32.おぼろげな感情
荻田雅:少年を拾った通りすがりの男性。
荻田司:ずぶ濡れで倒れていた記憶喪失となった正体不明の少年。
結崎:少年の担当医師。
羽鳥温嗣:少年の身元を探していた地元民の一人。
――言い訳をするなら、躊躇ってはいたんだ。一応。
といってもどっちの言い訳か判らないんだけどさ。
彼らを会わせた事か、彼らに引き取らせなかった事かさ。
記憶喪失、身元不明、小学生。これだけ揃った謎の少年をどうするべきなのか。その答えがはっきり出ないまま数日が経過した。
肝心の少年は、といえば、入院したその翌日に意識を取り戻し、はっきりと質問に答えられていたようだったが、熱におかされながらの状態だったので、当然だが無理がたたり、また数日意識を失っていた。そして、今現在も少々頭がはっきりしていないようだが、身体の怪我も含めて、その内きちんと治っていくだろうと予測されていた。
――記憶を、除いては。
記憶喪失の面だけは、どうともいえなかった。熱が完全に下がっても、彼から完全に抜け落ちてしまっている記憶は戻るかどうか判断がつかない。熱におかされているという理由ではなく、正真正銘、彼からそれ以前の記憶がすっかり喪われてしまっていた。その上、繰り返すが、熱におかされていたため、入院翌日の会話もおぼろげになっているようだった。
――「まあ、高熱出しておいて、あそこまではっきり喋っていたという方が凄いですから。それぐらいの代償はむしろ当然かも知れませんね」
という結崎医師の見解に、雅も納得していた。――確かに、熱にうかされていたのにあの喋り方はすごいよな。よほど気力のある子なんだろうか。っていうか、俺の方が喋れていたか不安なんだが……。
――そんなあの子がどうなるんだろうか?
やはり胸に過ぎるのはそんな不安だった。温嗣さんたちが話していたように、やはり施設に行くことになるんだろうか…。そうなるのが当たり前だ。親が迎えに来るその日まで、こちらで預かってもらうことになる。
――楽には生きられないな。折角助かった命だが――というか自分が助けた命だが――、助からなければ良かった、と思うことになるかも知れない。今度は自分から、命を投げ出すかも知れない。そういうことだって有り得るだろう、少年の立場ならば。生きていくことが困難になることは簡単に予想がつく。あの時点でもう「大人」と呼ばれる年齢だった俺とは比べ物にならない程。
だが、俺は死のうとは思わない筈だ。たとえ何歳だろうと、絶対に。あの誓いを破る訳にはいかないのだ。――だが、少年は?
雅が何度も思い出した彼の後姿を改めて浮かべていた時だった。
「荻田雅さんですよね?」
自分の名前を不意に呼ばれ、我に返った雅の前に二人の男性が立っていた。
「そうですが――、失礼ですが、どちら様ですか?」
「失礼しました、私たちはこういう者です」二人の内の一人の男性が名刺を差し出してきた。その名刺には、その人の氏名と共に、ある施設の名前が記されていた。最初は、雅はそれが何を示すのか判らなかったが、少し考えた後に気が付いた。
「あ、あの子の――」言いかけた雅の後をついで、名刺を差し出した人が説明する。
「そうです。身元が判らない子がこちらにいるそうですね。その子を引き取りに来ました」
彼が差し出したのは、孤児院の名刺だったのだ。
「どうぞ、この子です」少年の病室に雅は二人を連れて来て、起きて窓の外を見ていたであろう――ベッドでの日々をそうやって過ごしていた――少年に説明する。少し前に少年に雅の口から少年に説明しておいた。孤児院に行くことになるだろうと。自分の口から説明したいと温嗣に願い出た。拾った責任からきたのか、雅も判らなかったが。少年の方は、あの日の反動からか、ずっとボーッとしているが、「分かりました」と一応返事もしてくれた。今日も相変わらずボーっとしているが焦点の定まっていない目でこちらを見て「よろしくお願いします」と頭を下げていた。
――このままで良いんだろうか? 雅は三人を眺めながら、何か釈然としないものを感じていた。常に少年はこちらが話しかけると、微笑を浮かべ、反応を返してきた。故に少年の感情を読み取ることは難しく、今もどう感じているのか判らなかった。そこまで思い、雅はその考えを否定する。いや、良いか、悪いかはともかくこれが普通だ。当然の事なのだ。
その時、扉が開いて温嗣が入ってきた。「あれ? ひょっとして――「みどりの家」の皆さん? 早いですねー、もう来られたんですか」
温嗣の台詞に雅が首を傾げる。「温嗣さん。何ですか、「みどりの家」って?」囁かれて今度は温嗣が首を傾げる。「何ってー、孤児院の方達じゃないの、この人たち?」「いや、そうですけど」「? 孤児院の名前、「みどりの家」だよ」「え? 違いますよ」「違うことないでしょう」「違いますって。名刺もらいましたから」「ええ?」「ほら」
他の三人に聞こえない囁き声で会話した二人は、同時にスーツ姿の二人の男を見た。
「あんたら、誰?」
あれー? 肝心な台詞が入らなかった。このお話は途中から1話あたり2000字を目安に書いておりまして、少々超えたら、きりのいいところで終わりにしているのです。だから、唐突に終わった感じがたまにあると思いますが。おかげで予定より長くなるんですが、今回入るだろうと思ったシーンが入らずじまい。次回に後回しというまたいつものパターンがここでも適用されてしまいました。