◆第70話
久しぶりに見た城下街は、相変わらず賑わっていた。
いつかのマーシャルのように商売道具だけを持って売りに歩く商人もいれば、露店を構えて珍しい食べ物を売る商人もいた。
マーシャルにはイーキスの街に戻ったように見えた。
職人街で呼ばれるイーキスはいつだって賑わっている。
朝早くから多くの声が聞こえるし、夜遅くなっても街は明るい。
各国の珍しいものも、最新のものも、かなり古いものも、すべてがイーキスというひとつの街にある。
「なんだか懐かしく感じますね」
マーシャルは自然とそう言っていた。
いや、実際にイーキスには帰っていないし、王城でしか暮らしていないマーシャルにとっては、懐かしいものであるのだが。
「帰りたいと思うか?」
「イーキスにですか?」
「ああ」
その問いにマーシャルはうーんと悩む。
実のところ、マーシャルは自分でも驚くほどホームシックになっていない。
家に帰りたいと涙を流したこともなければ、兄夫婦を心配することはあっても会いたいと思うことはなかった。
「微妙なところですね。小姑な兄がいるかどうかの差ですからね。それに私、そりゃ王女様に魔法を教えろと言われた時は心底帰りたいと思いましたけど、今はあんまり思わないんです」
「魔道具を造ってもいい環境ができたからな」
「間違いないですね」
なんとも現金な奴だとマーシャルもエドワードも思ったが、好きなことを好きなだけやっていいという許可をもらったのだ。
簡単に心が揺らぐのは仕方がない。
「あ、いい匂い」
マーシャルはくんくんと鼻を動かし、その匂いを辿るようにして歩いていく。
その後ろをエドワードが支えるようにして歩く。
たどり着いた先にあったのは、魚のすり身を薄く平らに伸ばして油でカラッと揚げた料理を出す露店だった。
「いらっしゃい!」
エドワードがマーシャルに追いついて隣に並んだときに、店主から快活な声が聞こえた。
「魚か。この辺じゃあまり見ないな」
エドワードは珍しそうにそれを見た。
大体のものが集まってくる王都であるが、海に面していないこの街に魚が出回ることは少ない。
出回るときは大抵、塩漬けされて干されてやってくる。
そうしなければ、運んでいる途中で腐らせてしまうからだ。
「店主、これは干し魚じゃないのか」
「これは新鮮な魚の身をすりつぶして団子みたいにこねて揚げたものだよ。珍しいだろ?」
そう言った店主はニッと人の良さそうな笑みを浮かべた。
「なるほど!これならわざわざ干さなくても食べられるもんね!なるほど、すり身か・・どこの料理だろ」
「お、嬢ちゃん興味あるのか?これは海に囲まれた東国で見られる料理だよ!」
店主はそう言うと、ほら!とくしに刺したそれをマーシャルの前に差し出す。
それを当たり前のように礼を受け取ると、マーシャルはパクリと豪快にかぶりついた。
魚の塩気とスパイスがよく効いた美味しい一品だとマーシャルは思う。
「お酒によく合いそうだね」
「嬢ちゃん酒を飲むのか!確かにこれは酒のあてにもってこいだ!兄さんも食べな」
「じゃあ代金を、」
「いいよいいよ!こんな快活で美人な嬢ちゃんは見ないからな!特別だ」
そう言って店主はエドワードに串を数本入れて渡した。
なんとも気前のいい店主だとエドワードは呆れながら見て、お礼だけ言うと手を振るマーシャルを連れて座れる場所を探した。
「気前のいい人でしたね」
「そうだな」
露店が多く並ぶ街の中央に設置されたベンチに座った2人は、先ほどもらった魚のすり身を食べていく。
あまりこの辺では味わえない味付けだった。
「美人ってのは得だな」
熱々のそれを咀嚼しながら、エドワードはふと思い出したように言った。
マーシャルを連れていなかったら、おそらく自分で買って、よくておまけしてもらえたくらいだろう。
それがすべてタダでやるというのだから、美人とはなんとも得だ。
「よく言いますよ。あれが女店主だったらお兄さんカッコイイからって言って同じことされてますよ」
「そうか?」
「そうです。だから次は女店主の店に行ってみましょうか」
そう笑って言うマーシャルにエドワードは苦笑を返した。
エドワードはなんとなく、マーシャルから商人らしさというものを感じてしまった。
といっても、5年前に無償で魔石を渡しているあたり、マーシャルに商才が無いのはエドワードも身を持って知っているのだが。
「そういえば忘れてましたけど、エドって公爵家の人間なんですよね」
「・・急にどうした?」
マーシャルにそう言われてエドワードは顔には出さないものの、不機嫌そうな声を出した。
すでに騎士としての生活が長いエドワードにとって、騎士の階級以外での地位で見られることは好きではなかった。
まぁ元々、地位に興味がないため貴族として見られることも好きではないのだが。
そのため、エドワードを自分を貴族として扱うことを極端に嫌う。
「いや、前々から思ってましたけど、エドって貴族っぽくないなぁって。あ、でも、言葉の端々とか食べ方とかに品の良さは感じられるんだけど」
「・・・そうか」
「あ、怒んないでよ」
声が低くなったエドワードにたいして、マーシャルは焦るでもなく、どちらかというと楽しそうに笑って言った。
「なんかエドといると、今まで思っていた貴族像が覆りそうで怖い」
「なんだそれ」
「いやさ、うちって手広くなんでもやってる商会だからさ、貴族様もよく来るんですよ」
そう切り出したマーシャルは最後の1本となった串を遠慮もなく口にする。
「で、まぁ一握といえば一握なんですけど、この私が買いに来てやったぞ感がすごいんですよね、貴族様って」
ペラペラと話していくマーシャルであるが、その意見にはエドワードも納得する部分がある。
若い貴族たちにこそ少なくなったが、自分の父親、更にその上の世代というのは、どうも自分は特別だという選民意識が強い人間が多い。
そういった人間はどうしても平民には尊大な態度をとることが多い。
そしてそのせいで、平民たちは貴族をそういう人種だと思っている。
「でもエドを見てると、そういう思いが覆りそう」
「それはいいんだけどな、」
エドワードはなんとも言いにくそうに口ごもる。
「俺は貴族の中じゃ異端児だぞ」
「ああ、それはなんとなくわかります」
「失礼だな」
最近、マーシャルが自分に対して遠慮がなくなってきていると、エドワードは感じている。
それに対して嬉しくも感じるのだが、付き合いやすい男友達として見られているみたいで心配になる。
「異端児だという理由を聞いても?」
「・・俺、というか俺の家自体が貴族の中じゃ異端だろうなと思うんだ」
エドワードはそう言うと、マーシャルが半分ほど食べてしまった串を奪うと、何の迷いもなくそれを自分の口に放り込んでしまった。
そんな様子にマーシャルは呆れたようにエドワードを見ていた。
「俺んち、公爵なんてお高い位置にいるけど、父さんも爺さんも権力に全く欲のない人間でさ」
「それまた変わった公爵様ですね」
「そうだろ。母さんも権力には興味ないし、それを見て育ったもんだから俺たち兄弟もそういうのに今日はなくってな」
なんという一家だろうかと、マーシャルは少し引き気味に聞く。
「一応家は一番上の兄が継ぐ予定だから、俺たち弟は好き勝手してるってところだ」
「好き勝手、とは?」
「とりあえず、姉は今頃どこかで竜でも殺してるんじゃないか?」
「・・・はい?」
嘘ですよね?とマーシャルは口にはしないものの、目がそう語る。
それに対してエドワードは否定はせずにただ苦笑だけをマーシャルに向けた。
「俺の弟は今は好きな女に振り向いてもらうために必死に医者になろうとしてるよ」
「お医者様、ですか」
貴族なのに医者。
それも惚れている女のために。
なんなのだ、この一族は。
「な、異端だろ、俺んち」
「エドも異端?」
「そうだな。俺は13のときに騎士の養成学校に入学して、それからはずっとこれだな」
それはつまり、貴族としてはまったくと言っていいほど生活していないのでは?とマーシャルは半ば顔を引き攣らせながら見る。
そして、そりゃあ貴族らしくないわけだと、内心で納得してしまったのだった。




