48.受け継がれたもの
見たかったものがある。
永遠に、見られなくなったもの。
それを見ることが出来たなら、独りでも歩くことが出来ると思った。
まるで夜が明けて、朝日を浴びたかのように。
ーーあのときと同じように。
全員、沈黙した。
紫は仏頂面をいつも以上に浮かべて、梓はしたり顔をいつも以上に浮かべて、残り三人の視線を受け止めていた。
司がおもむろに手を伸ばし、そっぽ向いた紫の頭に触れる。乱暴にしたら今度は、それが、取れるのではないかという風に、そっと。
「金髪だーー」
普段とはかけ離れた、まるで神々しいものに対するような司の声音。円や雅も、声を出したらその神々しさが消えてしまうんじゃないか、というように、声が出せないでいる。
そっと雅が、紫の傍にあるものを拾い上げる。先程、梓が紫の頭から取り去ったものだ。「よく出来ているねぇ。まるで覆いみたい。中にある大事なものを隠しておくやつ。黒いからそう思うのかな」
まるで雅が、その「覆い」すら大事なもののように扱うのを見て、紫は、顔をしかめる。
「俺はこの髪が嫌いなんだ。それで黒く染めようとしたら、ばあちゃんに怒られた。それは俺の祖父と父から受け継いだものだ、って」「……そう」雅の相槌の中に、残念な気持ちが混じっていることを感じ取って、紫は罪悪感を感じる。碧先生は、怒ったから、怒鳴り返した。雅に対しては、どう接して良いか判らない。
「俺の祖父は外国人なんだ。金の髪に青い目。若い頃日本に来て、その後祖母と結婚した。二人の間に生まれた父は、髪の色だけ祖父から受け継いだ。さっきも言ったが、祖母とばあちゃんは親友同士だったから、祖父のこともよく知ってて」
梓が後を継ぐ。「だから碧先生は、若くして亡くなられた彼らのことをよく話してくれたんです。お父さんも紫と同じく金の髪で黒い目。でも性格は紫とは対照的。金髪も孤児だってことも、そういう「汚点」になりそうなことすら、強味に変えて。学生時代は結構モテていたって」
「何ソレ! 羨ましい~」司の妙なテンションを、雅は、冷めた目で見て、「お前だって利用して、同情買おうとしていたじゃないか。ま、それで付き合っても、長続きしなかったけどな」司だって、親が分からないという汚点を持っている。
「ふーん?」梓は、そんな司を雅以上に冷めた目で見て、「それで、お祖父さんもそういう性格だったんですって。外見と合わさって、紳士そのもの。日本人より、日本語が流暢だったんです」スルーして、話を戻す。「紫は貧乏クジを引いたな、と。性格において。そんなものに頼って、さ」と、梓は回り回って、今は円の手にあるそれーー黒髪のカツラを横目で見つつ、「金髪を隠すと、碧先生が悲しむからって、せめてカツラ被って」「怒るからだ! うるせーんだよ、腹立つ」
碧先生と離れた今でも、髪の色を変えなかったところに、紫の性格が解る。「ほんと、性格、碧先生そっくり」「どこが!」
「似てるの?」司が身を乗り出す。「そっくり。過ぎて、碧先生自身がため息ついてた。何も自分に似なくても、って。似てると言うと、渋い顔して認めてた。それほど似てたから、もう、亡くなられましたけど、紫と話していると懐かしいわ」「亡くなられたんだ」雅が呟く。意外でもないが、それにスルーは出来ない。「ええ、二年ほど前に。七十七歳でした。病気で、先生らしくさっさと。最後まで紫を気にかけてましたね」「嘘つけ」紫が口に出すことも嫌なように、吐き出す。紫は、とうに碧先生のことを知っていたのだろう、と雅は思った。
「本当よ。碧先生、あんたに渡したいものがあるって、私に託していったんだから。あんたのお母さんの遺品」
「遺品?」口を挟んだのは、司だ。
「そうです。ずっと碧先生が保管しておいたんです。まだ小さい子どものあんたじゃ、駄目だったから」
「一体、何が駄目なんだ。写真とかならもう貰ったのに。まだ「何」が、あるんだよ」相変わらず、紫は喧嘩腰なのに、雅にはその時紫は、泣いているように見えた。「確かに、何があるんだろうねえ」そんな紫の様子に気付いていないフリを通して、話を促す。「もう貰ったんでしょう? 大体のものは」「ああ。親が大事にしていたものとかは。遺品の話は俺も聞いたことあったけど、何なのかは、教えてくれなかった」「ふーん」「ただ……」「ただ?」「……その時、まるで……忌々しいことでも話すみたいだった」
そうか、と雅は思った。紫はそれが何か、知りたくないんだな。大人になってからでしか渡せないもの。きっと、それは紫にとって、良いことではないから。
「お母さんの遺品」。その言葉が何よりそれを語っている。「ご両親の」ではない。良くない噂が流れた、紫のお母さんにまつわるもの。それを知っている碧先生が忌々しいと、感じるもの。
「大丈夫だよ」雅が言う。
「大丈夫」
だって、彼の親は感謝していた。妻の両親は恩人だって。
その時は聞き流した言葉。でも僕はそれを信じる。
紫の金色の髪を撫でながら、自分の親を頭に浮かべつつ、雅は思う。
だからきっと、それは、紫にとっても大丈夫なもの。
やっと紫君の金髪が書けて、嬉しいです。当初は、梓が酔って寝た(笑)紫から奪うという。
お陰で、金色が全部隠れて、なおかつ違和感が無いという、便利すぎるかつらに。
この後も出て来ます。一番の出番は、「お母さんの遺品」が登場する少し前かな……。
紫君、ああだからそれを見るの、当分先の話ですね。