◆第74話
ヒソヒソという声が聞こえた。
クスクスという声も聞こえた。
陰口を叩くくらいなら、はっきり言えばいい。
陰口を叩くなら、見えないところで言えばいい。
マーシャルはそう思いながら、ここ最近を過ごしていた。
どこへ行っても、エドワードとのことを囁かれる。
そのくせ本人には面と向かって言ってはこない。
貴族たちのそういった対応に、ただでも気の長くないマーシャルはキレそうだった。
「私が何したって言うんですか!」
そうしてキレたマーシャルの威勢のいい啖呵を聞いたのは、研究塔に配属されて以来マーシャルの上司にあたるウィズ。
10歳の少年に物凄い剣幕で怒りをぶつけるその様子は、シュール以外の何物でもない。
ウィズとて別に聞きたくて聞いているわけでもなければ、マーシャルがウィズに聞いてほしくてウィズの研究室にやってきたわけでもない。
ただ、マーシャルが自分の研究の報告をしにきたついでにウィズがエドワードとのことについて聞いたのだ。
それが口火になった。
マーシャルの不満は止まらない。
ウィズは諦めてマーシャルの愚痴を聞く羽目になったのだ。
「ありえなくないですか!?たかだか噂ですよ!?」
マーシャルの愚痴は尽きない。
一体どれほどの鬱憤を普段から溜めていたのだとウィズは呆れ返るが、なんとも微笑ましい気持ちにもなるのだった。
なぜならマーシャルは先ほどから愚痴をこぼしているが、その口からエドワードに対しての愚痴は全く出てこないからだ。
この歳の娘ならば、こういったことで相手のことを悪く言ってしまうのは目に見えている。
それは普段思っている不満だったり、鬱憤だったりと様々だが、マーシャルからは一言もその類のものは聞かないのだ。
それがウィズには微笑ましかった。
「つまり、君に対する貴族の対応が鬱陶しいと」
「そうです!」
鼻息荒くそう言ったマーシャルはいつの間にか用意されていた紅茶をぐびっと飲んだ。
まさにいい飲みっぷりだった。
「じゃあ焔鬼殿のことは?焔鬼殿はそれを知ってて何もしないんでしょ?」
ウィズは口ではそう言っているが、エドワードがこの噂についてなにも行動を起こさないのはマーシャルを守るためではないかと気が付いていた。
それをマーシャル自身に言うつもりはないが、ウィズは単純にマーシャルがエドワードについてどう思っているか気になったのだ。
「エドですか?別にエドは何も悪くないじゃないですか。2人のことは2人が決めればいいじゃないですか。それを外野がとやかく言うのが気に入らないんです」
「外野・・貴族はそういう生き物だからね」
「だから嫌いなんですよ、貴族」
「焔鬼殿も貴族だけど?」
「エドはいいんです。異端児なんで」
貴族の中の異端児。
それはエドワードやフィリル公爵家を侮蔑する呼び名だった。
地位の高い彼らに向かって面と向かって言う馬鹿な貴族はいないが、影ではそう呼んで彼らを嘲る貴族は少なくない。
特に権力や地位という言葉が好きな貴族はそういう傾向が強い。
ただ、異端児だなんだと言われながらも、その地位と見目の良さは貴族の中でも人気であり、こぞって婚姻関係を結びにくるのだ。
「しかし・・そうか、すでに恋仲か」
「笑い事じゃありません」
笑いながら言うウィズに、マーシャルは冗談じゃないと言葉を返す。
マーシャルにその気はないが、これでも婚前の娘なのだ。
多少浮名を流しても結婚できる男とは訳が違う。
「まぁでもマーシャル嬢はまだマシかもよ」
「というと?」
「焔鬼殿は今仕事中に押し寄せる令嬢の猛襲に相当疲労しているみたいだよ」
その言葉にマーシャルは顔を引き攣らせる。
「すごいよ、本当。この前のデート話が広まった途端、目の色変えた令嬢たちが我先にとフィリル公爵の元へと釣書を送ったらしい」
「誰情報ですかそれ」
「焔鬼殿のお兄さんだよ」
それはその情報が正確だという証拠だろうかと、マーシャルは気を遠くする。
「で、焔鬼殿は当然全て断ったんだって。仕事が最優先だとか言ったらしい」
「エドらしい」
「ね!でもそんなので恋する令嬢が引き下がるわけないじゃない?」
「・・まさか?」
「そう!令嬢たちがね、焔鬼殿の仕事場までやってきたらしいよ」
いい迷惑だよね!と無邪気な笑顔で言うウィズはどこまでもブラックだ。
そしてマーシャルはエドワードを哀れむ。
「さすが恋する乙女ですね」
マーシャルはどこぞの綺麗な令嬢に言い寄られているエドワードの様子を思い浮かべる。
途端に不機嫌になるマーシャルはウィズはおやおや?という興味深々な顔をした。
そして無自覚は大変だと思うのだった。
「マーシャル嬢は違うの?」
「何がですか?」
「マーシャル嬢も恋する乙女でしょ?」
ウィズの言葉にマーシャルはきょとんと目を丸くする。
その仕草は本当に可愛らしい。
マーシャルは言動こそ淑女のそれとはかけ離れているが、見てくれだけは一級品なのだ。
「そうですね、魔道具に恋する乙女ですね。まぁ乙女といえる年齢でもないですけど」
本当に残念だと、ウィズは思った。
「焔鬼殿に最近会ってないの?」
「エドにですか?うーん・・そういえば最近は会ってないですね」
マーシャルは基本的に出不精だ。
シェイラの射撃訓練のために外に出ていたり、研究できるだけの場所がなかったりしたため今まで外にいたが、研究と魔道具の改造が出来る環境があるならば話は別だ。
シェイラも射撃訓練が終わってからというもの、マーシャルの研究室に訪れるだけで彼女を外に出そうとはしない。
結果として、マーシャルは見事な引きこもりになってしまった。
だから、会っていないというよりも、厳密には会いにいっていないというほうが正しい。
そしてエドワードには今、マーシャルに会いにいくような時間と余裕はない。
「会いにいかないの?」
「どうしてです?」
「え?」
「だってエドは仕事してるじゃないですか」
日夜問わずやりたいことを思う存分している自分とは違うと、マーシャルは思っている。
基本的にこの研究塔に住む技術士は自由だ。
貴族や王族に急ぎでなにか造ってほしいと頼まれない限りは、自分たちの研究を進めている。
そのため、本人が今日は休みだと言えばその日は休みになるし、今日は半日だけが仕事だと言えば仕事は半日になるのだ。
そんな技術士とは違って、副団長という地位にいるエドワードの非番の日は少ない。
実家絡みで公休になることはあっても、基本的に騎士服を着て王都を巡回している。
ただでさえ忙しいエドワードに会いにいくなど、マーシャルには考えられなかった。
「エドは忙しい人間ですから。向こうが暇なときにこっちに来てもらうくらいがちょうどいいんですよ」
マーシャルはそう言って、フフッと可愛らしく笑う。
そんなマーシャルを見て、ウィズは恋人の鑑だなと思うのだった。
マーシャルの爪の垢を煎じて飲ませたいとも。
「みんなマーシャル嬢くらい焔鬼殿のことを考えられればいいんだけど」
「それができないから恋する乙女なんですよ」
「盲目?」
「それは意味が違いますよ」
マーシャルはそう言うと、紅茶を飲む。
ウィズが淹れてくれる紅茶はいつも美味しいと、マーシャルはウィズを見て思った。
「ああ、そうだマーシャル嬢」
「なんですか?」
ちょうどマーシャルの紅茶のカップが空になった頃。
そろそろ自分の部屋に帰ろうかと思っていたマーシャルにウィズが声をかけた。
「今、なにか造ってる?」
「いえ?何も」
正確にはすでに造り終えたのだが、それは言わない。
否、言えない。
「じゃあ何か造る予定は?」
「今のところは何も案はありませんけど」
本来ならば、混ぜ合わせた魔石を使っていろいろと魔道具を造るところだが、さすがにそれはまずいとマーシャルでもわかっているため、何かを造る予定は今のところない。
とりあえず、ピアスの図案と回路図はお蔵入りにしなければと、マーシャルは頭の片隅に留める。
「そう。何か造る予定なら言ってね」
「造る物ですか?」
「ううん、できる物の用途と性能」
そう言ってにこやかに笑うウィズの目は決して笑ってはいなかった。
それに悪寒を感じたマーシャルは、思わず顔を引き攣らせてしまった。




