ウイスキー&アイス
更新が多大に遅れました。お詫び申し上げます。
「ただいまー」
時刻は夕方の18時過ぎ。ようやく大学から帰って来れた。1限の講義から出た日は、心なしか疲れる気がする。
「おかえり、岳くん」
玄関に入ると、佑司さんが迎えに来てくれる。まだこの「家に帰ると誰かがいてくれる」という状況に慣れていないため、恥ずかしいというかこそばゆい。
「どうだい?大学は」
「何もないですよ。いつも通りです」
そうか、と佑司さんは楽しそうに笑う。
「佑司さんこそ今日は何をしてたんですか?」
出張は明後日からか。
「午後に少し仕事の件で出掛けていたよ。それで今は出張の準備をしていた所だね」
「そうですか。大変ですね」
なーに、いつも通りさ、と佑司さんは言った。
夜になり、佑司さんが晩御飯の準備をしている間、俺はリビングでゴロゴロしていた。いや、もちろん手伝おうとしたよ?でも「何もしなくて良い」って頑なに言われたんだよ。
だからコップを出したりテーブルを拭いたり、と雑用を少しだけ頑張った。
麻婆豆腐の良い匂いが漂い始めた所で、佑司さんのケータイがピロリロリンと小気味の良いリズムの着信音が鳴った。
テレビではドッキリ番組が流れていた。最近売り出し中の不思議系アイドルが、大御所タレントにマジ切れされるというドッキリの最中だ。
アイドルはいつもと違う現場の雰囲気、大御所の威圧感から不安げな表情を浮かべている。そのアイドルの顔立ちのがせいなのか、はたまた化粧のせいなのか、何だかその不安げな表情でさえも計算の内のように見えてしまう。あと胸がデカい。
「今日は奈々は晩御飯いらないそうだ」
料理の手を止め、ケータイを触っていた佑司さんが言った。
「あら、マジすか?」
どうでもいいアイドルから目を離し、佑司さんに目を移す。
「今のメール。友達と食べるからいらない、だって」
「...そうですか」
と、友達との用事ならしょうがないさ。ハハハ。
困ったような笑みを浮かべた佑司さんは、テーブルの上に置いてあった奈々ちゃんのコップと箸を下げた。
「今日は飲もう」
晩御飯が完成し、俺と佑司さんは席に着いた。佑司さんの手には、オレンジの色が少しだけ混ざった黒色の大きめなビンがあった。
「男同士の寂しい晩餐なんだ。こういう時は飲むんだよ」
キュッ、と蓋を外し、コップの半分ほどお酒を注ぐ。そして2リットルのペットボトルに入ってる水をコップから溢れる寸前まで注ぐ。
「ウイスキーですか?それ」
「そうだよ。安いやつだけどね」
俺のコップにもウイスキーが注がれる。ウイスキーなんて飲み会で一回しか飲んだことがない。
「俺あんまりお酒に強くないんですよ」
「うん、瞳さんから聞いてるよ」
佑司さんは穏やかに笑った。
「一口だけでも良いよ。後は僕が飲むからさ。とりあえず乾杯だけでもしてほしいな」
「あぁ、全然大丈夫ですよ」
不安な事や心配事がある時は、酒に頼るのも人生を楽しむコツだ、と聞いたことがあるような気がする。
「んじゃ、乾杯!」
テレビをチラッと見る。先ほどのドッキリをされていたアイドルは、ようやくネタ晴らしをされたようで、いつもテレビで見せる愛嬌のある笑顔に戻っていた。やはり胸がデカい。Dはありそうですな。
「あー、酔った酔った」
テンション高めの佑司さんだ。夜の22時を過ぎた頃である。晩餐を始めて3時間が経った。この人、かなり酒豪でした。絶対、若いころは実はイケイケだったでしょうね。
今日開けたはずのウイスキーはもう残りわずかとなっていた。俺は最初の1杯だけを頑張って飲み干して、あとは麦茶を飲んでいた。
「佑司さん、大酒飲みですか?」
「いや、若い頃はもっと凄かったんだよ」
いつもより少し饒舌である。
「なぁ岳くん」
顔を赤くし、ニコニコと笑ってテレビを見ていた佑司さんだったが、急に真剣な面持ちになった。
「明後日から僕も出張だけど、奈々の事、本当に頼む」
佑司さんは俺にペコリと頭を下げた。母さんと言い、この人と言い、何度も頼んで来るものだから思わず笑ってしまった。
「だから全然大丈夫ですって。何回言うんですかー」
「そうだなっ!もう暗い雰囲気はやめよう!」
またもや急激にテンションの上がった佑司さんは、コップに残りのウイスキーを全て注いだ。そしてコップの表面張力の限界と言わんばかりに水を注ぐ。
その結果、立派な酔っ払いが完成した。
「ほら、佑司さん、歯磨きしてきなよ」
佑司さんの腕を取って洗面所へ歩いていく。いつぞやの俺と母さんのようだ。誰かの世話をしたり介抱をするのは全然苦ではない。むしろ、何だかやりがいを感じる。
「洗い物...」
「俺がやっておきますから」
ほら、歯磨きして、と鏡の前に立たせる。そういえば俺が帰って来る前にもう風呂は済ませたと言っていたな。
歯磨き粉と歯ブラシをノロノロと取りながら、佑司さんは口を開いた。
「奈々は...すごい良い子なんだ。本当は優しい子なんだ...」
呟くように言った。まるで心の本音をポロッとこぼしてしまったような。
「もう分かりましたって。ほら、今日はもうしっかり寝ましょう」
佑司さんが寝静まり、ゆっくりと俺は皿洗いを始めた。時刻は23時を少し過ぎた頃だ。皿洗いを終え、テーブルを丁寧に拭き、ようやくリビングでゆっくりできた。
よーし風呂に入るか。俺は某しずちゃんとまでは行かないが風呂が大好きなのだ。自慢じゃないが温泉付きのホテルに行くと5回以上は温泉に入る。
風呂から上がりさらにリビングでくつろいでいた。もう日付は明日になりそうだ。まだあいつは帰って来ない。
(...コンビニでも行くか。アイス食いてぇ)
10月の夜は冷える。一応トレーナーを上から着たが、それでもちょっと冷える。マンションの階段を下り、徒歩5分くらいのすぐ近くにあるコンビニを目指す。
通りを歩いていると、前から奈々ちゃんが歩いてきた。ようやく帰って来た。
「お、ようやく帰って来たか」
「...何でいるの」
「コンビニ行くんだよ」
ほら、と奈々ちゃんが歩いてきた方向を指さす。ちょっと先にコンビニがあるのだ。
「ふうん」
「アイス奢るから一緒行こうぜ」
「良いの?」
「全然いいよ」
「...じゃあ行く」
二人でコンビニへと向かう。
「どこで遊んでたの?」
「言う必要ある?」
きっぱりと返された。
「すまん」
会話が終わってしまった。とほほ。
「...友達とカラオケ行ってファミレスで喋ってきただけ」
「そうか」
終わって無かった。珍しく返事を返してくれた。
コンビニでアイスを買い、帰路に着く。ちなみに俺はバニラ味のカップのアイスを買った。奈々ちゃんはあずきバーを選んだ。
「もう今食べる?」
「うん」
袋からアイスを取り出し、ほいと手渡す。それを受け取ると、もそもそと食べ始めた。しばらく無言のまま歩き続ける。これで話すのは2回目だが、不思議と気まずい感じは無い。むしろ何だか落ち着ける。この子あれか、そういうタイプの人間か。
そういうタイプの人間とは、一度知り合ってしまえば気を使う必要の無い人の事だ。飾ることもなく反応も素なので、こちらも頑張らなくていいのだ。例えば俺の知り合いでいえば佐東なんかもそういう人間に当てはまる。
「あ、そういえば」
マンションに着く直前に思い出した。危なかった。ド忘れしていたわい。
「SIGN交換しておこう」
軽く説明すると、『SIGN』とはケータイのアプリの事で、無料でメールや通話ができてしまうのだ。さらにオリジナルのスタンプや、画像や動画も会話で送信できてしまうという、なんとも画期的な素晴らしいものなのだ。
佑司さんも出張でしばらくいなくなってしまうし、これからは二人で連絡を取らなければならない事もきっと出てくると思う。
奈々ちゃんが食べていたあずきバーはもう半分を食べきっていた。訝しげに俺を見た後に不機嫌そうにケータイを取り出した。
「んじゃQRコード見せて。俺の方で読み取るから」
「ん」
「...ほい、オッケー」
出てきたアカウントを友達に追加する。デュフ、かわいいJKのアカウント、デュフ、デュフフフ。
(ハッ!何だ俺は!こ、こんなの何とも思ってないさハハハ。そう俺はもっとこう、年上で色気があって...)
「...アイス、ありがとね」
不機嫌そうな表情から一転、少し笑いながら俺に言ってきた。そしてあずきバーをもそもそと食べながらゆっくりとマンションに入って行った。
俺も何とか歩き始める。
(前言撤回。JKはよき)
母さんだけでなく佑司さんも出張でしばらく会えなくなる。そしたら家には俺とこの子だけになる。
(俺がしっかりこの子を気にかけてやらないと。母さんや佑司さんの為にも)
この子との二人での生活の始まりは、もう目の前だ。