27.司の10年前
荻田雅:灯の店長。
荻田司:雅の息子となっているが、正体は不明。
都築紫:かつて放浪し、約1か月前、灯で働き出す。
南雲円:灯の店員。
片隅で起きた、ほんの小さな出会い。
それは、偶然で、
でも確かに、「奇跡」と呼べるもの。
めぐりあって生まれた命の繋がり。
後から思う。「運命」だったのだ――と。
「俺の1番最初の記憶は、俺の顔を覗き込む見知らぬおじさんの顔だったんだ」
「荻田司という名は本名ではない」と言い放った青年は、この時初めてその時の事を語っていた。
俗にいう――「記憶喪失」になった頃の事を。
「その時、俺は病院に寝ていてね。まだ意識が戻ったばかりで頭も正常に働いてなくて。だから、誰だろう? ぐらいのことしか考えてなかった」
「それが――雅さん?」
口を挟んだのは紫。まだ雅が司の実父ではなかったことや、司が記憶喪失であること、更に10年経過した今現在もその状況が改善されていないことを、次々知らされ、混乱する中、必死になって理解しようとしていた。大まかにではあったが、知っていた円ですら苦心していたため、これは中々凄い努力の要ることではあろう。
「そうだと知ったのはもう少し後になってからだけど。名乗ってもらっても頭に入らなかったし。その時俺、風邪ひいたんだよね。凄い熱出して」
「肺炎の一歩手前と言われたよ。他にも打ち身、擦り傷――まあ小さいものが色々と。あとは記憶喪失になるだけあって、しばらくぼんやりしてたよ。それは退院してからも続いたな」
養父・雅の補足に頷きながら、司は続ける。
「俺はどうやら海岸の砂浜に倒れていたらしくて。発見される前夜に雨が降ったせいもあってか、体はびしょ濡れ。それで体調崩さない方がおかしいって苦笑いされた――気がする」
「何でそんな所に――」円の質問に司は笑って首を縦に振る。
「うん。やっぱりそう思うよね。当時1番された質問だったかなあ。家出でもしたのか――とか、親に捨てられたのか――とか。迷子は状況から考えてそれはないだろうが、って」
「倒れてたからか?」紫が質問すると司は今度は首を横に振る。
「いや、そうじゃなくて――」
「1件も無かったんだよ」
「「え?」」円と紫の同時に発せられた声に司は答える。
「迷子の問い合わせが。捜索願といった方がいいかな? 照らし合わせたけど、1件も該当者無し」
2人の顔色がわずかに変わった。
それはつまり――捨てられた? 小学生か、せいぜい中学生の息子を見限った? 本人が望んだ家出だったか、それとも最初から放置したのか。
「まあ、訊かれても答えは判らないんだけどね」
紫も円もそれ以上聴いて良いのか判らなかった。司本人は淡々と話しているが、それはつらいことではないのか? 実の親は、自分を探す気は無い――そんな事実は。一歩間違えれば死ぬところだったというのに。
そう、雅に出会わなければ。
――親と別れる。家族と別れる。それは遅かれ早かれ必ずやって来る。お前の場合は少し早かっただけだ。まあ、人為的な時もある。無論、自然になっちまう場合もある。お前の場合は前者だがな。まあ、色々思うことはあると思うけどよ、要は、自分が生きていけるかだ。与えられた場所でどう生きるかだ。神様はそれを試してると思うぜ? あ? 意味なんて今は解んなくていいんだよ。その内解る。――まあ、人生、笑ったもん勝ちってことだ。楽しく生きた方が良いぜ、絶対によ。
「――君、紫君! どうかした?」
「――え?」我に返った紫は少々間の抜けた声を出した。
「どうかした?」
円の心配する声に、紫は手を振って何でもないという動作をする。
――何で今、あのばーさんの声なんか思い出すんだ? ガキの頃に聞いた声なんか――。雅と似てると言いたいのか? そんなばかな。ちっとも似てやしない。大体今もわかんねーんだが。所詮はきれいごとだろーが。なぜあいつはそんな台詞で頷くことが出来たんだ?
紫は少々気が散っていた。そのため、司や雅が話すことを待っていることに気付くのが少々遅れ、慌てて先を促した。
「いい? 別に気を遣わなくていいからね。慣れたし。記憶無くて落ち込みようがないんだよね。というか元来、こういう性格なんだと思うよ? だから自殺未遂なんてことはないんじゃないかな? 当時、これも言われたけど」
紫と円は顔を見合わせ、互いに同じことを考えていることを察していた。
――そんなこと考えてもみなかった。そういわれれば、雨の降る中倒れていたのなら自殺を考えていたという可能性もある。実際死にかけたのだし。
気を遣わなくてもいい、と言われても気にしない方が難しいことばかりである。
「言わない人もいたよ? ちゃんとね。いま水人と呼ばれている大人たちは特に。その中でも奈津さんや、温嗣さんに、真琴さん、一人さん、史音さん、雪音さんには特にお世話になったなあ」
「へー、お会いしたことないけどやっぱり立派な方々だったんだねえ」
円はなんとか調子をいつもの通りに戻しながら相槌を打った。
「うん、もちろん。――まあ、親父が1番特殊だったけど」
「俺が1番覚えているのは料理が絶品だったことだなあ」
やっと入りました。今回は特に司視点で描かせて頂きました。とうとう、紫君は主人公の肩書を外してしまいましたが。そして次は雅さん視点で描きたいと思います。