◆第64話
「食え」
「いやでも、」
「でもじゃない。お前これの前っていつ食ったんだ」
その言葉に、マーシャルは返せない。
いや、覚えていないのだ。
自分が最後に食べ物を口にしたのがいつだったかなんて。
そもそも部屋を閉め切っていたマーシャルにとって、確かにカーテンの隙間から光が入ってはいたものの、それが朝なのか昼なのかの見分けはついていなかった。
先ほどエドワードに言われて、今が昼だということを認識したくらいだ。
「お前死にたいの?」
呆れ顔のエドワードはほんの少しの怒気を含んでマーシャルに問う。
マーシャルは首を横に振って答えると、おそるおそるというふうに、目の前に盛られたご飯に手を付け始めた。
マーシャルの目の前には、わざわざ料理長が消化が良いものや胃に優しいものを集めて特別に作ってくれたものだ。
数ヶ月もここで過ごしてきたマーシャルにはそれがわかっている。
久しぶりに食べたご飯はやはり美味しかった。
マーシャルはご飯を食べ始めたことに安心したエドワードは自分が持ってきた食事に手をつける。
「で?シャルは今何してるの?」
「シェイラ様に護身術を教えてます」
「それは聞いてない」
そんなことは百も承知で、マーシャルははぐらかしたいのだ。
すいっとエドワードから目をそらしてみるものの、エドワードからの追求に逃れることはできない。
そもそも先ほど自分の部屋に入られて隣に覗き込むようにして見ていたエドワードなのだ。
マーシャルが隠さずとも、何をしていたかなんて気が付いている。
つまりこれは単なる確認作業に過ぎない。
「あの魔道具は俺の記憶が正しければ、シェイラ様の部屋に飾ってあったものだな」
「・・・・少し観察眼がよろしすぎるのでは?」
「それ以外にすることがなかったからな」
マーシャルはそれはそれでどうなんだろうかと思うものの、あの時の護衛対象である自分は宝石箱に夢中だったのだから、エドワードとしては暇だったのだろうという結論にいたった。
「で?あれは何してたんだ?」
「・・知りたいですか?」
「そう聞かれると知りたくなるな」
「じゃあ聞かないで下さい」
「見ちゃったからな。聞かないという選択肢はないな」
そう綺麗な笑顔で言われてしまい、マーシャルはついその顔を殴りたくなる。
まぁそんなことをする前に取り押さえられてしまいそうなのだが。
「・・黙っておいていただけます?」
「やっぱりそうなんだな」
「そうですね。改良、と思っていただければ」
自分で言っておいて、マーシャルは無理があるなと思う。
全く別の代物を造っているわけではないのだから、改良といえば改良なのだが、魔道具はそれ自体が立派な完成品であるために、改良などという考えはない。
「なんであれなんだよ」
「魔道具ですか?」
「ああ。あれ、俺は近くで見たことはないが、それなりのものだ。なんでわざわざそんな高価なもので改造・・・改良するかな」
「全部言っちゃってますけど」
訂正する意味があったのだろうかと、マーシャルは呆れたように言う。
「シェイラ様ができるならあの魔道具で仰られたので。それなら尽力してみようかと」
マーシャルはそう言うと、ふんわりと笑った。
その笑顔にいつものような快活さはない。
優しそうな淑女の笑みと言われればそれまでかもしれないが、その目の下にくっきりと存在感を示すかのようにあるクマが、マーシャルの睡眠不足と疲労を物語っていた。
「でもやはり10年前に造られただけありますね」
マーシャルはため息混じりにそう呟く。
それにエドワードは首を傾げるだけにとどめた。
「そのときには最新だ、最先端だと言われていた技術であっても、やはり時が経てば古くもなるし、知らない技術に思えてきますね」
今までマーシャルは最新だとか旧式だとか、そういうものには特にこだわることなく、その魔道具の性能に合わせて使ってきたつもりだ。
そんなマーシャルでもさすがに10年前の技術は今は使用しておらず、解体したものの四苦八苦していたのだ。
「ウィズにでも聞いてみたらどうだ?」
「ウィズ様ですか?」
「見た目は子どもだが、いい年らしいぞ」
マーシャルはここに来た頃に会った、10歳ほどの少年の姿を思い出す。
外見からは想像もできない知識量と貫禄を持った少年の年齢は、女性でもないのに公開されていない。
「私がしてることは、あまり褒められたものじゃないですから」
マーシャルは散々レイモンドに言われてきた言葉を思い返した。
いつだって魔道具の改造はやめろと言われてきたし、造るのも止せと言われ続けてきた。
「・・まぁ研究塔自体に行くのが問題か」
ウィズがどれだけその事実を伏せていても、研究塔で広まる可能性がある。
そう考えれば、ウィズに相談するのも考え物だ。
「ま、回路自体を組み替えちゃえば問題ないんですけどね」
マーシャルは簡単に言う。
いや、実際マーシャルにしてみれば、そんなに難しい作業ではないのだ。
10年前の回路全て取っ払って、自分が造った回路を埋め込むという作業ならば。
10年前造られた回路をそのまま残しながら改造しようとするから、今こんなにも悩んでいるのだ。
「魔道具に関しては俺は素人だから何にも言えないが、飯だけはしっかり取れ。あと睡眠」
「うっ」
エドワードに睨むようにして言われたマーシャルは思わずその目をそらす。
マーシャルは実家にいた頃から、魔道具に夢中になると不眠不休で作業をする癖がある。
おまけに熱中しすぎて空腹に気が付かない。
これで幾度となく倒れた。
その度にレイモンドと両親にこっ酷く叱られるのだ。
「みんな心配はするんだよ」
と、心配そうな声色で言われてしまえば、マーシャルは強く言い返せずに「わかった」と言うしかない。
それがエドワードの策略だとしても。
「ああ、そういえなシャルはこれからどうするんだ?」
「・・というと?」
エドワードは心配そうな表情を消すと、唐突にマーシャルに聞く。
いきなりのことにマーシャルは首をかしげた。
「ああそうか。まだシャルには報告がいってないのか。引きこもってたから」
意地悪そうに言ったエドワードは、マーシャルが残していた真っ白なパンを手に取るとそのままちぎって食べた。
それにマーシャルは何も言わない。
しばらくご飯を食べていなかったマーシャルの胃袋は少しばかり小さくなってしまったようで、料理長が用意してくれた量が食べきれずにいたのだ。
「シェイラ様が、自分のわがままでここにいてもらうのだから、騎士の宿舎ではなく王城のほうへ部屋を移動させてはどうかと言っているんだよ」
「はい?」
マーシャルは自分の耳を疑う。
目の前に座っているエドワードが嘘を言っている素振りはない。
おまけにシェイラならば言いかねないと、マーシャルはここ数日の経験から思ってしまう。
「私平民ですよ?」
「地位だけはな」
「何が言いたいんです?」
「今回のことで、間違いなく褒賞は出る。シャルが望んでなくてもだ。まぁ、貴族連中がだいぶ渋っているみたいで、なかなか判決がくだらないみたいだが。それで、王城に住んでも問題ないようにするんじゃないか?」
それは簡単に言うと、爵位でも与えるということか?とマーシャルは顔を青くする。
王城に留まれるだけの理由を褒賞で与えるなど、なんの拷問だよと、マーシャルは言いはしないものの思ってしまう。
「私あんなところで住みたくないですよ」
「ここがいいって?」
「あっちに住むくらいならこっちのほうが断然落ち着きますよ」
貴族からの視線や慣れない礼儀作法、令嬢からの嫌がらせに比べれば、男臭い、がさつ、猛獣の中といった三拍子のほうが、マーシャルにはマシに思えるのだ。
おまけに、騎士の宿舎のほうが何かあったときに助かる確率が高いのだ。
「まぁどうなるかはわからんがな」
「せめて侍女寮に住みたいですね」
「名案だな、それは」
エドワードはそう言って笑うと、マーシャルが残していたご飯をしっかりと平らげたのだった。




