◇第29話
マーシャルの元には、エドワードから直接、王女の魔力は膨大だという事実を知らされた。
その事実を知ってから数日。
マーシャルは宿舎と王女の私室を行ったり来たりの生活を送っていた。
もちろん、護衛であるエドワードを伴って。
それはそれは目立ったことだろう。
黒騎士団の副団長であり、公爵家の人間であるエドワードは、妙齢の女性からしてみれば、結婚したくてたまらない相手だろう。
肩書きは申し分なく、その上、見目が素晴らしく良いのだから、こぞってエドワードに求婚を申し込んでいるくらいだ。
そんな相手を、護衛につけて、王城を練り歩いていたことが悔やまれる。
そして再びその護衛の目を盗んで勝手に剣の鍛錬をしていた自分も悔やまれる。
マーシャルはもう少し周りに注意するべきだったと、今さらながら後悔していた。
「聞いてらして、レヴィ商会のご息女さん」
その言葉に、マーシャルは後悔することに忙しかった心と頭を今に戻す。
いつになく質素な藍色のワンピースに身を包んでいるマーシャルは、いっそけばけばしいまでの真っ赤なドレスを着た令嬢を見た。
その令嬢の周りにも、似たような色合いのドレスを着た令嬢が数人いるのだが、マーシャルの目の前に立つ令嬢が強烈すぎて、マーシャルにはその令嬢しか目に入らない。
そしてこの令嬢、先ほどからマーシャルのことを名前ではなく『レヴィ商会のご息女』としか呼ばない。
名前を覚えたくないのか、呼びたくないのか、マーシャルとしてどちらでもよかったが、あまり呼びなれない呼称に、ついつい反応が遅れてしまうのだ。
「女性であるのに剣を握って、振り回すなど・・はしたないにも程があるわ」
赤い扇子で口元を隠しながら、令嬢はマーシャルを気味が悪そうに見た。
マーシャルはそんな令嬢に対して、赤い扇子がよく似合うなーと、ぼんやり考えている。
そもそも、マーシャルは他の令嬢とは毛色が違うし、ましてや令嬢と呼ばれるほどの身分でもない。
そんな小奇麗な身ではないのだ。
それを商家の娘だから、見目が他より良いから、などという理由から、相手が勝手に令嬢にして落胆しているのだ。
そえをマーシャルは馬鹿らしいと思っていた。
勘違いするならば、勝手にすればいいと。
こうやってボロクソ言われるのはマーシャルではあるが、自分が令嬢だと自覚しているわけではないから、特に気にもとめないのだ。
「あなたのような平民とエドワード様とでは釣り合いが取れないことなど、見ればわかるでしょう」
人を小ばかにするような物言いではあったが、マーシャルには目の前の令嬢が何を言っているのかよくわかっていなかった。
釣り合いもなにも、エドワードはマーシャルにつけられた護衛であり、それ以上でもそれ以下でもない。
釣り合いという言葉を使われるような間柄ではないのだ。
「本当、四六時中べったりと・・あの方が黒騎士であることをわかっていらっしゃらないのかしら」
嘆かわしそうに令嬢は言うが、マーシャルから言わしてもらえば、現在進行形で、それも全力でエドワードの仕事を邪魔しているのは、彼女たちである。
マーシャルは内心でため息をついて、おそらく鬼の形相で自分を捜しているだろう護衛のことを思う。
早く迎えに来てくれないだろうか、と。
「おまけにこんなところにまで押しかけて。なんて野蛮なのかしら。ねぇ皆さん」
令嬢は周りに問いかけるように言う。
それに呼応して、周りの令嬢も頷きあってクスクスと笑った。
「あなたみたいな野蛮な平民が、エドワード様のお隣を歩くなんて身の程知らずだわ。彼の寵愛を受けるのはこの私ひとりで十分だわ」
そこまで言われて、マーシャルは彼女たちが何を話をしていたのか気が付いた。
彼女たちは、マーシャルとエドワードが付き合っていると思っているのだ。
やっと彼女たちの言い分を理解して、マーシャルはばかばかしいと思った。
「ですから、金輪際、エドワード様に近付かないでいただけます?」
上から、とても見下すように、そしてなんとも高慢に言ってのける目の前の令嬢に、マーシャルはいつもならば流していたのだが、今回ばかりはそうはできなかった。
嫌だ、と思ったのだ。
エドワードと離れろと言われて、マーシャルは素直に頷けなかった。
そんな自分にほんの少し、彼女は驚いた。
「あの、なにか勘違いなさってません?私と「マーシャル嬢」
マーシャルがエドワードとの関係を話そうとしたときだった。
マーシャルの言葉にかぶせるようにして、彼女たちの元へと歩いてきたのは青を纏う騎士。
珍しい、とマーシャルは思った。
王族の警護を主な仕事とする青騎士団は、基本的に1日の大半を王城の中で過ごす。
彼らが宿舎にいるときは、朝の訓練か、夜の寝る前か、休暇のときだけである。
そんな青を纏う彼が、マーシャルの名前を呼んだ。
反射的に振り向いたマーシャルではあるが、青を纏う彼をマーシャルは知らない。
「ユーリウス様!」
令嬢にそう名前を呼ばれた彼は、にっこりと笑顔を見せた。
どちらかというと、中性的で下手をすれば女に見えるだろう彼、ユーリウス・ミッドベンは赤いドレスを着た令嬢を見たあとに、マーシャルへと視線を向ける。
「迎えに来ましたよ、マーシャル嬢」
「へ?」
マーシャルは本気で戸惑う。
なんといっても、全く見たことも関わったこともない彼に迎えにこられたのだから。
おまけにユーリウスの言葉に令嬢たちは過敏に反応し、マーシャルを睨みつける。
そんな彼女たちのことなどお構いなしで、ユーリウスはマーシャルの腕を引いた。
腕を引かれたマーシャルはユーリウスの腕の中に飛び込むように彼女たちの輪の中から抜け出す。
それに声にもならない声を上げたのは誰だったか。
ただマーシャルにわかるのは、自分の背中にグサグサと視線が突き刺さっているということだった。
「さ、行きましょうか」
「ユ、ユーリウス様っ!」
「なーに?」
マーシャルの手を引いて去っていこうとするユーリウスを、令嬢が引き止める。
「なぜ、彼女を・・?」
おそるおそる質問する令嬢はじっとユーリウスを見つめている。
ユーリウスはうーんと少し考えた素振りを見せて、にっこりと笑顔を向けた。
「彼女はエドが特別大切にしているからだよ」
その言葉に、マーシャルは卒倒しそうになった。
そんなマーシャルをユーリウスは宿舎へと連れて行く。
「ちょっと待ってください!」
宿舎へとたどり着いたマーシャルは、ハッと思い出したように自分の腕を引く。
手はマーシャルが思っていたよりも簡単に離された。
ユーリウスは首をかしげてマーシャルを見る。
「なんで、、なんであんな誤解を生むようなこと言うんですか!」
あんな言い方をされれば、誰だって勘違いをしてしまう。
ましてやすでにマーシャルとエドワードの仲を恋仲だと勘違いしていた令嬢たちだ。
信じる信じないの問題ではなく、もはや疑いすら向けてこないのではないか。
「えー?でも本当のことでしょ?エドが特別大切にしている人」
茶目っ気たっぷりに言うユーリウスに、マーシャルは文字通り頭を抱えた。
なんてことだ・・・!
ユーリウスの言うとおり、エドワードは確かにマーシャルを今誰よりも何よりも大切にしている。
護衛として。
「護衛としてっていう修飾語が抜けてるでしょうが!」
「えー?そうかな?」
マーシャルはユーリウスの身分などお構いなしに、彼に怒りをぶつける。
ユーリウスはその怒りをスルスルとすり抜けて、飄々とマーシャルを楽しそうに見つめた。
「だってさ、僕は今日非番なんだよ?それをさ、エドのやつあごで使ってくれちゃって。これくらいしないと気が済まないじゃん」
ね?と、ユーリウスはウインク付きで言ったが、マーシャルにとってはさらに頭を抱える事実となった。




