◇第30話
「ちゃんと届けたよ」
「ああ」
マーシャルは今、エドワードがいる黒の執務室へと来ていた。
青色を纏うユーリウスを伴って。
正確には、ユーリウスに連れられて、だが。
書類から視線を上げたエドワードは相変わらず不機嫌だった。
その理由がマーシャルには手に取るようにわかってしまい、一瞬で血の気が引くのを感じる。
「じゃ、僕は戻るよ。せっかくの非番なんだから。ああ、そうだ、令嬢たちにはエドの特別大切な人って言っておいたから」
ユーリウスはいらぬ報告までして、黒の執務室を出て行く。
去り際にマーシャルは「置いていかないで!」とユーリウスの背中に念を送ってみたが、ユーリウスは振り返ることなく部屋から出て行ってしまった。
そして、部屋に残ったのは2人。
「シャル」
エドワードのその言葉だけで、マーシャルは冷や汗をダラダラ流す。
マーシャルは蚊の鳴くような声で返事をする。
少しの間、沈黙が続いた。
俯いてしまったマーシャルにはエドワードの表情はわからないが、怒っているのだろうと思った。
少し前に護衛であるエドワードを撒いてひとりになったことを怒られたところだ。
マーシャルはビクビクとウサギのように震え上がっていた。
なのに。
「すまなかったな」
マーシャルの耳に聞こえてきたのは、エドワードの謝罪だった。
起こられることはあれど、謝罪をされる意味がわからないマーシャルは、バッと俯けていた顔を上げてエドワードを見た。
とても申し訳なさそうな、悲しそうな表情だった。
何故彼がこんなにも悲しそうな表情をしなければならないのか、マーシャルにはわからなかった。
「なんで、エドが謝るんですか?」
心底意味がわからないと、マーシャルの顔は語っている。
勝手にエドワードの前からいなくなったのは自分であり、ひとりになったのも自分だと、マーシャルは言外に伝える。
「あの令嬢たちは俺が原因だろう」
「・・・見てたんですか?」
マーシャルは苦虫を噛み潰したような表情をしてみせる。
まさか見られていたとは思わなかったが、よくよく考えてみれば、訓練場などどの色の宿舎からもよく見える場所にあるのだ。
エドワードに限らず、他の騎士団にも見られていた可能性もある。
「ここから見えた」
エドワードの言葉に、マーシャルは思わず窓を見た。
確かに、窓からマーシャルが先ほど居た場所がしっかりと見えた。
「エドからの寵愛がほしいそうですよ」
「・・すまない」
「エドが謝ることじゃないと思います。というか、悪いのは護衛のエドを放って訓練場へと向かった私ですから」
あの時の感覚としては、護衛であるエドワードを放っていったつもりなどなかったのだが。
「しかし、」
「しかしもへったくれもないです。私がエドから離れなければ起きなかったことですから」
離れないことに怒っていたのだけれど、マーシャルにとってはもはやそれは問題ではない。
エドワードはマーシャルの言葉に力なく笑った。
安堵した、という感じた。
それにマーシャルも胸を撫で下ろした。
「で、相手は?」
「え?」
「相手だ。名前くらい覚えてるだろう」
エドワードの言葉に、マーシャルは先ほどのことを思い出す。
しかしどれほど先ほどの十数分前を思い出してみても、頭に浮かぶのは真っ赤なドレスと真っ赤な扇だ。
そして気の強そうな高慢っぷりを体現したかのような、美人な顔立ち。
マーシャルの記憶力は乏しかった。
「名前、教えてもらってないんですよね」
「は?」
「ですから、名前、言われてないんです。貴族様ってそういう方多いですね」
マーシャルの最後の言葉は完全に嫌味だった。
それにエドワードは苦笑を返し、頭の中でだいたいの令嬢の目星をつける。
あんなにも真っ赤なドレスをこの状況で着れるのは、とても限られた人間である。
「それにしてもエドにえらくご執心でしたよ。何かしたんですか?」
「なんで俺がなにかしたことになるんだよ」
エドワードは眉間にしわを寄せてマーシャルを見る。
マーシャルはそんなエドワードの様子などどこ吹く風で、よいしょといすに腰掛ける。
すっかり居座る気満々である。
「だって女性に一定の優しさしか見せないエドにあそこまで熱を上げれるってすごいじゃない」
「・・なんでその話を知ってるんだ」
エドワードが女性に対してしっかりと線引きをしているのは、騎士や貴族の中では有名な話である。
令嬢にいたっては、自分こそはその線引きを越えるのだと息巻いているらしい。
しかし、マーシャルは少し前に王城へ来たばかりで、エドワードの女性関係など知る機会などなかったはずだ。
そのためか、エドワードの顔は少しばかり引き攣っている。
「沢山の騎士様からいろいろなお話を伺いました」
マーシャルはふふっと、可愛らしく笑う。
それにエドワードは呆れ顔を返す。
エドワードは、まさか情報源が身内だとは思っていなかったようだ。
「エドって、令嬢と踊らないんですってね」
「・・誰から聞いたんだよ」
「誰だったかしら」
はぐらかすように言うが、マーシャルは実際にわかっていない。
名前も知らない騎士たちがいろいろなことをマーシャルに言ってくるので、その情報が誰からなのかわかっていないのだ。
しかし、同じ内容を3回も聞けばその話が嘘ではないことに気が付く。
それが、エドワードは女性に対して一定の優しさしか見せない、ということだった。
「令嬢たちがエドに飢えてるって言ってたわ」
マーシャルは先ほどの彼女たちのことを思い出して、まさにその通りだと思った。
自分に言い寄ってきた令嬢たちは、エドを捕食しようと躍起になっていた。
マーシャルの言葉に、エドワードは書類に目を通すのをやめて、マーシャルを見る。
真紅の瞳は楽しげに揺らめいている。
「そういうシャルはどうなんだ?ここに来る前に結婚相手を見つけてこいと言われていただろう」
エドワードの思わぬ反撃に、マーシャルはピシリと固まる。
マーシャルとて別に忘れていたわけではない。
兄であるレイモンドのことを考えない日はないし、レイモンドのことを思い出せば自然とそれも思い出してしまう。
考えないようにはしていたが。
そもそも、貴族しかいない王城で、商家ではあるが平民であるマーシャルの結婚相手など見つかるわけがないのだ。
という持論を元に、マーシャルは結婚相手を探すのではなく、日夜宝石箱のことを考えている。
「私には魔道具があれば、それで十分ですから」
魔道具さえあれば、マーシャルの心は満たされるのだ。
マーシャルの相変わらずの言葉に、エドワードは呆れて笑う。
ここまでぶれないマーシャルを見ていると、ある意味で尊敬してしまうのだ。
「好きだな、魔道具」
「好きですよ」
にこりと、花が綻ぶような笑みを見せたマーシャルに、エドワードは目を見張る。
そして感じる、胸の高鳴り。
エドワードは頭を抱えたくなる自分を抑えて、マーシャルにばれないように小さくため息ついた。
なんてことだ。
エドワードは微笑むマーシャルを見て、気が付いてしまった。
マーシャルを迎えに行ってもらったユーリウスが、黒の執務室を出て行く前に言った言葉をエドワードは思い返す。
『エドの特別大切な人』
冗談ではなく、その通りになってしまったと、エドワードはマーシャルを見て思うのだった。




