よき
「ふあ~あ」
翌日の火曜日。今日は母の出張日である。朝6時過ぎ、見送りのために俺も今日は早起きしたのである。
「来週の金曜日に帰って来れそうだったら帰るから」
「了解。札幌のお土産に期待してるね」
眠い目を擦りつつ、俺は母に言った。今回、母は北海道に出張なのだ。
「アハハ。いっぱい買ってくるわ。佑司さん、頼んだわよ」
「あぁ、気を付けて行ってらっしゃい」
「て言っても木曜日には佑司さんも出張に行っちゃうんだけどね」
母は笑いながら言った。そうなのだ。明後日の木曜日には佑司さんも出張なのだ。
「岳も頼んだわよ。でもあんまり気負わないでよ」
「大丈夫だって。任せとけ」
マンションの前にはタクシーが停まっている。タクシーに乗って母は駅まで行くのだ。
「じゃあ、そろそろ行こうかしら」
「行ってらっしゃい」
「瞳さん、体調に気を付けるんだよ」
「はいはい、ありがとう。じゃあね」
タクシーまで荷物を佑司さんが運ぶ。荷物をタクシーの中に入れ、母さんも乗り込む。
なんだか雰囲気がしんみりしているな。俺と母さんだけの時はもう少しサバサバしたお別れだったような。お別れっていうわけでもないが。
「じゃあ行ってきます。あんた達、家事はしっかりやるんだよ」
母がタクシーの窓を開け、笑顔で手を振って来た。
「頑張りまーす」
俺も適当に返事をしながら手を振り返す。
「行ってらっしゃい。本当に気を付けるんだよ」
佑司さんも手を振り返す。
そしてタクシーが走り出した。
「よし、僕らも準備しないとね」
母さんが乗るタクシーが曲がり角を曲がり、姿が見えなくなるまでしっかり手を振り続けた佑司さんが爽やかな笑顔を向けて俺に言った。
早起きしたのは見送りのため、というのが第一の理由であるが、今日は授業が1限から入っている。早起きしたついでに仕方ないから1限に出てやろう、と俺は思っている。
早起きもたまには悪くないのかもしれない。いや、普通に気持ちいい。
「あ、もしもし佐東?やぁやぁおはよう」
母を見送ってから、俺は自分の部屋に戻り、火曜1限の「哲学」の授業の教科書をダラダラと探しながら佐東に電話した。
「なんだよ岳」
「俺、今日は哲学受けるから」
「なんだ、今日は桜でも咲くのか」
「10月に桜が咲くわけないだろ」
「それほど俺は今驚いているってことだよ」
佐東は俺ら4人の中で唯一の良心というか、とにかく真面目な奴だ。1限に授業が入ってても「眠い、ダルい」なんてことは一言も言わない。まるで当然のように授業を受ける奴なのだ。
「だからさ、今日は俺が哲学のノート取っておくから、佐東はゆっくりしてなよ」
そう、これは俺のささやかながらの気遣いだ。塩田が1限に出ないのはもはや常識的なことではあるが、俺は滅多に1限に出ない。出ないというか出れない。
鈴木は時々1限にも出ているようだ。女のことばっかだと思っているが、意外とやることはやる男なのだ。
「え、いいの?」
佐東は素っ頓狂な声を上げた。
「あぁ、いつも出てもらっているからね」
1年の時にフル単で行けたのは、佐東が毎回しっかり授業に出てくれて、ノートを綺麗にとってくれていた部分もあったのだ。
「ありがたいけど、特にする事も無いし、授業には出るよ」
「いやいや、たまには休んどけって。何か良い事が起こるかもしれない」
「良い事?」
佐東は不思議そうに聞いてきた。
「例えば良い出会いがあるかもしれない」
「出会いかぁ」
佐東は、さほど興味は無いようだ。
「それこそ、いきなり美女がやってきて、『どうか私たちの世界をお救い下さい』なーんてこともあるのかもしれない」
「アハハ、それはいいね」
「とにかく良い事が起こるから、たまには休んどきなって」
「うーん、でもなぁ」
「いいからいいから。じゃあね」
渋る佐東を、俺は無理やり納得させる形で電話を切った。
さて、これで良いだろう。
「哲学」の教科書を何とか探し出した俺は部屋を出た。1限は8時30分から始まる。今の時刻は7時半を過ぎたくらいだ。まだ余裕はある。
リビングへと足を運ぶ。
リビングでは佑司さんが洗い物をしていた。そして奈々ちゃんがソファーで座っていた。足を組みケータイをいじっている。いつの間に起きてたんだ。
てか現役女子高生の制服姿は可愛い。あれ、この子の行く織田高校ってブレザーなんだっけか。ブレザーはよき。でもスカート短かっ。今時のJKは太ももをチラッと見せるのが流行っているのか。絶対寒いね!
奈々ちゃんは大きめの黒いカーディガンを羽織っていた。そのルックスと髪色からか、とてもよき。可愛いとしか言いようがない。
はっ、俺は何を考え込んでいるんだ。
「おはよーう」
家の中に女子高生がいるこの現状に複雑な感情を覚えつつ、俺は朝の挨拶をした。
「...はようございます」
ケータイから目を離し、奈々ちゃんが顔を上げた。そして少し遅れて返事がやってきた。そのまま奈々ちゃんは俺をしばらくガン見してくる。
(なに?怖い怖い)
俺はその視線にビビりながらも気付かない振りをしつつ、台所へ行き冷蔵庫を開けた。
俺の顔を見てるというよりは俺の姿を見ているようだ。服装を見てるのか?
ちょっとしてからまた奈々ちゃんはケータイをいじり始めた。
何だったんだ。まぁどうでも良いか。俺は冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出し、蓋を開けた。
「...行ってきます」
奈々ちゃんが立ち上がり、足元に置いてあったスクールバッグを肩に掛けた。
「あれ?奈々、朝食は?」
洗い物を終えた佑司さんが驚いた様子で聞く。俺と佑司さんは先に朝の食事を済ませていたが、母さんが朝食を作ってくれていたのだ。もちろん彼女の分も用意してあった。
「いらない」
「待つんだ。瞳さんが奈々の分も作ってくれていたんだし、朝食はしっかり摂らないと...」
「だからいらないってば」
「おい、奈々!」
そのまま奈々ちゃんは玄関の方へ消えていった。慌てたように佑司さんも追いかけて行った。俺はどうしようも出来なかった。
朝食くらい食べていけば良いのにねぇ。お世辞抜きでも母の料理は美味しいのだ。
どうやら奈々ちゃんはそのまま家を出てしまったらしく、佑司さんが少し怒った様子でリビングへ戻って来た。
「岳くん、朝から申し訳ない」
「あ、いえ、俺は全然大丈夫ですけど、佑司さんこそ大丈夫ですか?」
「はは、僕は大丈夫さ。こんなことはしょっちゅうさ」
どうも大丈夫じゃなさそうに見える。
「奈々の分は冷やしておくか」
笑ってはいるが途方に暮れた様子の佑司さんを尻目に、俺も大学へ行く時間がやってきた。
「佑司さん、僕も行ってきます」
「あぁ、気を付けるんだよ」
「はい」
大学への道のりを歩きながら、俺は島津家の事を考える。
明後日には佑司さんも出張でいなくなってしまう。果たして大丈夫なのだろうか。
(でもあの子、反抗期というよりは拗ねているというか、強がっているようなだけな感じがするんだよなぁ)
しばらく歩き大学に着き、「哲学」の教室へと行く。いつも座っている席へ近づくと、今日はいないはずであった佐東がなぜか座っていた。
「良い事が起こる、って言われてもさ」
俺に気付いた佐東が口を開いた。
「授業に出る事そのものが俺にとっては当たり前だけど『良い事』なんじゃないか、って思ってさ」
あ、そうでしたか。
読んで下さりありがとうございます!
投稿が遅くなり申し訳ないです。