◇第32話
「で、次がこの黒い魔石ですが」
マーシャルは忌々しそうに、黒く光るそれを見る。
思わず眉間にしわが寄ってしまったくらいだ。
そんなマーシャルの表情を見たエドワードは、先程のように舌打ちをしないか戦々恐々だった。
「どうしようもないパンドラの箱だったみたいです」
「え?」
宝石箱が、ではなく、この黒の魔石がだ。
黒い魔石は呪いによく用いられるが、実は青い魔石と同じ癒しの効果を持つ。
青色は傷を治す治癒に使われ、黒色は精神を落ち着かせる癒しとして使われる。
あまりよく知られていない事実だ。
いつだって悪く思われてしまう闇の力に、闇の精霊は大層ご立腹だった。
「これが、王女を箱の中に閉じ込め、王女の魔力を巣食っている元凶だと思います」
つまり、この宝石箱は翡翠の魔石が取られてしまった今は、ただの呪いの宝石箱でしかないのだ。
呪い盛りだくさんなそれに、マーシャルはため息をこぼす。
「じゃあそれを取り除けば」
「それはできません」
ディートリアの焦るような言葉に、マーシャルはかぶせるように否定を口にする。
なんと無礼なことかとエドワードとヒュースは思ったが、魔道具を前にしたマーシャルは身分などお構いなしなことを知っていたため、ため息ひとつで流した。
「どうしてだ?」
「ですから、パンドラの箱なんですよ」
開けてはならないと言われたその箱の中身は災いだった。
最後に希望なんてものがでてきたが、果たしてこの魔石を取っ払った先に希望があるのかどうか、甚だ疑わしい。
「マーシャル嬢、わかるように説明していただけますか?」
ヒュースが説明を請う。
この先は、実はマーシャルでさえ言いたくはない。
魔道具に関して自分にできないことはないと思っているマーシャルにとって、お手上げな今の現状は認められないのであった。
「・・この魔石がこの宝石箱と王女を呪っているのは事実です。でもそれとは別にこの魔石を呪っている力があります」
マーシャルは音に出して舌打ちがつけない分、心の中でめいっぱいの舌打ちをつく。
「これを剥がせば呪われますよ」
マーシャルの言葉にディートリアとヒュースは驚いた顔を見せた。
先ほど話を聞いたばかりのエドワードは複雑な面持ちだ。
「どんな呪いかはわかりませんが」
そう締めくくったマーシャルは、話は終わったとばかりにディートリアから視線をそらして宝石箱を見た。
宝石箱からは絶えず『ここから出たくない』と聞こえてくる。
癒しを与える黒の魔石は、おそらく箱の中でその効果を遺憾なく発揮しているのだろう。
箱の中にいればいくらでも癒してもらえるのだ。
出たくないと言うわけだ。
おまけに王女が出てくれば再び王位争いが始まる。
きっとこの事件を王女派の貴族たちはこぞって王子派の仕業だとまくし立てるだろう。
ならば自分が出なければ良いと。
マーシャルは、今度こそ深いため息をついた。
「そうか・・・・これは誰の仕業かは、わからないのか?」
気落ちしたディートリアの言葉に、他の3人は複雑な表所をする。
犯人は間違いなく王子派の人間であり、もしかすると側妃も加担している可能性すらある。
なんといっても、魔石を差し引いても元々美しかった宝石箱だ。
よほどの資産がなければ、造れないし造ろうとも思わない。
しかし側妃ほどのひとであれば、と、3人は思うのだ。
「王子、それは」
「わかっている。俺の母上だろう」
「王子!?」
儚く笑いながらディートリアは言う。
「あの人は姉上を相当嫌っているからな」
ディートリアの言葉に、3人はなにも返せない。
側妃がシェイラを嫌っていることは周知の事実であり、側妃もそれを隠そうともしない。
元々王妃であるオリヴィアのことも、自分よりも爵位が低いために毛嫌いしていたほどだ。
嫌いな女が産んだ子どもが玉座につこうとしているなど、側妃には耐えられないのだという。
自分は側妃で待望の王子を産んだのに。
「王子、」
「ああ、ごめんね、なんか暗くなっちゃったね。じゃあマーシャル、またね」
え、名前・・と、マーシャルが口にする間もなく、ディートリアは王女の私室を出ていった。
ヒュースは困った顔をしながらも、ディートリアのあとを追うように部屋を去る。
残されたマーシャルとエドワードは、嵐のように来ては去っていった2人の背中を見送って、再び2人きりになった。
「なんていうか、寂しい人でしたね」
「ディートリア様か?」
「はい」
血のつながった母親には玉座につけと、王女を嫌えと言って育てられ。
しかし、王子自身は義理であっても姉と呼べるその人を慕いたくて。
ただ姉弟でいたかっただけなのだろうと、マーシャルは先ほどの笑顔を見て思った。
「そうだな・・俺はあまり王城に居るわけではないから青騎士からしか話は聞かないが、毒を盛られたり刺客を向けられたりと、なにかと大変だったらしい」
「デンジャラスですね」
毎日がそうならば、そりゃ宝石箱に引きこもりたくもなるわ。
マーシャルは思わずそんなことを思ってしまった。
「しかしまぁ・・お手上げ状態だな」
「認めたくはないんですけどね」
マーシャルはとっても嫌そうな顔をする。
その顔には屈辱と書かれているように見えて、エドワードは笑った。
決して笑っていいような状況ではないのだけれど。
「私、魔道具のことに関してだったら、不可能はないと思っていたんです」
マーシャルのとんでもない言葉に、今度こそエドワードは噴出して笑った。
一体どれだけの自信があったんだと、エドワードは笑いながら不満そうな顔をするマーシャルを見る。
しかし、納得する部分もあるのだ。
ここに連れてきたときは、その辺の技術士と大して変わらない、もしかしたらその腕は劣るかもしれないとすら考えていた。
なんといっても資格すら持たない20歳の女なのだから。
それがどうだ。
魔道具についての知識は膨大で、その腕前は技術塔を牛耳るウィズにあっと言わせるほど。
造った魔道具は、物によっては国宝にすらなりえる。
きっと今までも、考えてきたものがきちんと形に出来たのだろう。
考えたものを形にできるほどの腕をもっているのだろう。
だからこその、自信なのだろうということは、エドワードには理解が出来た。
「なんでも出来るとか・・考えがお子様だな」
「なっ!子ども扱いしないでください!」
噛み付くようにマーシャルは言う。
エドワードに子ども扱いされるマーシャルであったが、この2人は6つしか年が変わらない。
結婚相手としてなんら問題のない歳の差であり、適齢期であった。
それを子ども扱いなどされては、すでに成人になってから2年が経っているマーシャルは失礼だと感じたのだ。
しかし、エドワードにとっては子どもに見えなければ困るのだった。
見た目だけならば、どんな男も夢中にさせそうなマーシャルは、どこへ行っても無自覚っぷりを見せてくれる。
コロコロと簡単に落ちている騎士たちを見ながらため息をこぼすのがエドワードの日課になりつつあるくらいだ。
それほどに、エドワードはマーシャルを意識している。
だから、子どもではなく女性に見えてしまっては自分が困るのだ。
そんなことは、マーシャルには口が割けても言えないのだが。
「私はもう大人なんですけど」
「はいはい、そう思うならもう少し落ち着こうな」
大人と言いきるような女が、盗み聞きをしたり宿舎を走り回ったりなどしない。
今は見慣れたが、最初こそはそれを垣間見た騎士たちが口を閉めることも忘れて見ていたほどだ。
マーシャルが周りからきちんと女だと認められるのは、大分先の話ではないだろうかと、エドワードはマーシャルのお転婆ぶりを思い返して思うのだった。




