◇第31話
マーシャルは、肘をつきぼーっと、不細工になった宝石箱を見ていた。
そんなマーシャルを、壁に寄りかかりながらエドワードは見続ける。
いったいいつまで、あの宝石箱を見つめ続ければ気が済むのかと、不審に思いながら。
マーシャルがエドワードを引き連れて王女の私室に入ったのは、今から3時間ほど前のこと。
それから今まで、マーシャルは体勢を変えることなく、両肘をつき、あごを乗せ、宝石箱を見つめている。
時おり首を傾けているようなので、何かを考えているのだろうということは、エドワードには予想がついた。
会話もない数時間がすぎて、ようやく、マーシャルは顔を上げてエドワードを見た。
エドワードは身動きはせずに、視線だけマーシャルのほうへと向ける。
「黒いほうはなにかと大変だわ」
数時間、宝石箱と見つめ合って出した結論がそれだった。
いったい何をしていたのかと問われれば、マーシャルはただぼーっと宝石箱を見つめていたと言うしかないだろう。
実際には、頭の中は忙しなく考えをめぐらせていたのだけれど。
マーシャルの言葉に、エドワードは「なぜ?」と短い言葉を発した。
「闇の魔石は外れないように魔法がかかってる。それも呪う系」
マーシャルは忌々しそうに、黒く光るそれを見る。
舌打ちまで出てきそうなマーシャルの態度に、エドワードは壁に寄りかかるのをやめてマーシャルの元へと歩み寄った。
「シャル、顔が酷いぞ」
「元々ですー!」
「はいはい、お前黙って座って微笑んでればもっと男寄ってくるのにな」
勿体無い、という言葉は呑み込んだエドワードだが、マーシャルにはその言葉が副音声で伝わってきていた。
キッと、エドワードを睨む。
「男なんていりませんっ!」
「お前なぁ」
「魔道具があれば生きていけますから!」
「そりゃ生きてはいけるだろうけど」
「ていうか、そもそも結婚してないエドに言われたくない」
マーシャルはそう言うと、べっと舌を出した。
エドワードは、20歳にもなるいい大人が子どもじみたことをするなと言いたくなるが、美人だと騎士宿舎でもっぱらの噂であるマーシャルが自分にだけ向けてくれるそれに、喜びを感じてしまう。
そして、可愛いとも、思うのだ。
「いいんだよ、俺はそのうちするから」
「え、するの?」
「意外そうに言うな。引く手数多だ」
マーシャルは驚いていた。
以前聞いたときは、忙しかったから結婚はしなかったとエドワードが言っていたことを思い出していた。
その言い方から、まだ忙しいのは当分続くのだから、しばらくは結婚などしないと思っていたのだ。
「いやそれは、身を持って知ってますけど」
「お前な」
「いつの間にそんなに仲良くなられたんです?」
マーシャルとエドワードが話していると、扉のほうから声が聞こえてきた。
2人してそちらを見れば、この国の宰相であるヒュースがいた。
そしてヒュースの隣には、14、5歳ほどの金色の瞳をした男の子が立っている。
それに対して、マーシャルは首をひねり、エドワードは慌てて膝を折った。
「シャル」
エドワードの行動に驚いたマーシャルではあったが、公爵家であるエドワードが頭を下げる人間など知れている。
そしてマーシャルはエドワードよりもはるか下の身分の人間だ。
マーシャルはエドワードの隣でサッと膝を折った。
「そんなに畏まらないで。そのままでいいよ」
聞こえてきたのは、低音の耳障りの良い声だった。
マーシャルとエドワードは、彼の言葉に頷いて、先ほどの体勢に戻る。
そしてしっかりと、マーシャルは彼を確かめた。
王族特有の金色の瞳に、濃紺の髪色をした彼。
王都には全く来ないマーシャルには誰だか判別がつかなったが、その風格から相手が誰であるかを理解する。
「・・・王子様、ですか?」
まだ幼さの抜けない彼は、にっこり笑ってそれを肯定する。
マーシャルはとんでもない人間で会ってしまったと、小さくため息をついた。
「ディートリア様、どうされました?」
固まってしまったマーシャルの代わりに、エドワードはディートリアに聞く。
王女の私室なのだから、その弟であるディートリアが来るのは不思議ではないが、今は王位争いが勃発している最中である。
おまけにディートリアの母親であるレイチェルは、第一王女であり王位第一継承権のあるシェイラを嫌っている。
そう易々と来れるような立場にいないのだ。
「義姉上を閉じ込めている宝石箱を何とかできるかもしれないという噂を聞いたので」
ディートリアはそう言うと、宝石箱のそばにいるマーシャルを見つめた。
金色の瞳は憂いを帯びていて、どことなく悲しそうに見えた。
「ヒュース、彼女だよね?」
「そうです」
「お初にお目にかかります、マーシャル・レヴィと申します」
マーシャルはなけなしの知識を集めて、ディートリアに挨拶をする。
平民出身で貴族を相手に商売することはあるが、それはほとんど兄であるレイモンドが相手にしていたマーシャルにとって、礼儀作法とは付け焼刃に近かった。
これ以上ないほどに緊張していたマーシャルであったが、ディートリアは気にも留めず「楽にしていいよ」とだけ言った。
「姉上はどんな感じなの?」
その質問に、マーシャルは言葉を詰まらせる。
ありのままを伝えるにしても、やはり憶測の域の話であるし、それを広められても困る。
ましてや、ここで言ったことを、おそらく犯人である側妃に言われては厄介なことになる。
マーシャルは迷った結果、ディートリアの隣に立つヒュースを見た。
ヒュースは何も言わずににこやかに微笑んでいる。
「大丈夫ですよ、マーシャル嬢」
微笑んでいた口元を動かして、ヒュースはそう告げる。
「・・・私の憶測ですから、信憑性はありませんよ」
マーシャルは最初にそれだけ言っておく。
あとで違ったと怒られないためだ。
「この宝石箱には、翡翠の魔石と黒の魔石の2つが使われていました」
よくよく考えれば、それだけでもこの宝石箱の価値は高い。
2つの性能を持つ魔道具など、目が飛び出るほどの値段で売買されていることがあるからだ。
2つの性能を1つのものに搭載しようとすると、思っている以上に魔道具を造るのに困難なのだ。
そんなことは、実際に魔道具を造ってみないとわからないのだが。
「翡翠の魔石はすでに取り除きましたが、宝石箱の破壊防止をしていました。そのため、いくら優秀な魔法師や精霊師が攻撃をしても傷一つつきませんでした」
それがありえないのだけれど。
と、マーシャルは心の中で不満を漏らす。
どれだけ強固な障壁をつくったとしても、その障壁に全く傷一つつかないなんてありえないのだ。
耐久性など、攻撃されればされるほど、なくなっていくのだから。
「では今は?」
「今は落としただけでも、宝石箱に傷をつけれますよ。もちろん、壊すこともできます。ただし、壊してしまうと中身がどうなるか、さすがにわかりませんからお勧めはしません」
これは事実だった。
ふたを開けて中身を確認しようにも鍵はないし、分解してその造りを見ようにも分解のしようがない。
だから、壊してしまうと中身が出てくるのか、はたまた消えてしまうのかわからない。
手詰まりとはこういうことかと、マーシャルは説明しながら思った。
「ですから今はこうやって、私が魔法を使って宝石箱を守っています」
精霊に力を貸してもらって。
そう言ったマーシャルは、ちらりと宝石箱を見て、それを包むようにある風のベールを確認したのだった。




