50.幼馴染みの想い
楽しかった。たった半月ほどの幸福な日々。
いつも四人一緒だった。
梓が、異性だと気付いたのもあの頃。
自分の想いなど、叶わなくてよかった。ただ幸せになって欲しかった。
それだけだった。
「ねえ、紫。どうすんの」
ベンチから立ち上がって、梓は言う。
「何が」
不機嫌なことを隠さずに、紫が訊く。本当は判っていた。判っていたからこそ、紫はこの話をしたくなかった。
「円ちゃんのことよ!」
梓もまた、怒気を顕に紫に詰め寄る。紫が判っていながら、話を逸らすのを許すわけにはいかない。「あんた、忘れられたままで良いの?」
「円は忘れている。それを無理に思い出させることは出来ないだろ」
「そうじゃなくてーー」
「どうでもいい。俺は人を殺した。それは事実だ」
「別に、あれはあんたのせいじゃない。事故だった。避けようがなかった。死んだのが、あんたじゃなかっただけ」
「そうして、俺は生き残った。その事実だけが確かだ」
「あんたが不幸になることなんか、望んでなかったよ、絶対」
梓は一旦、深呼吸して目の前の大馬鹿な幼馴染みに、静かに告げる。
「円ちゃんの幸せを、願っていたよ」
紫は何も言わなかった。紫に、幸せになれと言ったところで、この男が素直に頷くわけはない。死んだその人が、紫の幸福を願っているとしても。
でも、円のことなら違う。紫が、自分が不幸にした少女だと思っている相手。今はもうこの世にいない人が、円のことを紫に託したかったこともまた、事実である。そう梓は信じている。
この十年、常に紫と梓の話は平行線を辿った。
会えば、常にこの話になり、その度に喧嘩になった。幼い時に出会い、誰よりも親しい友人だったから、互いの考えていることは誰より分かっていた。だが、互いに自分の考えを曲げる気はなく、相手を説得しようとして、毎回失敗していた。
「俺のことなんかどうでもいいだろ」
いつものように、紫が話の終止符を打とうとする。だが、梓もこればかりは譲れない。灯に戻ろうとする紫を、精一杯、後ろから睨み付ける。紫なら、それだけで分かる筈だ。好意には疎いが、敵意には敏感だ。彼の親とは異なり、孤児であることも、金の髪も、彼にとっては常に汚点だった。認める人など、そういなかった。今現在だって、周囲を気にしている。
十年前の彼らを除けば。
だが今、灯の人たちはそんな彼を受け止めている。ひょっとしたら、彼を変えてくれるかも知れない。そんな望みを梓は抱いていた。
ーーねえ、碧先生?
青い空を見上げ、まるでその空のような、敬愛する恩人の顔を浮かべる。
ひょっとしたら、いつか現れるかも知れねえなあ。
そんなことを言っていた。妙に確信めいた口調で。
私には無理だったからな。
碧先生は、紫によく似ていた。愛情深いくせに、示すのが下手くそで。常に凛として、なのに愛されることに、いまいち自信がなくて。一生独身を通して、男なんかもういいや、とか言って、そうして、沢山の子供たちを育て上げた。
名前をとった紫の親も、そんなところ似なくても、と苦笑してるかも知れない。
ーーだからこそ。
だからこそ、紫には諦めてほしくなかった。
紫に対して、梓は別に恋愛感情とか、そういうものを抱いているわけではなかった。それでも大事な、かけがえのない存在だった。
紫には、円と向き合うことで、彼自身と向かい合って欲しかった。
円がこんなに近くにいる。このままで済む筈はないだろう。何がどう変わるのか、梓にも判らない。
でも、どうか、紫と円にとって良い変化となって欲しい。
今となっては、それだけが梓の願いだった。
ーー人の気も知らないで。
梓の怒りを背中に受けながら、紫はそれに反映するかのように、腹が立っていた。
十年前のあの日以来、梓は自分の幸せなど後回しにして、紫のことを気にかける。だが、それが紫には腹立たしかった。
梓が女性だと気が付いた頃から、紫は彼女の幸せを願ってきた。それ以前から、ずっと大事な存在だった。自分の想いなど後回しに出来る程。
梓には自分の幸せを掴んで欲しかった。梓は自分に対し、恋愛が不器用だとよく言うが、梓本人も大概で、子どもの頃から好きな相手には素直じゃなかった。女の子にも男の子にも愛想が良く、すぐに仲良くなるが、好きになった相手にはむしろ喧嘩腰で、わざと友達のように振る舞っていた。
十年前も、円とはすぐ仲良くなったが、あいつとは、むしろ結託して俺を構っていた。
紫だって一時は自分の恋愛が叶うのではないかと夢想したこともあった。彼女も同じ気持ちだと。
あの日諦めた筈だ。なのに十年前の幸福な日々を思い出すと、今でも感情がぐらついてしまう。
今更叶うと思う方が間違っているのに。最愛の少女からこれ以上もない程、奪っておいて。
それでもまだ、未練があるなど。
綺麗な女性となった初恋の少女に、再び惹かれていることなど。
絶対に、知られてはならない。
今、紫に出来ることは、自分の想いを梓に隠し通すことだった。
だが、紫は分かっていた。梓に対してそんなこと、不可能だと。
それでも、素知らぬ振りしてやり続けること。それが今、二人が出来ることだった。
紫と梓のような関係が好きです。恋人同士でも、ただの友達でもない。自分の恋愛感情など後回しにして、相手の幸せを願える。だからこそ、こういう時もどかしい。
上手く書けているか、心配ですが。
将来それぞれ結婚したとしても、長く付き合っていって欲しいです。