寝ぼけにお話し
奈々ちゃんとバッタリ会ってしまった。
うわ、どうすれば良い。ここは気軽に話しかけるべきか。それとも挨拶をするべきか。
あ、こんな遅くに帰って来ることに注意すべきなのだろうか。いや、もしそんなこと言ったら不穏な空気になってしまうだろうか。うん絶対なるね。
あああガッツリ目が合っちまった。
もう気合で乗り切るしかねぇ。
思春期の少年のように、俺はキョドリながらも言葉を出す。
「お、こんばんは」
なんだよ。お、って。
「...」
奈々ちゃんは無言で俯いたままだったが、ほんの少し頭を下げてきた。
さっさと家に入っちまおう。俺はポッケから鍵を取り出そうとする。
「きょ、今日も遅いねー」
言った瞬間に「あ、やっちまった」って思った。何でこんなことを言ったのだろうか。
「何?」
奈々ちゃんは俺を睨みつけるように見てきた。怖いっすよちょっと。
「悪い?」
さらに言葉を被せてくる。
「いや、別に。何もないよ」
これはやらかした。普通にやっちまった。俺のバカ野郎。
俺は鍵をドアに差し込み、捻る。ガチャッと開錠の音が聞こえた。鍵を引き抜くとそのまま俺はドアを開ける。
「はい、どうぞ」
ドアを手で抑えつつ、中に入るように促す。
「...」
奈々ちゃんは不機嫌そうな表情のまま家に入って行った。
うわっ。香水くせぇ。俺は思わず顔をしかめる。高校生なのにいっちょ前に香水なんぞ使いおって。今時のJKは香水を使用するのが一般的なのか?
どうも俺はキツイ香水の匂いは苦手だ。あとタバコの匂いも苦手だ。
でもあんまり文句を言ってもいけない。世の中にはタバコの匂いが好きな女性や受動喫煙が好きな人もいるのだ。
「岳、ちょっと起きて」
翌朝の月曜日、朝っぱらから俺は母さんに叩き起こされた。あ、叩かれてはいない。正確に言うならば揺すり起こされた、になる。
「ぁ~?」
寝起きの悪い俺は絞り出すように声を出す。
「ごめんね」
「...なに?」
ほぼ枕もとに置いておいたケータイを開くと、時刻は朝の6時過ぎ。平均的な大学生ならばまだ寝ている時間ですね。
「言いたいことがあったのよ」
母はもう女性用のスーツを着用しており、うっすら化粧もしていた。おそらく出社前なのだろう。
「どした?」
布団を被り直し、二度寝する寸前の態勢になったが、とりあえず母の言葉に耳を傾ける。
「昨日も言ったけど私、今週の火曜日から、言うなれば明日からまた出張じゃん」
「言ったねぇ」
相変わらずの忙しさだ。俺が進学してから出張の回数はとても多くなった。まぁ仕事に対してものすごいやりがいと充実を感じているこの母親ならば、その忙しさすら楽しんでいそうだ。
「どうしてもさ、ダメだったら別に元の家に戻っても良いからね」
「あ?」
「無理にこの家にいなくても良いってことよ。佑司さんとあの子の仲があんな最悪な状態だから、やりづらいこともあると思うわ」
「あぁ」
「これは佑司さんから言われたんだけどね。君の生活を優先して欲しいから、どうしてもダメだったら、時々この家に来るくらいでも良いって」
「あ?なんで?」
「君のためだってば。あんまり関係ないことにストレス感じる必要はないのよ」
「......ん。了解」
あんまり頭も働いていない。というより寝る寸前である。
「とにかく私も同意見だから。寝てる所ごめんね」
「行ってら~」
パタパタと母が部屋を出ていき、バタン、と部屋のドアが閉まった。部屋に静寂が訪れる。
メールや電話すれば良い話なのに、わざわざ起こして俺に言ってきたのは、母の「大切なことは、然るべき場所で言わなければ意味がない」というポリシーによるものだろう。直接顔を合わせて話さなければダメなのだ。
俺はさっきの母の言葉を思い出しながらもう一度の眠りに就こうとする。
(アホ、それじゃあんたら再婚した意味ねぇじゃん)
率直にそんな事を思いながら、俺は再び眠りに就いた。