消しゴム
「なぁお前さ、最近どうした?」
大学での授業中にも関わらず、さっきから横で俺をジーっと見ていた塩田がいきなり話しかけてきた。
「ん?何が」
「なーんかピリピリしているというか、考え事してね?」
「あぁ、それは俺も思った」
塩田の隣の席に座っていた鈴木も会話に混ざって来た。
「いつものお前が持つ余裕というか、のんびりした雰囲気が最近は無いよね」
「別にいつもの通りだが」
まぁ家の事でちょっとドタバタしているが。でも別に何も負担には感じてはいない。
「今もさ、人間特有の、いや~な顔していたぞ」
塩田が両手を揉みくちゃに合わせながら言ってきた。
「人間特有?」
「あぁ、人間特有の、だ」
塩田は持っていたシャーペンを置き、椅子に背を預けながら続けた。
「例えばさ、俺が今消しゴムを落としたとするだろ?今、この授業中にさ」
消しゴムを手で持ち上げ、リフティングをするようにポンポンと上げながら言った。
「そしたら俺はどうすれば良い?」
「拾えば良いだけだろ」
「そう、そうなんだよ」
持っていた消しゴムを机に置き、ピッと指を差してきた。
「お前は今、それが出来てねぇんだよ」
「はぁ?」
何を言っているんだコイツは。名前の如く塩対応でスルーしてやろうか。
「消しゴムを落としたら拾えば良い、単純な話だ。でもな、人間ってさ、色々と考えちまうんだよ、拾っちまえば良いだけなのにさ」
間髪を入れずに塩田が続けた。
「落とした消しゴムを拾う前にさ、『何で消しゴムを落としたんだろう。落とさないようにするためにはどう対策したら良いんだろう』って考える人もいるんだ。そんな事わざわざ考えるなんて、人間だけだっつーの。挙句には消しゴムを落としてしまった自分はダメだ、なーんて責めてみたりな」
塩田は机に置いた消しゴムを持ち上げ、机の上にポロッと落とした。そしてすぐに拾った。その行為を数回繰り返す。
「人間しか考えない事を考える時の、人間特有の表情を、お前はさっきしていた。わざわざ原因を探っているような」
「あ~、言われてみればそうかもね」
鈴木が塩田の意見に同調した。
言われてみれば当てはまるような気がしなくもない。考えてしまうことはもっぱら家の事だ。母さんも佑司さんも出張で行ってしまい、あの子をどうにかしなければいけない、と無意識に焦燥に駆られているのかもしれない。
「あんま深く考えんなよ。案外、何でもどうにでもなるもんなんだ。まぁ岳が何に悩んでいるのか知らねぇけどな。何かあったら言えよ」
「塩田にしては珍しい事を言うね」
鈴木が茶化すように言う。そして付け足すように「あ、俺にも言えよ!」と言った。
「フフ、そうかもな。ありがとう」
恥ずかしいけどここは素直にお礼を言っておこう。
「おいお前ら、静かにしてくれ。聞こえねえじゃん」
前の席で真面目に授業を受けていた佐東に厳しい突っ込みを受けた。
(落としたら拾えば良いだけ、か)
胸がスッと心なしか軽くなった気がした。何気なく助けられてしまったな。そういえばずっと前に母親から、「あんたは意外と表情が分かりやすい」と言われた事がある。俺ってそんなに顔に出やすいタイプなのか。
とにかくアイツらには感謝だな。
だが、かと言って状況が劇的に変わるはずも無い。
昼過ぎにSIGNで「今日は晩御飯は家で食べる?」と奈々ちゃんに送ったが、夕方頃にただ一言「いらない」とだけ返って来たのだった。