41.五人目、登場。
大事な、大事な、人。
絶対、絶対、幸せになって欲しかった。
それを奪ったのは、俺だった。
「二月も半ばを過ぎた頃だった。未だ寒くて。春が近いとかあまり実感無かったけど、花粉はもう飛び始めて。そんな頃」
紫はぽつぽつと話し出した。それは雅に聞かせているというより、どちらかと言えば独り言のようだった。
「……友人と二人でぶらぶら歩いていた。買い物……だったのか。よく覚えてない。いつもそいつに付き合わされて、あちこち連れ回されていたからな、あの頃」
あの頃。いつも一緒にいた。子供だった頃を思い出すと、いつもあいつがいる。独りでいるといつも構ってきた。
「それが、俺の日常だったんだ。あの日まで」紫は少し、間を置く。遠く過ぎ去った日々を懐かしんでいるように。
「……どんな子だった? その子」しばしの沈黙の後、雅が尋ねる。
うつむいていた紫は、ふと上を見て、「……そうだな。明るくて。俺とは違って。何しろ、すごいばーちゃんに懐いてな……。周りから一種尊敬されてたわ。そういう意味で俺と合わなくて、いつも嫌だと言ってるのに、強制的にばーちゃんとこ、行かされたりして」
雅は聞きながら、妙な違和感を持っていた。ずっと思っていたが、もしかして紫は……。
「今頃、どこでどうしているんだか」
紫は、ここで初めて、雅の方を向いた。その顔には苦し気な表情が浮かんでいた。「あれ以来、まともに会ってないから」「……全く?」「……いや、そうじゃなくて……」
紫は言葉を濁した後、再び雅に背を向け、「とにかく、そんな感じで歩いていたら、目の前で……人が倒れてた」
「え?」
それまで、静かに相槌を打つだけだった雅が、声を上げた。大きな声ではなかったが、その声をきっかけにしたように、紫は再び雅の方に顔を向けた。
ーーああ、俺はなんて事をしたんだろう。
それが、紫が後に命を奪うことになる相手との、初めての出会いだった。
ーーコンコン。
静かな部屋に控え目に響くノックの音。二人がそちらに顔を向けると、恐る恐るといった様子で、扉が開く。「紫……ちょっと良いか?」
紫が目を丸くする。「何だ、司か……。誰かと思ったぞ……。珍しく控え目だな」
司がちょっと笑い、「失礼だな。俺はいつも謙虚だぞ。それより紫、お前にお客さんだ」「客? 俺に?」紫も司の口ぶりに苦笑を返しつつ、司の後から部屋を出る。
二人から少し間を置き、雅も部屋から出る。だが、そんなに行かず、紫の背中にぶつかりそうになる。元々そんなに広い店ではないが、雅は少し眉をひそめる。「紫君?」
だが、紫は雅には反応を示さず、微動だにしない。いや、雅に対してだけではない。紫はただある一点を凝視したまま、動かない。
雅は紫の前を覗き込もうと身を乗り出す。そして、思わず声に出しそうになり、慌てて口を抑える。
ーーそんな馬鹿な。
雅の視界に写ったのは、円と同じ年頃の若い女性。ショートカットの茶髪で、服装の雰囲気も(雅にはよく分からないが)いかにも活動的な印象を与えるものだった。円とはタイプが違いそうだが、いかにも気が合うようで、円と楽しそうに会話していた。
そこへ合流した司が割り込んで、雅の方を見ながら話している。すると、その女性が雅の方へ笑顔で駆け寄って来る。
そんな光景を眺めながら、雅は思わず声を掛けそうになった。
ーーキョウ。
有り得ない。居る筈は無い。最後、どんな表情をしていた? 互いに憎み合い、酷い別れをした。もう二度と会わないと、互いに怒鳴った。最初は、あんなに気の合う相手はいないと思ったのに。毎日一緒にいて、互いの幸福も後悔も、何でも話していたのに。いつの間にかすれ違っていた。
あれ以来全く会っていなかった。
だが、雅は知らない。自分自身の運命を。
何とか笑顔を貼り付け、全くの第三者の風を装う。その行為をするのは三回目だ。気に食わない客相手より余程難しい。
ーーまさか「三回目」が訪れるなんて。
一回目、免疫も無く倒れてしまい、相手に不審がられた。二回目は、会えた喜びを全面に押し出せば、それで良かった。三回目……今回は?
ふと、紫を見る。そうだ。今の問題は自分じゃない。そして永遠に、自分は問題にならない。
それで良い。そうだろう、キョウ?
ーー梢さん?
その女性は、にこやかな笑顔で雅に挨拶する。
「初めまして。東條梓と申します。都築紫の……まあ、幼馴染みです。店長さんですよね。お世話になっております。よろしくお願いします」
「初めまして、荻田雅です。あずささん……で良いかな。僕も下の名前でどうぞ。紫君の友達だし、堅苦しくなくていいから。ところで……あずさの表記って漢字?」
「はい、漢字です。木へんに辛いで。紫、あんた良い所に雇ってもらったわね」
「漢字、やっぱり訊くんだな、親父。しかし、紫。お前、こんな良い女性と知り合いだったんだね。女っ気無いと思い込んでいたのに。ずるいぞ」「本当、本当」
「……うるさい」司と円が茶化すと、紫がまだ堅い口調で、それでも反応を返していく。
雅は、そんな紫に安心して笑って見ていた。
かつて、雅に訪れた、忘れることの出来ない三つの出会いと別れ。
それは今、姿を変えて、この場所ーー灯に辿り着いた。新しき姿は、新しき形となって、五人を一つの輪に変えていく。
彼らは未だ誰も、そのことに気が付いてはいない。
ご無沙汰してます。二年半経ちます。
やっと梓が登場。これで碧先生の名前が出せる。
紫の話を短くしたら、いつもより短くなる!と慌てたら、雅の話で終わった。 ありがとう、雅さん。 長くなる!はあっても、短くなる!は私には無いな。
です、ますを省いた書き方を忘れそうです。