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紫の灯  作者: 志水燈季
過去
30/57

30.記憶の始まり

 荻田雅(おぎたみやび):少年を拾った男性。

 荻田司(おぎたつかさ):ずぶ濡れになって倒れていた正体不明の少年。


 結崎(ゆいざき):少年の担当医師。



――記憶が無い。

 

 そんなドラマの世界でしか起きないようなことがたった今現実に起こった。――しかも俺の、目の前で。

「日常生活には支障はないでしょう。ですが……自分の事は何一つとして思い出せないようで。彼の氏名も、彼が今までどこで、何をしてきたか…その辺りのことはまるで思い出せないようで」

 初老の医師が渋い表情で語る言葉の数々に俺は言葉もないままただ聞いていた。


 過去が消えたという事か。


 昨日、海岸でずぶ濡れになって倒れ、俺に拾われるまで、どこでどう過ごしてきたのか。その一切が明かされない。

「やっぱり駄目だな。少年が一人消えたという話が一切無い」

 後ろから突然聞こえた声。振り向くと俺が助けを求めた女性と、まだ若い――三十代位だろうか――男性が立っていた。声は男性のものだったから、今後ろ手に頭を()いているその若い男性のものであったろう。

温嗣(ただし)さん。やはり駄目でしたか。手掛かりが一切ありませんね」医師が俺を()けてその二人の許に駆け寄ると、

「本当に。子供を独りで放置しているということかしら。ひどい親ね。あの()みたいな親がこれから先も増えるのかしらねえ。――あら? さっきあなた――『手がかりが無い』と仰いましたよね。それ……どういう意味です?」

「……」

 憤慨しながらも冷静になれるらしいその女性の問いに、医師は再び渋面になり俺の元へと顔を向けた(少なくとも俺に顔を向けた時点では先程と同様の渋い表情であった)。

「あ、そうそうそちらが、件の少年を拾ったっていう荻田雅さん?」

 と、男性が顔を出して俺を見てきた。すると医師はハッとした表情で今度は身体ごと角度を変えて――つまり、横向きになり、言った。

「そうです。そちらが荻田雅さん。荻田さん、こちらは、あの子の身内を調べて下さっていた、羽鳥(はとり)温嗣さんと、隅田奈津(すみだなつ)さんです」




「へー、それが羽鳥温嗣との出会いだったのかー」

 十年前の、これまでの雅の回想を聴いている一人、都築紫(つづきゆかり)が口を挟む。

「そうそう。当時はまだ若い男性だったんだよねー」と、失礼な発言で雅が応じる。「あ、でも奈津さんは知らないよね? 紫君は」

「知らん。え、誰? なんか…ありそうだな」察しの良い紫に、雅が楽しげに答える。

「フフフフ。まあ、それはいずれ判る」

「その内出て来るから。はい、続けるよー」

 と、司が再び過去の話へと入っていく。




「記憶喪失……。それはまた……」

「何てこと……」

 温嗣と奈津は、結崎医師から事の一切を訊き、少々唖然としながら少年を横目に見た。今、その「正体不明」の少年は、別の医師との会話を楽しんでいる風であった。その医師はまだ若く経験も浅いが小児科医を選んだだけあって大層な子供好きらしく、相手の子供を楽しませることにかけては抜群の才能を発揮し、それは相手が過去を無くした少年であったとしても変わらないらしかった。――おそらく保父さんになっても大成しただろうな、とは結崎医師の判断であった。

「やあ、荻田さんですね」と、その若い医師が振り向きざまに言い、一歩後ろに下がって手招きする素振りを見せた。温嗣達と少し離れて同じく二人を見ていた雅は、断る口実も見付からず、誘われるまま少年の許に寄った。――実は雅は子供が苦手だった。

 元々人と上手く付き合った事のない雅だ。そんな彼が子供と接する機会なんてそう多くはない。以前、料理を修業していた店で、子供もいたにはいたが、()けられるものなら思いっきり避けていて、そうもいかなかった場合でも、相槌を適当に打つだけでまともに会話した、というレベルではなかった。


――あの時も会話なんてそんなに出来なかったからな……。


 かつて、たった一人だけ、そんな雅がまともに話をした子供がいたが、その時すら一言二言。「会話」といえるものではなかった。

――大体名前すら訊かなかったぞ、あの時。いくらあんな調子だったとはいえさあ。

 そんな名前も知らない子供が自分に何をしたのか――。


――大丈夫。俺は大丈夫。

 何とか気力を振り絞り、雅は少年の許へと寄った。すると少年は雅の方へと顔を向け、

「荻田…雅さんでしたよね。本当に助けてくれてありがとうございます」

「ああ…いや…。大した事は……。思ったよりも…うん、元気そうで良かったよ」

 実際、想像したよりもはっきりと丁寧にお礼を言えた少年とは対照的に、やっぱり上手く喋れない雅は、思わず右の斜め後ろを振り返る。――羨ましいなあ、少し。

 視線を向けられた若い医師は相変わらずニコニコと微笑んでいる。その笑顔に何だか余計に空しくなった雅だったが、何とか言葉を繋げる。

「実際、危なかったそうだからね。本当に……よく助かってくれたよ」

「そうね。それもこれも荻田さんが現れてくれたからだわ。あなたの前に。凄い偶然よね。……本当奇跡だわ。――誰かが…導いてくれたのかしら。守って……くれたのかしらね」

 奈津の言葉にほぼ全員笑みを浮かべていた。ぽかんとしていたのは本人達、二人だけだった。

お久しぶりです。随分と間が開いてしまいましたが、いよいよ(?)、紫の灯第30話到達です。今回少し表記を変えてみましたが…あんまり変わりませんね。文章が読みづらくなっただけ?

作者の気まぐれによる、相変わらずのスロースピードですが気長~にお付き合い下さい。

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