36.退院、そして、家へ
荻田雅:司を拾い、来樹に永住することになった。現在の語り手。
荻田司:素性不明だが、雅の養子・司となることになった。
詞艶市来樹:このお話の舞台。
引き取ると決めた少年、司は始終どこか別のところを見ている様で、俺で良いのか、少々、いや多分に自信が無かった――なまじ、専門の奴らを無理矢理押し退けただけに、尚更。
これからのことを細かく話し合い、それを司に伝えていく。それが幾度か続き、正式に俺、荻田雅と、その養子、司は、来樹の住民となった。温嗣さんを始めとした、大勢の方々の協力による成果であった。
そして、その全てを心ここにあらず、という感じで司は聞いていたので、俺の不安は消えることなく、司の退院の日を迎えた。
俺たちの新しい家は、来樹の住宅街の一角にあった空き家を改装したものだった。その完成が退院のまさにその日で――別に合わせたわけでもないらしい――、そのため、俺は司を連れて建物の完成を初めて見に行くことになった。
「荻田さーん、こっちですよー」
「史音さん、今日はありがとうございます」
「いいええ、お気になさらずに。どうです、この出来栄えは!」
「自分一人の手柄みたいに言うなよな」白石一人がすかさずツッコミを入れる。本日の引っ越し準備のために、何人かに集まってもらっていた。
――それにしても……
「何か立派な家になったなあ。なあ、司」
相も変わらず無反応な司と共に新しき我が家を見上げる。司は当然来るのも初めてだが、俺も途中を数日前に見た以来なので、出来上がりを見るのは実際初めてである。
元々広い家だったそうで、二階建ての、住居はその二階部分だけだが、それでも司と二人、一緒に住むのには充分すぎるほどの広さだった。薄い黄色や茶色を基調とした落ち着いた外観。その一階の出入口にある茶色い枠のガラス張りの扉。その中心部分より少し上に、横長の楕円形で同じ茶色の――セピア色とでもいうか――地に黄色で描かれているのは、なんだか街灯みたいなマークとともに、漢字一文字で「灯」。俺の店の名だった。
料理屋を始めることになったのも、司を引き取ることと同じくらいの、要するに、ほぼ勢いに近い形だった。
そもそも、その日まで、現在紫たちが住んでいる寮――梧桐――に身を寄せていた。そのため、当初の選択肢は、そのまま司とそこで住み続けるか、どこかのアパートでも借りて引っ越すかの選択であったわけで、予定としたらそんなものだった。
それが、俺の仕事の話になった際――つまり、その時点では俺はそこから普通に、会社員にでもなって働きに出る予定だった(そんな生活したこともないけど)――俺が詞艶に来る前まで、料理屋で修業してた、なんて言ったら、その時、俺のその日の相談相手で、さらに丁度昼時で空腹だった史音さんと真琴さんが、じゃあ、今、作ってみて、と主婦らしからぬことを言い出して。仕方ないので真琴さんから台所を借り――その日は彼女の家だった――、有り合わせで作ってみると、これが好評で、その流れで俺は自分の店を持つことになってしまった。――実は、紫と意外と理由は似ているのだ。
――と、見回してみるとその真琴さんがいない。不思議に思って訊いてみると、
「奈津さんと、子供たち迎えに。理香ちゃん家に預けたら戻って来るって」
「どうも……」史音さんの快活な返事に対し、何か色んな意味で今迄よりずっと申し訳なくなってきた……。
今回のことで、現在進行形で散々迷惑をかけている方々は、幼稚園児の子供を抱えている方が多く、手の空いている誰かが送り迎えをしているのだそうだ。これは別に、今回のことに限ったわけではなく、共働きも多く、その方が効率が良いという親たちの判断に基づき、以前からローテーションで行われている、習慣なのだそうだ。因みに預け先もその時々で変わるそうなのだが、今回だけは理香さんに一任しているそうだ。理香さんとはそんな理由であまり会っていないが、「基本、仕事と子育て以外の要領が悪い」という意見で全員一致している。要するにそれ以外をやらせようとすると、必ず何か起こすという。それは俺でもよく理解していた。「見ていて面白いし、ほっとするけどね」とは幼馴染歴がほぼ年齢に等しいという史音さん談。――すると、そこへ。
「こーんにちは、みやびさん」突然声をかけられた。下を向くと、
「あら、かっちゃん。お祖母ちゃんは?」史音の問いに、五歳の黒瀬夏摘は、明朗に答える。
「あそこだよ。いま、まことさんとこ」
と、その二人がこちらへとやって来る。
「奈津さん、真琴さん。あ、荷物ありがとうございます」梧桐に残したままの荷物を二人プラス少々を夏摘が持ってきてくれたのだ。
「満月ちゃんは理香ちゃんとこなんだけど、夏摘は一緒に荷物を持っていくって」
「邪魔はしないもん」祖母の言葉に夏摘は少々ふくれ顔。だが、母方譲りの美少女ぶりは、それでもそこなわれていない。
「うん、ありがとう」俺の礼に少女は笑みを浮かべたが、すぐに曇った。――訳を尋ねてみると、
「みちるちゃんが、みやびさんたいへんそうって言ってたから」その言葉に真琴が説明を加える。
「ごめんなさい、うちの娘が。その……」
続く言葉は半ば予期していた。
やっぱり、終わりませんでしたね、はい。まだ続きます。もう終わると思うんだけど…なあ?
久しぶりに夏摘を出してみました。初登場以来ですけど、作者の中ではそんな気がしないですね。それより紫君…。名前だけ出た。次回は出したい。あと、司も喋れ。