49.幼馴染みの話
梓が、女性だったと気が付いたのは、いつだろう。
子供の頃からずっと一緒で、友達というより、兄妹みたいな。
ずっと、そんな感じだった。
「良い人たちじゃないの、灯の人たち」
梓が、満開の桜の下を歩きながら、紫に言う。「気に入ったわ、私」
紫はそれには答えず、「ちゃんと前を向いて歩け」と、注意する。何しろ、梓は「歩く」どころか、ほぼスキップ状態で、紫の前を文字通り、浮き足立って進んでいく。振り返る時も、後ろ向きで進んでいるものだから、紫としては、気が気でない。だが、梓は紫の言葉も態度も気にせず、そのまま、人の多い通りを進む。
あの後結局、灯で昼食までご馳走になった梓と紫は、「それじゃあ、お二人で後はごゆっくり」などと、どこかのお見合いみたいなセリフで雅に送り出された。「楓の桜が今見頃だよ」などと言われ、何を言ってんだ、と思ったら、灯の目の前にある公園の名前が「楓」だった。
「それにしても、綺麗な桜ねえ」梓がもう何度目かよく判らない感想を言う。「あんた、こんな大きい公園知らなかったなんて、もったいない!」
紫は桜を眺めつつ、梓を無視する。もちろん紫だって、灯の真向かいに公園があることも、桜が咲いていることも知ってはいたが、名前も規模も知らなかった。今現在、初めて入って、その規模に驚いているところである。道理で最近、休みの今日を始め、普段から準備する弁当の量が多かった訳だ。
「空いてる! 座ろっ」紫もいい加減座りたくなってきたが、梓が空いてるベンチを見付けて勝手に座る。同じ距離でも運動量は、飛び回っていたに近い梓の方が、圧倒的に上だろう。紫もその隣に座る。梓が先導し、紫がその後を仏頂面でついて行くのは、子供の頃からだった。
「酒でも持って来れば良かったわ」
「まだ飲む気か」
会話の中身は大人になった? が、そのテンションも変わらない。出会って約二十年。男女の別なく一番親しい友人だった。
そして、互いに互いの想いを知っていた。
それが、互いにどうにもならないことも。
紫と梓が出会ったのは、紫が五歳で、一つ下の梓が四歳。紫の両親が亡くなり、養護施設『みどりの家』に引き取られた頃だった。実は『みどりの家』は、保育園も兼ねていた。
それだけでなく、妙子先生が勤める産婦人科や小児科の病院まで揃っていた。碧先生は保育園にも顔を出していたため、梓や梓の母親とは、元々知り合いだった。梓の母親は結婚せずに娘を育てており、その保育園に梓を預けて、働きに出ていた。だが、その母親も、梓が六歳の時に亡くなり、梓の父親は不明であったため、碧先生の最終判断で、養護施設にそのまま引き取られたのだった。
それらの事情は、灯で昼食を食べながら話していた。
昼食時に話す内容でもなかっただろうが、紫のことで免疫でもついていたのか、彼らの食欲が旺盛すぎるのか、むしろ質問と説明が飛び交う、賑やかな食事風景となった。
雅がその最中、深刻な表情をしていたが、紫も梓も、それがある意味普通の反応であり、雅なら、気に病むだろうと思い、雅がその話を聴きながら何を考えていたのか、全く思い至らなかった。
それよりも、何よりも。
「円ちゃん、ほんとに覚えてないんだね」
何気ない調子で梓が言う。本当は真面目な話であることは、紫にも判る。判るから、適当な返事は出来ない。
「……ああ。都さんが亡くなった頃の記憶は曖昧だと、前に言っていた。俺らがその場にいたことも覚えてないな」都。南雲都。十年前に亡くなった円の母親。円は、紫や梓がその名前を知っていることすら知らないだろう。
「無理もないね。あの頃じゃあ、ね」
「絶対に許さないから」十年前、そう紫に叩きつけた。今、紫に笑顔で接するのは、忘れているから。
「この間、円の叔母さんが訪ねてきた」
「やっぱり、来たか」
「雅が追い払ったけど」
「ほう! 流石」
梓の反応に、紫はため息をつく。
「……円には、何が何だか分からなかっただろうな。叔母さんの方は、円に覚えてないのって詰め寄って。でも、まるで考えないようにしているみたいだった。叔母さんもそれ以上何も言わなかった」
あの日、円は名字を偽っていたことを謝っていた。でも、自分の叔母が訪ねて来た理由は考えていなかった。普通なら、何故紫を叔母が責めるのか、気になるだろうに。
そうだろう、と梓は思った。円が忘れた原因は十中八九、紫にある。紫が消える前後から、円はおかしくなった。そして紫に繋がる自分も円の傍にいてはならない。そう思って、後を円の叔母夫婦に託した。
「でも、何で叔母さん、円ちゃんを追い出したんだろう? なんか、叔父さんを取られるとか何とか言ってたけど」
「はあ? 取られる?」
「何かそんなことを……。あれは酔っ払ってるから、って感じじゃなかったような……」
「取られる、って、取られるだよな……」
円の叔父について、二人とも詳しく知っている訳ではなかったが、父親のいない円をとても可愛いがり、それはまるで、実の親子のようだった。孤児の自分達にも、いつも優しく、時には一緒に遊んだりしてくれた親切な大人だった、という印象がある。
もしかしたら、自分達が気が付かなかっただけで、あの頃から彼女の叔母は、円を警戒していた? そう言われれば、思い当たる節もある気がしてくる。
だが当時は、円の叔母もそんな言いがかりをつけるような人ではなく、円に対しても、ごく普通に可愛いがっていたように見えた。
自分達に対しても、普通に、姪や息子の友達として付き合ってくれた。孤児として、特別視する親もいたから、むしろ優しいおばさんだった。
もし何も無ければ、今でも。
梓も、灯で語ろうかと思いましたが、雅にまた邪魔されそうなので止めました。おかげでいきなり場所が変わっています。
「みどりの家」は、病院、養護施設が一体となって出来ました。その設立の重要人物、須藤さんの話を飛ばしてしまいました。千歳はまだまだ先ですが、須藤さんは早く書きたいです。