワードにセティレンスは笑った。
「いいの?」
「いいも何も、仕事中ですから」
エドワードはそう言い捨てて、書類に視線を戻した。
「知らないよ?」
「何がですか」
「会ったほうがエドのためだと思うけど」
セティレンスは楽しそうに言う。
その様子をエリックは呆れたように見ていた。
相変わらず人で遊ぶのが好きな男だと、内心でため息をついたエリックは、最近部下が怯えるほどの冷気は放つエドワードを見た。
エドワードの顔はかなり疲れている。
「ウサギちゃんはエドに用があったみたいだよ?」
「・・・っ!なんですぐに言わないんですか!」
エドワードは叫ぶように言うと、先ほどまでの態度が嘘のように慌てて執務室から飛び出していく。
その様子を面白そうに見るセティレンスと呆れたように見るエリック。
「・・仕事中じゃなかったのか」
退室の旨も言わずに飛び出していったエドワードの様子に、エリックは先ほどエドワード自身が言っていた言葉を口にする。
それに笑ったのはセティレンスだ。
「少なくとも、エドにとっては仕事より大事らしいよ」
「お前も人が悪い。最初からマーシャル嬢だと言えばよかっただろ」
「それじゃ面白くないでしょ」
その言葉にエリックは言葉ではなくため息を返した。
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「シャル」
マーシャルは久しぶりにそう誰かに呼ばれた気がした。
ハッとして振り返ると、少し頬を上気させたエドワードがいた。
久しぶりにその姿を見たマーシャルであるが、その姿に思わず眉を寄せる。
エドワードの顔色はすこぶる悪い。
それでも、エドワードはマーシャルに近付いたときに鼻腔を掠めた香水の匂いに気分をよくして微笑んだ。
「エド、疲れてるね」
「え?あー・・そうだな」
エドワードは答えにくそうにそう言うと、ため息混じりに笑った。
「エド争奪戦が激発してるって聞いてます」
「嬉しいしくない」
「それだけ女性に人気だってことでしょ」
「本命じゃなきゃ意味ないだろ」
「え、本命いるんですか?」
「・・・・・いや」
エドワードは思わずこめかみをおさえた。
ばれてほしくはないが、ほんのり気付くくらいはしてほしいとエドワードは思う。
「で?どうした?」
「あ、そうそう。以前、エドに治癒能力がついたピアス渡してたじゃないですか」
「ああ」
そう言って、エドワードは今もつけているそのピアスを外して、マーシャルの手のひらに置いた。
少し長くなりそうなので切ります(><)




