◇第44話
「エドッ!」
そう呼んだのは、マーシャルだったか、エリックだったか。
吹き飛ばされたエドワードの名を呼ぶ声は、黒い異形の咆哮によってかき消される。
エドワードの行動によりすっかり臨戦態勢に入った黒い異形は、気味の悪い白い目を騎士たちに向ける。
ゴクリと、喉の鳴らす音が聞こえた。
エドワードは弱くない。
むしろ騎士としては、化け物並みの強さを持つ団長クラスに負けず劣らずの実力を持っている。
それは周知の事実である。
だからこそ、他の騎士たちの足は止まる。
エドワードが、咄嗟のこととは言えず、まともな防御もできないまま後方に飛ばされてしまったのだから。
生死すらわからない。
騎士たちから嫌な汗が流れた。
『グギャアァァァァァア』
「・・うっせぇよ、化け物が」
ガシャンと音を鳴らしながら聞こえたその声は、さきほど飛ばされたエドワードのものだった。
フラリと体を揺らしながら、エドワードは自分を吹き飛ばしたそれを睨みつけた。
「エドッ」
「副隊長!ご無事で!」
騎士たちは黒い異形から目を離さずに、エドワードの生死を確認する。
生きていたことに安堵を覚えた騎士たちの顔は少しながら絶望から救われたようだ。
「無事なわけあるかよ」
苛立たしげにエドワードは言うと、ペッとなんとも行儀悪く口の中に溜まった血を吐き出した。
それがさまになっているから、困る。
しかしよく見ると、エドワードはところどころに傷を負っているようで、切れた服の合間から血がにじみ出ていた。
黒では血は目立たない。
エドワードはカラカラと魔剣を引きずりながらエリックの元まで歩み寄る。
「エド?」
「腕もってかれました」
「!?」
小声で、周りの騎士に聞こえないように、エドワードは告げる。
エリックは青色の目を大きくして、魔剣をぶら提げるエドワードの腕を見た。
エドワードは故意に引きずっているのではない。
魔剣が持てる状態ではないから仕方なく引きずっているのだ。
「骨か?」
「おそらく」
エドワードは顔を顰めた。
その表情にエリックも顔を顰める。
それは騎士としては致命的な傷だ。
腕をやられては、たとえどれほどの剣豪だろうと剣を振れないのだから。
しかし、それとは対照的にマーシャルは割りと笑顔で明るめの声で言った。
「じゃあ大丈夫ですね」
鬼のような一言、とはまさにこのことだろう。
骨を折っても大丈夫だと言うマーシャルに、エリックは物言いたげな顔でマーシャルを見た。
確かに無理をすれば骨が1本や2本折れていても動けるし、戦える。
それが騎士だ。
たとえどれほどの怪我を負おうとも、それに負けないほどの屈強な精神を叩き込んできた。
しかしその代償はやはり大きいのだ。
「マーシャル嬢、」
「エド、腕貸してください」
エリックが何かを言おうとして、それに被さるようにマーシャルはエドワードに話しかける。
マーシャルは笑みは絶やさないものの、真紅の瞳は真剣そのものである。
エドワードは自然と自分の腕をマーシャルの眼前に差し出していた。
マーシャルは心の中で唱えるようにして言う。
―――どうか、彼に癒しを。
その体に水の恩恵を。
それは水の精霊に向けた願い。
火の加護を受けているエドワードにはその効きが悪いことはマーシャルも十分承知である。
それでも治さねばならないと、マーシャルは思っていた。
そしてエドワードの傷を治せるくらい自分には魔力があるということをマーシャルは自覚している。
「傷が・・」
エドワードは信じられないものを見るような目で自分の治っていく傷を見た。
血が確かに出ていたはずなのに、瞬きをすれば傷はなくなっている。
黒い騎士服に破れて血がついているのが不自然なくらいだ。
そしてエドワードは自分の状態に気が付く。
腕が、痛まないのだ。
ズキズキと、ジクジクと、引くことのなかった痛みを伴った、全く動かなかった自分の右腕が、気が付けば痛みがなくなり、なんの問題もなく動く。
完璧な治癒術。
吹き飛ぶ前の状態まで治されたエドワードを見たエリックは小さく驚きの声を上げた。
「我ながら完璧な治癒ですね」
「それを言わなきゃなお完璧だったな」
なんとも残念だと、エドワードは思う。
先ほどの自分を治癒している状態だけ見れば、マーシャルの容姿も相まって聖女とでも呼ばれそうなものを、マーシャルはそれをことごとく自分の手で潰していく。
「だがまぁ、助かった」
エドワードは白銀の頭に、動くようになった右手を乗せた。
マーシャルはエドワードの手を頭に乗せながら、おもむろに自分の耳からピアスをとる。
そしてそれをエドワードの前に差し出す。
「シャル?」
「つけてください、これ。多少の傷は治りますから」
そのピアスは以前ウィズとエドワードに見せた、治癒能力と障壁を張る能力の2つを兼ね備えたこの国に2つとないもの。
エドワードはそれを知っているため、差し出された瞬間にピシリと固まった。
「それがないとシャルの身が守れないだろ」
「私には治癒魔法がありますから」
そう言われてはエドワードは何も言い返せない。
自動再生するか、自分で治すかの違いなのである。
つまり、マーシャルには自分で治す力はあるのでピアスがなくてもどちらでも良いのだ。
「いいじゃないですか、お守りみたいなものですよ。それに、エドは火の加護がありますから、あまり効かないの思いますし」
ね?とマーシャルは言うと、それでも渋るエドワードの手に無理やり押し込んだ。
そこまでされてはつけるしか方法のないエドワードはマーシャルに礼を言って自分の耳にそれをつけた。
マーシャルは自分がつけるよりも似合ってるんじゃないかと、小さな嫉妬を覚える。
これだから美形はと、内心で愚痴ってもみた。
しかしそれもつかの間、黒い異形の咆哮で、和やかな事態じゃないことに気が付く。
「いけるか?」
「むしろ飛ばされる前より状態がいいですね」
エドワードはそう言うと、魔剣を持ち直す。
構えたエドワードに向けて、黒い異形は咆哮を放つ。
地響きのようなそれに、エドワードは舌打ちをついた。
バタバタと、正門の前に人が集まる。
どうやら咆哮を聞いた騎士たちが集まってきたようで、青色と赤色を纏った騎士たちが驚いた顔で黒い異形を見ていた。
その中にもちろん白はいない。
そのことに黒騎士たちは安堵して、また目の前の化け物を見据える。
「あれなに?」
エリックに、赤の団長であるセティレンスが怪訝そうな顔を向けて言った。
赤が王城に留まっているのは珍しい。
他国への密偵や間諜である彼らは基本的に世界各国を飛び回っている存在だ。
「セティか。訳ありだ。とりあえず手を貸せ」
「出たよ、相変わらずの横暴ぶり。それじゃあ部下が手を焼くよ」
「俺より横暴な奴がいるから問題ないんだよ、うちの団は」
それは間違いなくエドワードを指している。
さきほどの「3分で来い」という言葉が、彼の言う横暴である。
「団長、来ます」
エドワードのその一言に、彼らは瞬時に反応する。
さすが普段から鍛えている騎士。
いや、さすが兵を束ねる団長、というべきか。
彼らはその一瞬で殺気すら飛ばせるほどの視線を送り、臨戦体勢に入った。
『グギャアァァァァァァッ』
黒い異形は口を大きく開けて風を生み出す。
その瞬間、突風が吹き荒れる。
突風は木々を薙ぎ倒し、壁にその痕を刻み、騎士たちが張った障壁に傷を付けていく。
防いでいなければ、今頃切り刻まれて肉塊になっていただろう。
それが容易に予想できて、騎士たちはその顔を青くした。
「おいおいおいおい。なんて威力だよ」
セティレンスは自ら張った障壁についた傷を見て、顔を引き攣らせる。
それは他の騎士も同様。
しかし、怯んでなどいられない。
彼らは剣を握りしめ、黒い化け物へとその剣先を向けた。




