46.その始まり
「じゃあ、雅さんって碧先生に似てますね」
「え、似てる?」
梓が司に、雅との出会いから始まる「灯」の起こりについて聴いた後、ふと呟いた。過去の回想から我に返った雅はあまりの言葉に素で驚いた。「だってみどり先生は、何百人もの大勢の子供たちを育てた人でしょう。僕なんか全然」特に、紫の両親を、そして紫を育てた人。
その台詞に円と司は驚いて雅の顔を見る。「じゃあ、みどり先生って……」
梓は大きく頷くと、「似てます。碧先生もそういう人でした。紫のお父さんとお母さんを育てると決めて、「みどりの家」を建てたんです」「だから……」「だって雅さんは、沢山の人に料理を、差し出したんでしょう?」「それは……その始まりは……」雅の抵抗など全く受け付けず、梓は続ける。「碧先生は沢山の子供たちに場所を差し出したんです」
ーーだからその始まりは。
「私を今の私にしてくれたんです。お二人が」
ーーそうだ。
雅がそう思ったのは、梓に同意したからではない。
その言葉を聴いた時、雅はある事実を自覚したからだ。
「違うよ」
危うくその事実を告げそうになった。ーーその顔に。
「僕は、形にしただけだから」
「碧先生が養護施設「みどりの家」を建てたきっかけは、皮肉にも、ご友人が亡くなられたことがあったみたいです」梓が雅の言葉をただの謙遜と受け取ったらしく、「みどり先生」が、「みどりの家」の創設者だったこと、紫の両親もその「みどりの家」の出身だったこと、等々話していく。「そのご友人というのが、紫のお父さんのご両親だったらしいんです」
「ばあちゃんは昔、何だっけ、「sengou」だっけ? そんな会社で働いていたらしい」紫が渋々といった様子で補足した説明に司も円も目を丸くする。
「sengouってあれじゃないか? あの県内に本社がある有名な菓子企業の」「あの、チョイスチョコとかだっけ? 菓子パンもあったよね?」県内ではメジャーな企業に、司はもちろん、円も酔いを忘れたように、代表的な商品名を挙げている。「あー、そうだっけ」「あんた、あんまり菓子食べないもんねえ。企業名なんか見ないか」
梓が紫を見てため息をつく。
「ふん。とにかく、そこを辞めて、そんなに経たなかったらしい。親友が死んだのは」むくれながらも話の続きをするのは、さすが紫である。司たちもこんな内容でなければ笑っていたかも知れない。
「元々、ばあちゃんと、俺の父親の母親はーーああ、つまり俺の実の祖母ってことになるな。とにかく二人は親友だった。男勝りのばあちゃんと、身体が元々弱かった祖母の関係だったが、逆に良かった。いざとなれば、祖母の方が精神的に強かったそうだ。短命だったのは分かっていたから、怖いものなしって感じだったそうだ」
紫は一息つくと、「ばあちゃんは高校卒業と前後して唯一の肉親だった父親が死んで、田舎からこっちに出て来て。すぐ、同じく身内のいない祖母と仲良くなって。父の父親とも親しくしていたそうだが、父が産まれてすぐ他界して。祖母は一人で父を育てることになった。そんな頃、祖母が頼ったのが元々の知り合いだったという、産婦人科の医者だった」
「妙子先生と、碧先生は呼んでいらした。仕事を辞めた碧先生は、その人に頼まれたんですって。養護施設を運営してくれないかと」
「捨て子が少なくなくて。その妙子先生は、そういう活動もしていたらしい。その一人が俺の母親だったわけだが。妊娠して、独りぼっちで転がり込んで来て、散々世話になった女が、娘を産んですぐに消えた。元々捨てるつもりで産んで、放り出した、その母親を直に見たばあちゃんは、妙子先生の頼みを断ることができなかった。断ったところで、無職のばあちゃんは、その先なんか考えてなかった訳だし」
「むしろ、どうして、前の職を辞められたの? sengouなんて、立派な会社」円が痛む頭を傾げる。
「だからじゃねえの」紫が円よりひどい二日酔いに耐えているような仏頂面で答える。「合わなかったんだと」「なるほど」
「体調を崩されていたそうです。仕事で無理をされたのか。丁度、真夏で夏バテもあって。それでちょうどその頃、妙子さんの方にそういう話が出ていたんだって。「KWS」って言うんだけど、懇意にしていた慈善福祉団体がお金出してくれることになって。で、養護施設自体の代表者を探しているところだったんだって」
「それでばあちゃんが代表者になって。父の母親も亡くなって、父一人残されて。どうせ父を施設に預けるか、自分で育てるか、ならって。そういうのド素人だったから気が引けたらしいけど、それで、何とかなったんだから、向いていたってことだろ。少なくとも、sengouの社員よりも余程。……ってばあちゃん本人が言ってたな。元々エリートのタイプじゃねえからな」
「で、施設の名前 、自分の名前から「みどりの家」って付けて」
「そう言えば、みどり先生の本名って? 名前の漢字は?」
さすが司も雅の息子だと、紫は思った。
「中辻碧。こう書く」と、紫が適当にテーブルに指で文字を書いていく。「ああ、王、白、石と書く『碧』か」「そうそう」司に応じた紫はふと首を捻り、「そう言えば、同じようなことをばあちゃんも言ってたような。自分の『みどり』は、王、白、石って」「へえ」「まあ、施設の表記はひらがなだが。greenの緑と掛けた意味もあって」「成程」
雅はずっと黙って聴いていた。
「みどりの家」
いかにも養護施設らしい名前だと思ったが、そんな理由があったのか。10年前、ただ聞いただけの名前に、そんな縁があるとは思わなかった。もし、あの家を訪ねていたならば、紫に逢ったかも知れない。ーーそして梓にも。
ーーKWS。こんな所で聞くとは。
だが、雅が黙って聴いていたのは、感慨に耽っていたからだけではない。妙な違和感があったからだ。
司も円も、紫と梓が養護施設出身だと聞いても、驚きが薄いのだ。いくら二人とも親に恵まれなかったとはいえ、まるで、初めて聴く話ではないような。
ただ二人とも、忘れているだけのような。
雅さんの話をこのままーーと思ったら、碧先生の名前も職業も司たちに紹介していないことに気付いて。いや、そこ先だよね、と。ついでに、もう少し後で書く予定だった、みどりの家の始まりも。雅さんの彼らに対する思いが強くて、引っ張られそうです。
肝心の紫の両親の話が出来ません。
と言いつつ、次回も彼らの話になりそうです。