◇第36話
「すごい美人だな」
「本当ね。とうとう黒騎士の副団長さんにも春がきたかね」
「こりゃあしばらく荒れるぞ」
「貴族の娘も街の娘も発狂しそうよね」
店の奥から、このパン屋の女主人とその旦那のパン職人は、エドワードとマーシャルの姿を見ながら呟いた。
エドワードたちを見ているのは、何もこの2人だけではない。
もとよりこの店に来て朝食を取っていた客たちも、食べるのを忘れて窓際に座る2人を見入ってしまっている。
「エド疲れてますね」
王城を出てすぐに疲れるとは何をしにきたのだと怒られそうではあるが、エドワードはすでに疲れていた。
その理由はエドワードとマーシャルに向けられる視線にあった。
エドワードはマーシャルと違って、職業柄人の視線や動向、人の機微に関してとても敏感だった。
そのため、今のこの衆人環視とも言える状態は、エドワードをただ疲れさせるだけだった。
「エドって本当に女の人と出歩かなないんですね」
マーシャルはクスクスと笑った。
エドワードほどの人物ならば、女のひとりやふたり連れて歩いてもいいくらいだ。
「自覚したことはないがな」
「無意識で女の人避けてたんですか?」
「知るか。ほら、パン選べ」
席から立って、台に並んでいる籠に入ったパンを見ながら言う。
どれもこれも焼きたててで美味しそうだった。
散々迷ったマーシャルであったが、チーズがたっぷり乗ったパンと胡桃をふんだんに使ったパン、そして紅茶を頼んだ。
「ちょ、出しますよ」
「俺の買い物に付き合わせるんだから出されとけ」
エドワードにそう押し切られ、マーシャルの分の代金もエドワードが払う。
そんな様子を見ていた周りの人間は、初々しい2人の様子に微笑ましく思うも、あの焔鬼とまで言われて恐れられる男が・・と意外にも思っていた。
これがデートでなければ一体何だというのか。
そんなことに全く気が付かないマーシャルは、エドワードに礼を言って席に着いた。
「ここ、いい席ですね」
「店主が言うだけあるよな」
窓際のその席は、店の裏側にある庭園を見ることができる。
朝日の光も差し込むそこは、せっかく起きたのにもう一度寝付きたくなるほど心地の良い場所だった。
見える庭園には、パンの材料になるだろう木の実やペリーが育てられている。
ハーブも植えられていることから、紅茶にも使われているのだろう。
「そういえば、エドは何を買う予定なんですか?」
まだ温かいくるみのパンを食べながらマーシャルは問う。
ここが王城ならはしたないと窘められているところだ。
エドワードは紅茶を飲んで口の中にあるパンを飲み込んでから、少し考えるようにして言う。
「魔道具を見に行きたいんだ」
「魔道具・・ですか?」
マーシャルは目を丸くして反応する。
別に魔道具を買いに行ったり、欲しがるのは不思議なことではない。
誰だって、魔道具を買うし、生活には必要不可欠なものも多い。
しかし、とマーシャルは思うのだ。
エドワードは一般市民ではなく剣を扱う騎士である。
そんな人が欲しがる魔道具など、生活品ではなくそういうためのものであるのではと、マーシャルは思ったのだ。
おまけにそれを買うのに、自ら魔道具を造り改造までするマーシャルを連れて行くなど、どういった了見だと少しながら考えてしまう。
「そう拗ねるなって」
「拗ねてません」
明らかにへの字のなっている口元を隠しもせずにマーシャルが言うものだから、エドワードは思わず噴出して笑う。
そんなエドワードの笑顔を見て、相変わらず笑うとキラキラ度が増すなと、マーシャルは馬鹿な事を考える。
「いつもは技術士の連中に頼むんだけどな。たまには違うものも見てみたくなるんだよ」
マーシャルはそういうものなのかと、首を傾げつつも納得する。
マーシャルにとっては、自分が造る魔道具が全てであり、すでに造られたものに関しては気が済むまで自分好みに作り変えているため、その辺の考えはよくわからないのだ。
これは技術士特有の悩みとも言えよう。
「じゃあ魔道具屋に行くんですか?」
「そうだな・・イーキスまで足をのばしてもいいが」
エドワードの言葉にマーシャルはこてんと首を傾ける。
イーキスは職人街であるため、その辺に出回っているものよりも珍しいものや独自のものが主である。
王城に勤める技術士同様に資格を持ち、職人街で魔道具を造っている腕利きの職人がちらほらとイーキスには存在する。
そしてそんな腕利きの技術士たちがこぞって自分が造ったものを売り込みに来るのが、マーシャルの実家でであるレヴィ商会なのだ。
「うちですか?」
「そうなるな」
「お安くしますよ」
にっこりと笑ってマーシャルは言うが、勝手に未婚の娘を連れ出して自分と恋仲などという噂を立たせているエドワードにとっては、むしろぼったくられそうな気がしてならない。
「ああでも、エドが欲しいものがあるかは別ですね」
マーシャルは思い出したように言って、チーズがたっぷりかかったパンを口に入れる。
マーシャルの口の中にとろりとよく溶けたチーズとスパイスが広がる。
「というと?」
「エドって何が欲しいんですか?」
「そうだな・・治癒の力が使える魔道具が欲しいんだ」
その言葉にマーシャルは顔を顰めた。
少し考えた素振りを見せたマーシャルは紅茶を飲んで言葉をこぼす。
「エドは火の加護を受けてますから、治癒である水魔法とは相性が悪いですよ」
エドワードの魔力は精霊の加護を受けているため、赤みを帯びており、火の力を元に魔力は練られてる。
精霊の加護とはそういうものであり、生涯その属性に特化して魔力が使えますよということなのだ。
もちろん他の属性の魔法が使えないわけではない。
他の属性の魔法を使おうと思えば、魔道具を使って他の属性の魔法を行使すればよいだけだ。
そうすることで、火の加護を受けている者が風魔法である障壁を張ったり、水魔法である治癒を使ったりできるのだ。
しかし、問題もある。
それが相性だ。
火は水に弱い。
水は風に弱い。
風は火に弱い。
光は闇に弱い。
闇は光に弱い。
その逆も然り。
属性とはそういうもので、相反する属性の力は効きが他と比べて弱く、あるいは効きすぎるといったことが起きるのだ。
つまり、エドワードのように火の加護を受けている人間が風の魔法を魔道具を介して使えば必要以上の力を発揮し、逆に水の魔法を魔道具を介して使えば必要以上に魔力を消費しなければならないのだ。
「ですから、あまりお勧めはしませんけど」
人には適材適所という言葉がある。
加護を受けていない者や水の加護を受けている者に治癒を頼めばいいことではないのか。
なにも相性の悪い属性の魔法をエドワードが使う必要はないと、マーシャルは思っているのだ。
「わかってるんだけどなー・・使えたほうがこの先楽だろ」
迷いなく言うエドワードの姿にマーシャルは驚き、そして呆れた。
魔力の枯渇、それは死を意味する。
治癒をするために魔力を枯渇させていては、なにを治癒しているのかわからない。
体の傷が治っても死んでいては意味をなさない。
「前線に身を置きすぎですね、エドは」
「まぁ、そういう約束でこれを持ってるからな」
そう言って、エドワードはこんなときでも持ってきていた魔剣を撫でた。
この魔剣がなければ、エドワードはそこまで戦わなくてもよかっただろう。
今と同じ地位にはついていたかもしれないが、それでも幾度となく前線で戦うことはなかったはずだ。
「わかりました、治癒に関しては私が一肌脱ぎましょう。ですから他の魔道具を探してください」
「は?」
「ね?」
マーシャルはそう言い切ると、にっこりと見惚れんばかりの笑みを浮かべた。
その真紅の瞳に、なんとも妖しい光を携えながら。




