◆第100話
周りの目を気にすることなくマーシャルを抱えて医務室まで走ってきたエドワードは、蹴破るようにしてその扉を開けた。
その扉のけたたましい音を聞いた医師は、何事かと扉のほうを見る。
「焔鬼殿?そちらは?」
息を切らせてやってきた、普段は医務室とは無縁の男の来訪に医師は驚く。
そしてエドワードが抱えている女性を目にして、眉間にしわを寄せた。
「倒れたんだ。見てほしい」
そう言って、エドワードは壊れ物でも扱うかのように、マーシャルを寝台へと横たわらせる。
その様子を何とも不思議そうに見た医師は、運ばれてきたマーシャルの状態を確認した。
「・・・・彼女が倒れる前に何かありましたか?」
眉間にしわを寄せたまま、医師は真剣な声でエドワードに聞いた。
魔力をそれなりに絞られ、ここまで全力で走ってきたエドワードは疲れた体を椅子に座らせながら言う。
「何か・・そうだな、俺が死にそうだった」
「・・はい?」
「俺が魔法陣の中から出られなくなって、でも急にその魔法陣が消えて、気がついたらシャルが倒れてた」
エドワードは掻い摘んで説明をする。
あまり詳しく説明してはいけない気がしたからだ。
というのも、医務室に在籍している医師は、ただ医学に精通している人ではないからだ。
もちろん医師なのだから、医学には精通している。
しかしそれ以外に、魔法についても詳しいのだ。
なぜなら、刺されたや切られたという以外のケースで運ばれてくることもあるからだ。
今のマーシャルのように。
「魔法陣が消えた、ですか」
医師はエドワードの言葉の一部分を繰り返し呟く。
「そのとき、なにか聞こえませんでしたか。何かが切れるような音が」
「ああ、聞こえたな。雷のようなバチバチという音だった」
「・・・やはり」
医師は難しそうな顔をしてからそう言うと、そっとマーシャルに布団をかけた。
「彼女は魔力をあまりに使いすぎて、意識を失っているだけです」
「意識を?」
「はい。でも安心はしないで下さい。この様子ですと、かなりの量を一度に失っているはずですから」
魔力の量というのは、血液と違い、足りなくなったら誰か他の者の血をつぎ足すというようなことは出来ない。
なぜなら、魔力には人それぞれに多少なりとも違いがあるからだ。
そのため、失った魔力の量を取り戻すには、自然治癒という方法しかなく、その間はただひたすらに眠り続けるという。
「なんで、」
「この女性が、魔法陣の力を無理やり消したからですよ」
医師は呆れたように寝ているマーシャルを見た。
マーシャルの顔色はいつになく悪い。
「消した?シャルが?」
「そうだと思いますよ。魔法陣の力を消すにはいくつか方法があると聞きます」
医師は話が長くなりそうだと思い、ギシリと音を立てて椅子に座った。
そして話しながら、マーシャルの常態についてカルテを書いていく。
「ひとつは、魔法陣の回路自体を組みかえること、あるいは陣を物理的に消すことです」
「物理的?」
「陣は床や地面に描くようにして描かれてますからね、一部分でも消してしまえば成立しません」
しかしそれは、陣に近づくことができればの話である。
医師は満身創痍であるエドワードに茶を出すと、また椅子に腰かけた。
エドワードはその茶をありがたくいただいた。
「ふたつめは、魔法陣が発動するための条件となる対象を陣の外に出すことです」
エドワードにもそれは想像ができた。
あれほどシェイラを陣の中に縛り付けていたのだから、おそらく陣の中に入れておく必要があったのだろう。
だからこそエリックに言われてシェイラを救出しようとしていたのだが。
「そしてみっつめが、魔法陣が許容できる、あるいは必要としている魔力量を大きく上回るほどの魔力を流し込むこと」
「上回るほどの魔力を?」
「ええ。このお嬢さんが取った方法だよ」
医師のその言葉にエドワードはハッとなりマーシャルを見た。
青白い肌に、色のない唇。
ただ寝ているだけなのに、寝息がとても小さくて、生きているのか死んでいるのかわからない。
「じゃあ俺が助かったのは、」
「お嬢さんのおかげですよ、おそらく」
あの時マーシャルが魔法陣を無理やりにでも壊してくれなければ、エドワードは間違いなく庭師の妻であるエミリアの糧となっていた。
自分はここまでだと感じていた。
あの時エドワードは諦めていたと言ってもいい。
初めて助からないと、どうにもならないと感じたのだ。
「シャル、」
そんなふうに思ったエドワードを助けたマーシャルに、不意にエドワードの目頭が熱くなった。
エドワードは後悔していた。
こんなことになるのならば、死に物狂いであの魔法陣から出ればよかったと。
彼は思うのだ。
騎士でありながら、あれほどマーシャルを守ると言っておきながら、結局マーシャルのことを守りきれず、おまけに守られたのは自分ではないかと。
「お嬢さんに感謝しなさい。彼女のおかげで焔鬼殿は今もそうやって生きておられるのだから」
「・・・はい」
医師の一言は重たかった。
しかし彼はエドワードとマーシャルには背を向けながらカルテを書いていた。
それが医師の気遣いだと、エドワードは気がついている。
なぜなら、カルテなら先ほど医師は書き終えていたからだ。
それなのに彼はこちらを向かない。
エドワードはそんな医師の好意に甘えて、ただ声も出さずに涙を流したのだった。
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「最近副団長って元気ないよな」
「わかる。でも鬼のように怖いよな」
「それもわかる。なんていうか、鬼さが増したよな」
その言葉に、それを聞いていた黒騎士たちが頷いた。
シェイラ誘拐事件の一件が終わって2日が経った。
式典まで、残りわずか数日である。
王都はこれ以上ないほどの賑わいを見せていた。
王城内には各国の王様や王子たちが、式典に出るために訪れている。
和やかに進む時間。
平和だと感じるひと時。
しかしそれをぶち壊しにできるほどの冷たい空気を放つ、黒騎士団副団長。
彼の姿を常日頃から見ている黒騎士たちは、恐れ慄いていた。
「どうしたんだろうな、副団長」
「ストイックっていうのかな、ああいうの」
「でもなんか切羽詰った感じするよな。なんか見てられないっていうかさ」
口々にそう話す彼らは、ただひたむきに剣を振るエドワードの姿を見る。
「マーシャル嬢に庇われちまったからな、エドは」
「ぅわ、団長!?」
黒騎士同士で話していたつもりが、いつのまにか彼らの隣には団長であるエリックがいた。
彼らは驚いてエリックを見るが、エリックの目は真剣にエドワードを見ていた。
「マーシャル嬢、ですか」
マーシャルがあの事件以降、目を覚まさないというのは彼らも知っていた。
医務室に運ばれた騎士や官僚たちが、眠っているマーシャルを見て眠り姫だなんて言っているということも彼らは知っている。
そして、なぜマーシャルがそうなってしまったのかも、彼らは団長を通して聞いていた。
「大切なものを守れなかったと、悔しそうに言っていたな」
その言葉に、彼らは何も返せない。
自分たちは魔法陣の中にいたエドワードを助けることすらできなかったのだから。
「あいつ、1日に1回はマーシャル嬢の元に見舞いに行っているらしい」
「副団長ってそんなマメ男でしたっけ?」
「そんなわけないだろうが」
提出書類を「そのうち」などと言って忘れるような場所に置いてしまうような男のどこがだと、エリックは言いはしないものの全力で首を横に振る。
自分のことを棚に上げるのは忘れずにだ。
「恋は人を変えるってことだな」
「「「・・・・・・」」」」
「なんだ?」
「団長はいつになったら変わるんですか」
「何言ってんだ?」
エドワードに春が来ても、エリックの春はまだ遠いと、黒騎士たちは思わずため息をそろえてついたのだった。




