◇第39話
「駄目だ、全く意味わかんない」
王女の私室で宝石箱を眺めながらマーシャルは呟くように言った。
側妃であるレイチェルと話をしたときの言葉が、マーシャルの耳から離れないのだ。
何度となくマーシャルはレイチェルが言った言葉を反芻してみるが、その意味がマーシャルにはわからなかった。
そして、なぜレイチェルがあそこまで余裕でいられるのかも。
「・・王女が出てこられないと高をくくってる?いやでもそれだと私がここに来た時点で何らかの手は打とうとするはず・・」
マーシャルは頭を抱えて考える。
記憶にはあるのだ。
レイチェルによって引き起こされたのかどうかは定かではないが、ニケルによってマーシャルは命を狙われた。
間一髪のところでエドワードに助けてもらった。
エドワードが駆けつけてくれなければ、マーシャルは確実にあの時死んでいた。
だけど、それきりだ。
あの1回があって以降、刺客という刺客は向けられていないし、毒という毒も飲んでいない。
「それとも危険視されていない?」
ならばマーシャルはおそらくあの場に呼ばれなかっただろう。
考えれば考えるほど、どつぼに嵌まっていくようで、マーシャルは令嬢らしからぬ声で唸る。
「う“~~~~~~・・なんだろう、あの絶対的な余裕」
「シャル。変な声出すな」
呆れた物言いをしたエドワードは、いつも通り魔剣腰に差して壁にもたれるようにして立っている。
白い壁に黒い服という組み合わせに慣れてしまったマーシャルは、エドワードの言葉を聞かずに唸り続ける。
「すぐひとりで考え込むのってシャルの悪い癖だな」
「そうはいっても・・ねぇ?」
マーシャルは肘をついてエドワードを見上げる。
公爵様に向かってなんて態度なの!?と以前マーシャルに文句をたれてきた令嬢に見られたら言われそうだと思いながら、藍色の瞳を見つめた。
藍色の瞳に答えはない。
「側妃様の言っている意味がわからないんです」
話せと強い意思でマーシャルを見ていた藍色の瞳に、観念したのはマーシャルだった。
ため息を一つ吐いたマーシャルは、レイチェルと会ったときのことを話す。
「言っている意味?」
「王女がそのうち消えてしまう。側妃様は確かにそう言った」
意味がわからない。
再びマーシャルは頭を抱える。
エドワードへの敬語も忘れるくらいには、マーシャルは考えることに没頭していた。
「この件から手を引けとも。そうでなければ、私が王女の二の舞になると」
「王女の二の舞?それはシャルが宝石箱に食われるということか?」
認めたくはないが、そうういことだろうと、マーシャルは頷く。
別にありえないことではない。
この宝石箱がどういった原理に基づいて機能しているのかはわからないが、一度とはいえ人を丸呑みしているのだ。
別の誰かを再び丸呑みしてもなんら不思議はない。
むしろ今の今までなにもなかったことのほうが不思議でならないくらいだ。
「あーもーわかんない。わからなさ過ぎてむかつく」
マーシャルは苛立たしげに左手に嵌められた5つのバングルを撫でる。
それは自分を落ち着かせるように。
そんな様子を見ていたエドワードは、そのバングルに懐かしいものを感じた。
「そのバングルは、」
「あの時と同じものですよ」
幾分か心が安らいだマーシャルはバングルを見ながら言った。
そういえば、これが彼らと出会うきっかけだった。
エリックがこのバングルに目を留めさえしなければ、マーシャルたちは出会うことなどなかったのだ。
―――否、とマーシャルは思った。
たとえバングルに目が留まっていなくとも、魔剣に入ったあの子はエドワードの魔力に惹かれていた。
きっと出会っていなくとも、マーシャルはあの魔物を前にしていた彼らの前に飛び出していた。
そして、あの時と同じことをしたのだろう。
つまり、彼らの出会いは偶然のようで必然だったのだ。
「もう今さらなんで言いますけど、このバングルには私に加護を与えてくれている精霊たちの依り代なんです」
マーシャルの腕に嵌められた5本の細いバングル。
その裏側に刻まれた文字と嵌めこまれた小さな石。
加護を受ける者のみが所有することが許される、その証。
「エドのそれと一緒ですね」
マーシャルはエドワードの魔剣を指さす。
エドワードは、マーシャルが5年前にバングルを自分たちから隠した理由を今になって知った。
「なるほど」
「小さいときはこれ大きすぎてすぐ腕にから落ちちゃって大変だったんですよ。精霊たちに怒られるし」
「シャルはそうでなくてもすぐに失くしそうだ」
エドワードの冗談混じりの言葉にマーシャルはビクリと肩を揺らした。
瞬間、エドワードは「まじかよ・・」と言葉をこぼす。
マーシャルは幾度となくバングルを失くしていた。
5本もあるのだ、1本くらい失くして当然だと、小さな頃にレイモンドに言えば、問答無用で拳骨を食らった記憶がマーシャルにはある。
「でも大切なものには変わりないんです。ずっと私を支えてきてくれたものですから」
マーシャルは愛しそうにバングルを撫でる。
数回、指の腹で撫でたときだった。
ポウッと5本あるうちの1本が光って、マーシャルとエドワードの前に姿を現した。
艶やかな夜空のような黒髪に、黒い瞳、黒い服を見にまとった少女だった。
『そう思うのなら、もう少し頼ってほしいわね』
開口一番、黒色の少女は不満げに言ったのだった。
しかしそんな少女の不満に負けず劣らずの不満をマーシャルは表す。
心なしか怒っているようにも見える。
「・・勝手に具現化して出てこないでくれないかな。こっちの魔力消費が半端ないんだけど」
『たまにはその無駄に多い魔力を使ってあげなきゃね』
ふんっと、黒色の少女は言って、ぷいっとそっぽを向いてしまう。
マーシャルは己の魔力がごりごりと削られていくのを体のうちに感じる。
こいつは自分を魔力枯渇で殺す気かと、本気で考えてしまうほどには、マーシャルの魔力はものすごい勢いで減りつつある。
「で?私の魔力をごりごりと削ってでもここに出てきた理由は何?」
『あら、久しぶりに会ったのに冷たいのね』
「それどころじゃないんだけど!?」
マーシャルは黒色の少女を睨みつける。
魔力とは、命とはまた別の生命維持組織だ。
彼ら人間は大なり小なり魔力を持って生まれる。
人によって扱える量が異なるそれは、使えば使うほど枯渇していくものである。
もちろん休めば回復はする。
しかし、回復もままならない状態で魔力を酷使し続ければ、魔力は枯渇し生命維持装置としての役目を果たせなくなったせいで、人は死ぬ。
つまり、魔力の枯渇は死ぬと同等の意味を持つ。
そしてマーシャルは今その瀬戸際にいる――目の前の黒色の少女のせいで。
「なんで私が加護を与えてくれるはずの精霊に殺されかけなきゃいけないの」
『大丈夫よ、マーシャルの魔力量は把握してるわ』
「そういう問題じゃない」
『それよりマーシャル』
黒色の少女は、マーシャルと宝石箱を見比べて声を発する。
とても慎重な声だった。
「なに」
自ずと、マーシャルの声は硬くなる。
黒色の少女は無表情でマーシャルの顔を見つめた。
『あなた、この人を殺すつもり?』
「・・え?」
思ってもみなかった言葉に、マーシャルは目を丸くする。
一体自分に加護を与えてくれている精霊は何を言っているのだ。
そんな様子のマーシャルに、黒色の少女はため息をついた。
『彼女の魔力はこれに吸われ尽くしてもう少しで枯渇するわ。そしたらこの子、死んじゃうよ』
それは衝撃的だった。
余命宣告、とでもいうのだろうか。
『この子が消えちゃったらきっとまた他の魔力を探すのね。自分が生きられるように』
黒色の少女は哀れむように宝石箱を見てから、マーシャルがつけているバングルの中に戻る。
マーシャルは動けない。
――――そういう、ことだったのか。
レイチェルがマーシャルに手を下してこない理由。
レイチェルがあの時ほくそ笑んだ理由。
レイチェルが余裕を持って構えていた理由。
全部、全部、全部。
ただ王女の魔力をこの宝石箱が食いつぶして、王女が消えるのを待っていたということだったのか。
「エド、」
「わかってる。報告する」
顔面蒼白のマーシャルを支えるように、エドワードは低い声で言った。




